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『ひとの居場所をつくる』 いつか誰かが言わないと

2月上旬(2023)、遠野のクイーンズメドゥカントリーハウスに田瀬理夫さんと滞在して3泊4日のワークショップをひらいた。

『ひとの居場所をつくる』を書いて10年になるが、田瀬さんの仕事やあり方に触れること、それを他の人と分かち合うことに変わらず情熱がある。自分が大事にしてゆきたいこととよく重なるのだと思う。

告知文に「建築・ランドスケープ分野の方でもまったくの門外漢でも、惹かれるものがあればどうぞ」と書いたが、ランドスケープ分野からは一人だけで、他の人は

・地域メディアを運用するNPOのメンバー
・猟師、兼デザイナー
・身体技法のパーソナルトレーナー
・車メーカーで「デザイン経営」への期待を集めているひと
・休職中の作業療法士

と書くと雑だけど、つまりランドスケープについては門外漢。でも田瀬さんに関心を寄せる人が集まって、そこから生まれる4日間には素敵な内実があった。

それぞれ「相談してみたいこと」も持ち寄っていて、後半は田瀬さんを軸にみんなで一つひとつ扱った。どれも個別具体的であり、かつ切実で。これまで彼とご一緒した中でもいちばん充実した滞在になったなと思う。(6名という設定も大きい。ただし参加費は割高になる)

忘れたくない場面や言葉がたくさんあったので、書き残しておきたい。

そこにあるものでつくる

田瀬さんの「そこにあるものでつくる」姿勢は徹底している。土も緑も路面材も、できる限り外から持ち込まない設計をする。

あと〝断面図〟で考える。これはランドスケープデザイナーなら当たり前のことだろうし、たとえば日本庭園の作庭も、池を掘った土で小山を築いたり、敷地の中で土を動かして視線のレベル調整と水の動きをつくり出す。重要な設計要素だと思う。

けど建築家の多くは、主に平面図で考えるんじゃないかな。
この平/断面のアプローチの違いは、「ワークショップをつくる」とか「本を書く」とか「組織運用の設計にたずさわる」といった自分の仕事のどこにどう置き換えることが出来るのか、もう少し考えてみたい。

参加メンバーの一人〝車メーカーで「デザイン経営」への期待を集めているひと〟は美大卒の若手で(多摩美上野毛校の私の最後の授業に出ていた人だった)、彼を軸に交わされた対話の中で「大企業の経営者はなぜ自分たちの戦略づくりをコンサルティング会社に頼むのか」という話題が出た。そう思うな。なぜ自分たちに期待しないで、他人に期待するんだろう。

田瀬さんは笑いながら、「その場所についてわかってくると出来ることが見えてくる」「外注を前提にしないことで、実地にあたっての合理性が出来てくる」「思考の仕方は〝自分たち流〟でいいんじゃないか、という想いは常にある」と語っていた。

彼のデザインの方程式は変わらない。これまで何度も田瀬さんのレクチャーを聞いてきたが冒頭の数枚はだいたい同じで、最初の頃は「また…」と感じたときもあったけど、いまはそう思わない。
方程式は同じでも、敷地の環境やそこにあるものが違うので、最終的に出来るものは一つひとつ変わる。アクロス福岡と、永田昌民さんが設計した個人邸の庭のデザイナーが同一人物だなんて誰も思わないんじゃないかな。でもどれも田瀬さんらしい仕事になるし、なにより「その場所らしい」合理性を持った空間が姿をあらわす。

そこにあるものが違うから、違う空間が生まれる。各地の各家庭の味噌汁がぜんぶ違うように。数日でも一緒に時間をすごすと、環境の「そういうところを見ているんだ」ということがわかって有り難い。

生きている環境は変化してゆく

メンバーに〝身体技法のパーソナル・トレーナー〟氏がいて、彼の話も印象に残った。

「仕事で人の身体を見ていると、本に書かれていた田瀬さんの、『地域の農業のあり方がその地域の風景にあらわれる』という言葉が重なってくる」「その人の働き方、考え方、生き方が、その人の身体にあらわれている」

「同じく『日常性が大事』という言葉も。自分もいちばん大事にしたいのはそこで、『本人の身体にとって特殊なことはしない方がいい』と思っている」「無理をしてしまうから」「外から与えられた規範や、正しいなにか(たとえば「よい姿勢」など)に自分の身体を合わせてゆく人の身体は希薄な感じがする」

「『土地が敷地で区切られている』という話も。ワークアウトも似ていて、たとえばストレッチマット単位で一人づつ区切られるし、欧米から来た〝I am〟の思想も感じる」「けど、ひとが根源的に求めているものは違うところに(もっと連続しているところに?)あるんじゃないかな」

