『自分の仕事をつくる』…その人「らしさ」が表に出てきて、そこが認められることを自立というのなら
朝日新聞の「時代の栞」で、『自分の仕事をつくる』(2003)が取り上げられた。
時代をふりかえる一冊に加えていただいたわけで、記者の藤生京子さんに取材の申込みをもらった2ヶ月ほど前から、有り難いなと思いつつ、考える部分もあった。自分にとってあの本は過去の一冊として済んでいるのかな?
出版される前、ゲラのやりとりを交わした佐藤雅彦さんが「たくさんの人に読まれると思います」と伝えてくれたのを憶えている。ご本人のパートしかお渡ししていないのになんでわかるんだろう?と思いつつ、嬉しかったし、自分もそうなると思っていた。
実際、出版されるとたくさんの人が反応してくれた。発売当日だったかな、八谷和彦さんが「いまAmazonで4位だよ!」とメールで教えてくれたり。自分のことのように喜んでくれる人たちがいた。いま思い出したけど、Amazonの最初のレビューはナガオカケンメイさんですよ。こんなにしてもらっちゃって。
出版に至る数年間は、既に書かれた本を見るのが嫌で書店に行けなくなっていたし、海の上にいても山の中を歩いていても「未提出の宿題」が気になって終始焦っている感覚があった。最近読み返すことはあまりないけれど、形に出来て本当によかったなと思っている。
いろんなコメントを目にする中、「〝自分の仕事をつくる〟というタイトルがいい!」とブログに書いていた広島の書店員さんがいて、印象に残った。
確かにいいタイトルだと思う。意味合いも、機能としても。装丁のデザインをはじめるとき、晶文社の安藤聡さんやASYLの佐藤直樹さんとのミーティングに、『働き方の研究』とか、それは違うだろう(届かないし売れない)って感じの私案をいくつか持って行ったが、案の定「うーん」とうかない反応で、その場で思い付いた〝自分の仕事をつくる〟に二人とも「はい。それ!」となったんだ。
藤生さんの記事は〝他の誰にも肩代わりができない「自分の仕事」とは、どうすれば創り出せるのか〟という書き出しで始まる。
朝日新聞 DIGITAL|(時代の栞)「自分の仕事をつくる」 2003年刊・西村佳哲 納得いく人生にする、工夫と姿勢
確かにそんなことを書いた。別の本で〝「これが私です」と差し出せるような仕事〟とも表現したこの部分に光があたると、何年か後に、奈良県立図書情報館のトークイベントでご一緒した鷲田清一さん(当時大阪大学総長)が聞かせてくれた話をいつも思い出す。
鷲田さんのおっしゃるとおりだと思う。かといって、ただ「認められるまで働く」ことだけが是であるとはもちろん思わない。働き方、生き方をめぐる事々は基本的に個別特殊解で、すべてケースバイケースだ。
ここでは就活期をむかえた大学生が引き合いに出されているが、就職してすでに何年か働いてきた、あるいはもう10年以上働いてきた人たちから「もっと自分らしく働ける仕事がしたい」という相談をもらったり、呟きをきくことがある。
働き方の本を書いてわかったのは「そのことで悩んでいる人が自分の前に集まってくる」ことで、それが悩みです。というのは冗談で(本当に)、他の人が悩んでいることをネガティブに思う気持ちは一切ない。
悩みは別の言い方をすれば葛藤で、葛藤は「自分の人生を少しでもいいものにしたい」気持ちがある、けど、その気持ちと現実の間に段差があったり、うまく折り合わないので生じる。よりよくしたい気持ちがあるから生まれるものだ。
悩んでいることを、本人は恥ずかしく感じていたり、暗いと卑下したり、あるいは惨めな気持ちを隠して生きていることもあるかもしれないけど、その気持ちを、口にして話してみることが出来る相手を見つけるのは大切なことだと思う。
鷲田さんの言葉を読み返してあらためて思うのは、仕事を「淡々と」「一所懸命にくり返す」ことが大事なのであって、「自分らしさ」はその中から自然に生まれてくる。
それも本人が目一杯リキんで捻り出すような形でなく、周囲から求められるようにもして顕現するのだから、まずは本人が「淡々と」「一所懸命くり返す」ことの出来る仕事や職場に出会えるといいということだ。
自分がつづけられることを自分の仕事にしてゆくのは、とても大事なことだと思う。
ところで「自分らしく」働くとか生きるといった言葉を耳にすると、ピキッとなったり、「なに甘っちょろいこと言ってんだ!」といきり立つ人がいる気がする。気がするということは自分の中にもいるのかもしれない。
ナイーブな言葉に聞こえるし、実際そういうことを口にする人は繊細で、ストレス容量が小さく、その仕事が求めるタフネスを持ち合わせていないことが多いだろうから、頑張って働いている立場からすると「はあ?」という気持ちにもなるんじゃないか。「こっちこそ大変なんだよ」「んなこと言ってないでさっさとやろうよ!」とか。
でもだからと言って、「らしく」や「らしさ」という言葉自体を軽んじたり蔑視するのは変な話だ。誰だって「これが自分とは思えない」とか「自分がいる気がしない」感覚のまま、「淡々と」「一所懸命くり返す」ように働きつづけることは出来ないんじゃないか。
この「らしさ」問題については、鷲田さんのお話から8年ほど経った頃、福岡で「工房まる」という障がい者施設を経営する吉田修一さんが、こんなふうに語ってくれた。
ここでは「らしさ」が、一本の草花でなく風景として。一個人のことでなく、周囲を含む環境全体のありようとして語られている。
朝日の記事では左横に、「Title」という書店を開いて6年目の辻山良雄さんの言葉がつづく。
私と彼の出会いは、辻山さんが池袋リブロの書店員だった頃に連絡をもらい開かれたトークイベントに遡る。『自分の仕事をつくる』の出版から何年か経った頃だった。
先日、買い物とお礼を兼ねて訪ねた店先の立ち話の中で、彼がリブロで働いていた頃の話になった。池袋の前は別の支店にいて、そのさらに前は広島店にいたと言う。「ひょっとして」と印象に残っていたコメントの話をすると「それは多分わたしですね」と笑った。存在感というのは、ごく短いテキストからちゃんと伝わってくるものなんだな。十数年経って輪が閉じた。
その辻山さんは書店員としての仕事を、それこそリブロにいた頃から「淡々と」「一所懸命くり返す」ように重ねていたはずだ。去年ある連載で彼が村上春樹さんの『中国行きのスロウ・ボート』を取り上げて、「収録されている短編『午後の最後の芝生』が定期的に読みたくなる」と書いていたのだけど、すごくいい文章で、自分も思わず読み直した。部分的に転載してみたい。
いま彼が生きているTitleという書店と、そこを拠点にした人々とのつながりが、福岡の吉田さんが聞かせてくれた景色の広がりと重なってくる。
その人「らしさ」が表に出てきて、そこが認められることを自立というのなら。
本当によかったと思う。
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