必要最低限の温かさ

 仕事が納まることなく新年を迎え、やっと迎えた休日も、身体の声に従いそのほとんどを寝て過ごしてしまった。それで疲れがとれるなだまだましも、過剰な睡眠により心身共に調子を崩してしまい、新年早々なにをやっとるんだと自分の馬鹿さ加減に呆れうなだれた。わかりやすい負の連鎖。

 なんとか流れを変えようと、お香を焚いてホットココアを淹れる。立ち上がる煙は気分をやわらげ、内臓が温まることで安心を得る。少しだけ前向きになり、シャワーを浴びることもできた。湯にうたれながら身体が慰められていく感覚があった。それは何故なのかと考えていたらこの、身体に熱を得る行為自体が、愛撫の代用なのだと自分の中で腑に落ちた。以前より、湯船に浸かっているときの安堵感は「母親の子宮の中にいた時の記憶を想起させるから」だと思っていたが、シャワーからもこんなに慰めを得ていたとは。

 とまぁ、これは完全に自分主観での話。実際には身体が温まることで~血流がよくなって~といった理由があるのだろうが、重要なのは自分の中で腑に落ちたかどうかなのだ。

寒い日が続いている。

温かさをもって接してゆくぞ。
他人にも、自分にも。

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