彼は〝休職中の作業療法士〟が聞かせてくれた、「子どもに限らず、時間を忘れて好きなことに邁進できていることが幸せなんじゃないか」「治療は数値的な向上を求めるけど、限られた人生を、本人が心地よくすごしていることがなによりなんじゃないかな」という話に、「病院で数値を測っても、その人の日常とは局面が違う」「生きている身体は必ず変化してゆくので右肩上がりにはならない」「医療が本人の現場に降りてきていない」と応えていて、専門家の言葉としてそれぞれ含蓄があった。

空間が先に見えてくると、楽観的になれるんじゃないか

〝地域メディアを運用するNPOのメンバー〟は、以前精神科のクリニックで受付の仕事をしていたと言う。病院には、すごく薬を出してすごい人数を診る先生と、薬を出さずに話をきく先生の二人がいた。そこで働きながら「社会に復帰できても『よかったね』と言えない」自分を感じ、それで「いろんな仕事を見てみよう」と思い、倉庫管理やお墓の清掃、そのほかいくつかの仕事を体験して現在に至る。

その過程で抱くようになった「社会をよくすると言っても、どうしたら?」という問いの先で今回参加していると言う。

ワークショップに集まるのは「参加者」じゃない。同じ時代を一所懸命に生きている人たちで、グループサイズが小さいとその一人ひとりがよく見えるし、味わい深い。
田瀬さんは彼女の話のあと、「〝全体〟のことを考えながら、自分に出来る〝部分〟をやる」と話していた。

クイーンズメドゥの山林を一緒に歩いて、彼が熱海から月に一度通いながら、この一年半、そのときどきに集まった数名と手作業でつくってきた路やテラス(早池峰山を眺める高台の草地)を案内してくれた。

クイーンズメドゥではいま新しい試みとして、「ハヤチネンダ」という事業が始まろうとしている。

これは田瀬さんたちが以前構想した山岳葬(造語。樹を墓碑に見立てる樹木葬に対し、風景・景観に魂を還してゆく墓園事業の一種)を下敷きにしたもので、そのエリアを歩きながら彼は、「生前にここを訪れる人たちになにが見えるといいか?を考えることがそのままデザインになる」「馬が草をはんでいたり、その世話をしていたり畑をやっていたり。その場所の日常が見えるのが、いちばん素晴らしいんじゃないか」と歩きながら言う。

Photo: Kurata

田瀬さんが昔書いた卒業論文のテーマは「刈り込み」で、京都・修学院離宮の大刈り込みがそのきっかけだ。桂離宮の笑意軒も裏窓から見える水田を借景にしていたっけ。彼は日本庭園の造詣が深く、「そこ」でなく「そこからなにが見えるか」をデザインする視点には年季が入っている。若い頃、自分が惹かれるものにたっぷり浸っておくのは本当に大事なことだと思う。

月に一度山林整備の作業を重ねてきたことについて、「(企画書や設計資料を整えるより)空間が先に見えてくると、みんなも『なるほど』と楽観的になれるんじゃないか」と自身の立ち位置を教えてくれた。
首に手ぬぐいをかけ藪を一緒に刈りながら、実地でデザインしているんだな。空間と、かかわる人たちの心の両方を、実践的に形づくっているんだ。

いま出来ることを重ねてゆく方がいい

私たちは「企て」と「遊び」の間にいる。この二極は『おやときどきこども』に鳥羽和久さんが書いているそうで、最近目にした風越学園の先生のエントリーで知った。
わかりやすい整理だし、自分には『かかわり方の学び方』や『自分をいかして生きる』を書きながら考えたこととよく重なる。

企てたり計画する「いつか」にウェイトを置きすぎると、未来のために現在があるような優劣が生じて、いまこの瞬間が生気を失う。かといってただ野放図に「遊び」を重ねていると「で…なんだっけ?」と迷子にもなりやすい。
「ありのままの自然が大切で素晴らしい」と訴える勢力や「計画的に考えて十分に備えるべき」と強調する勢力の、そのどちらか片方が正しいとは思わない。どちらも極端になればなるほどエキセントリックで、むしろ始末が悪いと思う。

田瀬さんも同じなんじゃないかな。両方大事なわけで、具体的な場所に即した必要なことを、その場所ごとにしてゆきましょうよ…という感じで、ハヤチネンダで山林整備を重ねている起点も「森が好き」とかそういうのとは違う気がする。

多くの人は未来の保障を取り付けたがる。そして「こんなことやっていってどうなるの?」と思ったり「お金がつきたらどうするの?」と詰め寄ったり、「戦争が始まってしまったら全部終わりじゃない」と悲観を漏らしたり?
でもまだ起きていない未来のこと、自分たちの手が届かない事ごとに頭や心を占有されてなにも出来ないまま時間がすぎてゆくより、いま出来ることを重ねてゆく方がいい。やらなければゼロなのだから。そしてその結果について、持ちようのない責任を持とうとしないこと。

