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ただ、傍に居させてくれた

ばぁちゃんに癌が見つかった。

1ヶ月前に報告を受けたとき僕は、あまり深刻に受け止めていなかった。
ばぁちゃんは過去に4回骨折し、そのたび復活しては「毎日お経をあげているから」と笑顔で語る人だった。

だから、今回もまぁ、何とかなるだろうと思いたかったのだろう。
けど現実はステージ4で、87歳のばぁちゃんはもう、手術ができる段階ではなかった。

コロナ禍では一度入院すると、面会も難しく介護もできなくなることから、実家にベッドを搬入しての自宅療養にしたのだと父から聞いた。

それとばぁちゃん本人が、アルツハイマーの症状と元々気の強い性格から、医師から伝えられても自分が癌だとは認識していないとも聞いた。

6年振りに会ったばぁちゃんは、横になったまま元気はないが、笑顔で迎えてくれた。背中をさすって欲しいというので、そうしながら会話をした。
「初めてできた孫だから」と何度も言われると、生まれた順番だけでそんな肯定をされていいのだろうかという気分になるが、両親との関係が上手く行かず、留学先から戻ってきた小学校にも馴染めなかった僕は、それに救われていたのだと思い出した。ただ、傍に居させてくれたのがばぁちゃんだった。

叔母が背中をさするのを変わってくれたので、僕は空いた手でばぁちゃんの頭をずっと撫でていた。ベッドの手すりごしにそうすると、自分が赤ん坊の頃、逆の立場でこうされていたのかもしれないな等と考えた。

それからして、別の叔母親子が合流。ばぁちゃんの若い頃の白黒写真を、スマホでカラーライズして見せたり、昔の話を聞いたりなどして盛り上がった。


そろそろ家を出る時間。
「次はいつ帰ってこれる?」と聞かれたので、
「再来月、ばぁちゃんの誕生日には帰ってくる」と約束をした。
「それまでに元気になっておく」と返ってきた。

僕は、それが叶いそうにない事を知っている。
たぶん、ばぁちゃんもそうなんだと思う。

横になったままのばぁちゃんにおぶさり、強く抱きしめた。
ばぁちゃんからも、強く返ってきた。

だけど、願わくば、現実が裏切ってくれると嬉しい。
現実を見据えた上で、期待もできるほうが幸せだと今は思えるからだ。

米寿のお祝いを、できることを願っている。


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