「何故ぼっちちゃんの髪はピンク色なのか?」ってタイトルはどうなのって話

まあこういうことはよくあることだし別にそんな強い問題意識があるわけじゃないんだけど、フォロワーが良いこと言ってくれたのでせっかくの機会だし書きます
別に具体的な何かへのカウンターとかアンサーじゃなくていきなりフラットなスタンスを書くだけです

けっこう伸びたこの記事についての話

そして良い指摘ツイート
タイミングと内容的にこの記事に関するツイートですよね? 違ったらすいません&自意識過剰で恥ずかしい

このツイートに全て書いてある通りで、俺が記事に書いた「ぼっちちゃんの髪がピンク色の理由」って「こういう読解が可能である」っていう批評的な意味合いなので、「実際的な理由は別じゃね?」みたいな反応はぼちぼちあります

具体的には

  • 作者の人そこまで考えてないと思うよ

  • 母と妹もピンクだから遺伝だろ

  • 作者はこみっくがーるずの影響って言ってるよ

  • 作品世界では実際には黒色と考えるのが妥当

みたいな反応ちょいちょいある
体感では10%弱くらいか? Twitterではあんま無いけど、はてブはけっこうある
まあはてブはどんな記事に対しても否定的な意見がかなり強い場だから、逆にはてブでもない限りは全然ないとも言えるけど……

これもツイートにある通り、記事内容は「鑑賞時の体験として受け手に与える効果の分析(我々がピンク髪で描かれているぼっちちゃんを魅力的に感じる理由は?)」なので、送り手側の事情とか作中設定の内実はぜんぜん関係ない
果物が甘い実際的な理由は「繁殖のために栄養をきちんと蓄えてるから」であって「人間様に美味しく食べて頂くため」ではないけど、俺らが食ったときの美味しさだけ分析して料理に応用したりするじゃん それと同じ
そもそも論点が違うので実際的な理由で反論されても全部アンサーすることはできて、こんな感じになるでしょう(どれもウゼ~

  • 受け手の経験の話なので作者が考えているかどうかは問題ではない(「たまたま作者も考えていない良い効果が生まれてる」でいい)

  • 受け手の経験の話なので作中設定は問題ではない(「たまたまこの設定が良い効果を生んでいる」でいい)

  • 受け手の経験の話なので作者の意図は問題ではない(「たまたま作者が意図しないところで良い効果が生まれてる」でいい)

  • 受け手の経験の話なので作中の整合性は問題ではない(「たまたまこうやって描写されたことで良い効果が生まれてる」でいい)

ただ、こういう受け手本位のアニメの見方は批評オタク特有であまり一般的ではないというのもその通り
「理由」というワードに対して鑑賞体験の水準で受け取る人は多数派ではないので、ややミスリーディングなタイトルだったのはまあそう
大前提としてタップ誘導のためのフック文として新書みて~な釣りっぽいタイトルを付けた俺が悪いっちゃ悪いよ

と、ここまでの話を踏まえても、俺は別にそんなに理由概念の区別を丁寧に書かなくてもいいと思ってて、理由は四つくらいあります

①いうて混乱してる人そんないないから
実際的な理由を述べてる人自体がもともとそんな多くないし、その中でも「一応ちょっと言っとくか」くらいの人がほとんどで、「いやそれは全然違うだろ!!」みたいな本気で反論してそうな人はこんな伸びても五人とかそんなもん
大抵は「なるほど」「面白い」「考えたことなかった視点」みたいな感じで普通に読んでる 批評とか一切興味ない人も批評オタク特有の視点を面白がってくれていて、それはとても良いことだと思います
俺は被弾慣れしてるし多少の被弾は別にいいです ネットって殺伐とした場所だからダメージゼロを求めるのはあんま意味ない

②ちゃんと書くのはかなりしんどいから
「なぜ批評オタクが受け手目線なのか(アンチ作者目線なのか)」をちゃんと説明するのは相当しんどい
軽く注意書きしてもあんま伝わらないだろうからやるならもうちょいきちんと書く必要があって、論の立て方自体はいくらでもあるっちゃある
理論的に書くなら美学を持ち出して意図主義の話をしてもいいし、批評史を持ち出してニュークリティシズムの話をしてもいいし、現代思想を持ち出してポスト構造主義が~ロラン・バルトが~みたいな話をしてもいいけど、誰も読まんしぼっちちゃんの話に到達する前に離脱されるのよね
マイルドに書こうとしてもたぶん3000字くらいは持っていかれてそれこそ批評オタクじゃない人は本題と関係ない補足を3000字読めない

③説明したところで正しく受け取られるかはかなり怪しい
万が一うまく説明できて読まれたところで結局このスタンスを理解できるかどうかってかなり怪しいと思ってる
この話って理解できるやつは最初からできるし、できないやつは最後までできないタイプの話じゃね?という
いったん批評を抜きにしても「完全な受け手目線で作品を消費できるかどうか」って実践を抜きにしては語れないので今までのオタク遍歴が絡んでくるかなり根が深い話なんすよ
そういうスタイルで見てきたやつは最初からそういう読み方ができるし、逆に作者の意図と作品が一対一対応すると思って生きてきた人がそこから脱するのはちょっとやそっとでは難しい……気がする

④批評オタク以外に二次創作オタクという視点から同じ理解に到達するパターンがある
これは今回ちゃんと見てて初めて気付いたけど、別に受け手目線で読めるの実は批評オタクだけじゃないんすよね
二次創作との親和性が高いタイプのオタクは勝手な解釈とか妄想に慣れてるので、「面白い二次創作だね」「面白い妄言だね」みたいなスタンスで普通に消化できて、むしろそれが最大勢力まである
俺は別にそれで全然いいっす そもそもポストコロニアリズム批評とかフェミニズム批評とかもまあ勝手二次創作みたいなもんでしょ笑

~まとめ~
かなり雑な体感だけど、ざっくり感想の分布はこんな感じだと思う

  • 批評オタク:5%

  • 二次創作オタク:35%

  • タイトルのことはあんま覚えてなくて後藤ひとり論として面白がってくれてるオタク:50%

  • 実際的な理由で躓いてるオタク:10%

俺も「批評オタク以外絶対お断り!!」みたいな文章書いてしまうこともたまにあるけど(例えばこれは特に批評オタクに対するレスポンスの内輪記事なので特に激しい↓)、

これは最初から批評オタク以外読まない前提でアクセルベタ踏みしてるだけで、今回のぼざろの話とかもっとライトに書けば読む方もまあライトに読んでくれるんで多分そんな気にしなくても大丈夫じゃねみたいな感じです

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