進化。深化。神化。

自伝を読むと、自伝を書きたくなる。別に大した人生を歩んできたわけではないけれど。

オタクはルーツを遡る能力に長けている人が多い。今の若い(10代くらいの)オタクの中で、初期のボーカロイドを聞くのがエモいのだというのを聞いた。なんとなく、前の世代に憧れるという気持ちはわかる。

アーバンギャルドにハマったきっかけは思い出せないが、(ニコニコに登録したての頃に、松永天馬の政見放送を見て、本当に政治家なのだと勘違いした記憶がある…今になって思うと当時小学生だったとはいえあほすぎる)坂口安吾や夢野久作に傾倒していたので、惹きつけられてハマるべくしてハマったのだろう。

私は教育関係の仕事をしているが、とかく人を変えることは難しい、そう常々痛感しているし、そもそも人を変えようなんて気持ちがさらさらない。小さな子どもも、大の大人も、人の言うことなんて、これっぽっちも聞いちゃいない。高校生くらいの頃は、今の政治は、今の世界はだめだ!教育で未来を変えなければ!なんて本気で思っていたし、そのために国防の本を買い込んで国会中継も片端から見ていた。

しかし、人と関わるうちに私の幻想は打ち破られた。言えることは限られてるし、そもそも話を聞いてくれてないし。それでも極々稀に私の一行動によって影響される人もいる。種を蒔くような作業なのだと思う。それが芽吹くかどうかはわからないが、種を蒔く、条件が重なれば芽吹くときもある。その芽吹くのがどのタイミングかはわからない。明日かもしれないし、来年かもしれないし、何十年後かもしれない。

しかるべきときに、しかるべくことをする、そのことによって道が繋がる。私は就職のときに希望していたところに行けなかったのだが、そのおかげで今の職場に巡り合えた。何か見えない力に引っ張られたんじゃないかと思うくらい、偶然に偶然が重なっていた。

私は体育会系のノリが苦手だし、(部活に馴染めずにすぐ幽霊部員になる生徒だった)そもそも努力!根性!みたいなものが苦手なのだ。試験に受かるためにしていたことも、努力という感覚ではなく、必要なタスクをこなすという感覚だった。努力をしても実は結ばないのだと思う。なんだろう、努力ということばに力が入りすぎている気がする。空回りしているような。

アーバンギャルドの音楽を聞くと、落ち着く。私がアーバンギャルドを聞くときは精神がざわついて、今どこに立っているのか分からずふわふわしているとき。早朝、出勤するときに「水玉病」を口ずさむ。別に死にたいと思っているわけではないけれど。仕事に向かう憂鬱な気持ちとチャンネルがリンクしているのだろう。周りで誰かが聞いていたらギョッとしているかもしれない。

でも、私が好きなものを好きだということは誰にも邪魔されない。ライブに行こうか、まごまごしている間にメンバーが脱退することもある。バンドが解散してしまうこともある。行けなかった後悔をしたくないから、ライブに参戦する。

人が、たとえばバンドの作る曲が、変わってしまったと嘆く人は存外多い(というか声が大きい)。変化を楽しむ余裕がないのだろうか、それとも昔はよかったという懐古主義に浸りたいのだろうか。その人たちの話すことばに力はない、と私は思う。昔好きだったもののバッシングをする暇があるなら、次のコンテンツに移ればいいのだ。ぬるま湯に浸っていたいのだろうか、とも思う。年代によって聞く音楽が変わるのは至極当然のことと思うし、音楽をしている人たちが変わるのもまたしかり。変化がない予定調和な人生など、生きていてつまらないだろう。

つい最近、若くして老成している人は、人生の苦難を前借りしている(要約)といったような内容のツイートを見た。私の人生、やたらめったら苦難が多かった。他人から見たら些細なものもあるだろうが、辛く苦しく長い戦いだった。水は低きに流れる、人は易きに流れる、だから私は立ち向かおうと思ってきた。しかし、行雲流水、流れるままに身を委ねることもよいのかもしれないと思い始めた。大きな石で川を阻んだところで、大して水の動きは変えられないけれど、私自身が水になって少しずつ少しずつずれていけば、川の流れは少しずつ変わっていく。あんまり身を委ねられてない気もしてきた。まだまだ勉強不足。

批判する人たちの声は大きい。気に食わないものに対する攻撃性は昔から変わっていない。その人自身は何一つ生み出していないのに、批判することにエネルギーを使い果たしている。別に、世の中に不満があるなら耳を塞いで目と口を噤んで孤独に暮らせ、とまでは言わないが、経験してもない人間が話すことばと経験している人間が話すことばとでは重みが違う。経験した気になってしまっていることが問題だろう。とりあえず一歩踏み出してみればいいのに。その一歩も踏み出さないまま、同じところでぐるぐるぐるぐる回り続けている。傍から見れば滑稽極まりない。

アーバンギャルドは進んでいく。変化していく。アーバンギャルドが何処へ行こうとも、私はその先を見たいと思う。飽きてしまったら、どこか違うところへ行ってしまうかもしれないけれど。よこたんの、天馬さんの、けい様のやりたいようにやっている姿を、今暫くは見続けたいと思う。願わくば、天馬さんが言っていたアーバンギャルドの映画とやらを見てみたいなぁということを書き記しておく。実現したらいいなぁという想いがあることを示すことは大切かと思いまして。

#わたしの水玉自伝

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