口癖

私の口癖「解脱してぇ」。

別に熱心な仏教徒でもなく、輪廻転生を信じているわけでもない。けれど、かつて仏教系の高校で思いがけず仏教のあらましを学んでから、いつの間にか口癖になった。

私の解釈で言うと、解脱というのは死んだ後にもう新たに生まれないこと。人間、生まれてしまえば誰しも逃れられない四苦八苦に苦しむ。その苦しみの原因は執着であり、それを捨て去ることが唯一の救い。つまり、再び生まれないこと。そのために善業を積んで輪廻から外れる必要がある。

まず、私は「人間は生まれながらに苦しむものだ」という考え方が好きだ。生まれてしまったら死にたくないと思うし、いつまでも健康で美しく、多くの人に愛され、欲しいものは難なく手に入れられ、不愉快な出来事には出くわさないことを願ってしまう。苦しむのが当たり前なのだ。

一国の王子だったお釈迦様も、生老病死の苦しみを克服しようとしたことが、悟りを開くきっかけだった。最初は断食などの苦行で心身を痛めつけ追い詰めたけれど、解決しなかった。衰弱しきって苦行を放棄したところに村娘から乳粥を食べさせてもらい、心身の健康を取り戻したお釈迦様は、瞑想によって苦しみの原因は自分の中にあったことを悟ったーーー。

この、「原因は自分の心にある」という考え方がまた好きだ。乳粥の施しをありのまま、素直に受け取れたからこそそれは“救い”だったけれど、もしも断食の苦行を“救い”と信じている時だったならば悪意にしか思えない。自分を苦しめるのは、あくまで自分なのだ。

相手を変えることは難しいけれど、自分の考え方さえ変えてしまえば良い。自分の都合の良いように物事をとらえれば、救われてしまう。他者に委ねなくても良いというのは、実はかなり有難い自由だと思う。

高校時代に仏教の授業では、もしも自分にとって嫌な人間にあったら、その人を反面教師にしなさい、と教わった。そうすればむしろ「まあ、私なんかのために反面教師をしてくださって、ありがとうございますぅ」と思えるし、その反面教師様が教えてくれたことを活かして自分は善業を重ねていけば解脱に近づく。

老いや病気が恐ろしいと思うのも、あれが欲しいこれが欲しいと思うのも、自分だ。他の誰でもない。自分に言い聞かせてあきらめるか、克服しようと努力するか、それも自分次第だ。

ただ、あきらめるのも、努力するのも、苦しい。だから、はやく解脱したい。が、善業を積むのも難しい。堂々巡りだ。

だから、解脱してぇ。

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