言葉にする難しさを改めて。
何かを外に出したいのに、何から出せばいいのか、何を出したいのか、ほんとにその何かはどこかにあるのか。
すごくもやもやしている。
とりあえず書いてみるしかないか、と思い書き出したところだ。どこにたどり着くか分からないが、投稿することで何かがすっきりすればいいなぁ...と甘い希望を抱きつつ。。
人に何かを伝えることがうまくない
人に何かを伝えるのがうまくないと思っている。
伝える順序がおかしかったり、思考が飛躍したり、すごく抽象的になったり。
だから、誰かと話すとき、ワンテンポ遅れることが多い(ように思う)。
その空いた間で、これは本当に言っていいのか、伝え方を間違ってないか確認している。(つもり)。
すると、間に乗り遅れることも多く、発することなく終わる言葉も多い。
その人や集団の特徴や性格が分かるまで、なんとなくコミュニケーションがスムーズにいかない感覚もある。
何か決定的なきっかけがあったわけではないと思う。
コミュニティが広がるにつれ、付き合う人たちの年齢が上がるにつれ、伝えたいことがうまく伝わらない感覚になることが増えた。
そして、言葉を選ぶ作業をすることが増えた。
だいたいいつも思ったことをすぐには口せず、一度か二度校正をかけている。(めんどくさい人間...)
言語を学んでから言葉への意識が変わった
"どんな場面にも適切な言い回しがある"
ことを強く意識するようになったのは言語を学んでからだと思う。
より良い伝え方を考えて、校正する。
外国語を書くときのクセが日本語にもうつったのだろうか。
相手や場によって、より良い言葉を探す。
言っていいこと、言ってはいけないことも探る。
また、最近は、"丁寧に言葉を扱う"ことに意識が向いている。
丁寧に言葉を扱える人の文章は、頭を通さずスッと心に届くようで好きだ。
自分もそんな表現ができればいいなぁと憧れる。
感覚で生きるタイプ
そんなことを考えるうちに、どうやら自分は感覚が強いタイプなのかもしれないという結論にたどり着く。
感覚を言葉にするのは難しい。
やっと言葉にしたその感覚が他人に伝わるのはさらに難しい。
言葉にできた言い回しをストックしていって、いいタイミングでぽんと出す。そんな感覚。
ここが既に感覚。自分でびっくり。
ちなみにどうやら、心と体の感覚は密接に関わっているらしい。
おへそのあたりの重さ、肩の重さ、目の張り具合...自分は心の状態をこれらの部分で感じているような。
どこかで機会を見つけて勉強してみよう。。
noteというツール
書くときは相手の時間や間を何も考えなくていい。
言い方を間違えれば何度でもやり直せばいいし、
言葉が足りなければ付け足せばいい。
自分の気に入る表現が出てくるまで、じっと待てばいい。
感覚を言語にする練習ツールとしてnoteは非常にありがたい。
感覚が言葉にならず挫折することも多いが...
自分のために書いている、とはいえ言葉の扱いは丁寧に。
習慣はふとした瞬間に表れてしまうから。
これからもゆるっと書いていきます。。
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