「〝全体〟を考えながら、自分に出来る〝部分〟をやる」という言葉が体現されると、たとえば月イチの遠野通いと、手作業で未来をつくってゆく時間がこんなふうに生まれるわけだ。設計してつくるのではなくて、その場でつくり出してゆく態度を目の当たりにしているんだな。

いつか誰かが言わないと

田瀬さんは昔、付き合いのある大手設計事務所から相談をうけて某大手デベロッパーのタワーマンション開発の設計コンペに参加している。足元の公開空地のランドスケープデザインの提案を競うもの。

でもそこで彼は、緑地の設計はほぼしないで、マンションの外壁をどの程度緑化するとその建築物が周囲に与える環境負荷を相殺出来るか?という提案を行った。
しかも結論は「相殺できない」で、プレゼンシートには「いまでさえ暑いこの街にタワーが追加されて、なにか良いことがあるのでしょうか? このタワーは周囲にカゲを落とし、800戸のエアコンが排熱し、ビル風を起こす、ヒートアイランド化を加速するタワーで、良いわけはありません」と書いた。

タワーマンションの緑地は地域に対する免罪符の一つだが、とうてい免罪には及ばない。「あなたたちがやろうとしていることを、あなたたちはわかっているんですか?」と正面から物申しに行ったわけだ。

大手デベロッパーの会議室でえらい(えらそうな)人たちを前に、そのタワーマンションの環境負荷の試算を淡々と伝えた田瀬さんに彼らは、「この人にコンペの主旨は伝わってる?」「なにしに来たの?」と言ったらしい。

この話を初めてインタビューで聞いたのは10年前だった。内容が辛すぎてそれ以上深掘りしなかったし、その後も田瀬さんとつくる場ではなるべく触れないように避けてきた。そんな、誰も喜ばないようなことを、しかもそれで開発が止まるわけでもないだろうし酷い扱いを受けるだけなのに、なぜわざわざするんだろう…と飲み込めずにいた。

でも今回、田瀬さんが持って来た直近の講義資料にその図版がズバーンと挿入されていて、あらためて聞くことになった。

彼はコンペの相談を持ちかけてきた大手設計事務所の人に、「自分が提案するととんでもないことになりますよ」とあらかじめ伝え、「かまいません」と言われていたらしい。時間がなかったから資料づくりを手伝ってくれる人が必要で、知り合いの若手を誘ったとき「この仕事に参加すると今後◯◯◯(その大手デベロッパー)の仕事はできなくなるよ」と伝え、「それでいいです」と返事をもらったらしい。

タワーマンションの開発は、将来の解体コストに限らず、居住期間の環境負荷や周辺への悪影響、建設工事そのものが引き起こす自然破壊(敷地外を含む)を省みず十数年にわたって粛々と進められる。80年代以降、行政が公営住宅の開発から手を引いて民間に開放されていった市場で、強欲資本主義の主戦場の一つだ。

企業の担当者は、先輩たちが進めてきた開発計画をとめることなんてできないだろうし、仮にどこか一社がやめたところで他の会社は次々と建てる。行政も規制を緩和する。環境負荷、この場合でいえば埼玉や群馬など東京北域の気温上昇はもちろんタワーマンションだけが特定の原因でない首都圏全体の問題だ。赤信号をみんなで渡っているわけで、デベロッパー側は、個人として「確かに」と思っても「だからってうちの会社だけやめるわけにいかない」と考えるだろう。

「なぜそこまでするんですか?」とあらためて訊くと、田瀬さんは「いつか誰かが言わないと」と言った。

Photo: Imamura

社会は、その基盤にあたる自然環境とともに劣化している。強欲な人たちはそれが本当に勝ちかどうかはともかく、勝ち逃げ競争をくり返している。戦争に向かいかねない国の姿勢も次第にあからさまになって、それらを望まない自分は、勝ち目のない負け戦がつづいている気持ちにもなる。

でも、事態を変えられないことが負けなのかどうか。

部分最適化を重ねると、仕事の累積は社会をしょうもなくしてゆく。田瀬さんは逆に「やればやるほどよくなることをするといいんだ」とよく言う。

そしてその積み重ねが報われるとか報われないとか、意味があるとかないとか、まだ手が届かないことに心を奪われずに、できるだけ広く全体のことを考えながら自分に出来る部分、いま自分の手元でやれることを楽観的に重ねてゆく方がいいし、大手デベロッパーの会議室で侮辱されるようなことがあっても毅然としていればいいんだなと、一晩寝て思った。

10年前に書いた『ひとの居場所をつくる』という本は、いまもこんなふうにつづいている。いい滞在だった。


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