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Lutraが始まるまで〜自分のことその7 (ソニー編もうちょっと!当時のソニーってこんなところだった気がする)

みなさんこんばんは!昨日までヨーロッパよもやま話を書いておりましたが、こっちの自己紹介シリーズも進めておきたい!(個人的に7月で自分の基本情報笑は全部Noteに吐き出しておきたい笑)と思い、今日はこちらの話をさせていただきます✨

ちなみに過去のお話はこちらです!そのうちシリーズ化(どうやってするかまた調べときます笑)しておいておきたいと思います😆

前回はソニー時代始まりとのことで、私がソニーに対して今でも思っていることや、一番学んだ自由闊達の精神が今に生きていることを書いてみました。今回はもうちょっと掘り下げて、やっていたことを思い出しながら当時のソニーの様子を私視点で書いてみたいと思います。

新卒入社だったので最初の2年くらいはいろんな研修を受けながら実務に少しづつ入っていくような生活でした。
元々化学畑だったので、半導体はドンピシャかというとそんなことないんですけど、学生時代に培った体育会の根性笑で最終的に製品仕様書をなんとか色々開発の人にご指導いただきながら書けるくらいまで成長しました笑

私は入社の面接の時にこう言ってました。
「結局ハードの中身を決めるものは技術であり、それを具現化しているのは部品である。ハードの市場を作っているのは部品だから、私はその仕事をやって市場を作ることにチャレンジしてみたいです」

当時のソニーの人事や営業の人は、私のそんな気持ちを大事にしてくれたように思います。最初は本当にチームMTGで議事録をとるような小さな仕事でしたが、先輩や上司が当時の自分から見るとかなり上(先輩が39歳とかそんな感じもw)だったのもあり、育てようといろんな仕事をくれたことが嬉しかったです。

ソニーはやってみよう!の精神が強くて、しかも「やってみよう!」とか言わなくても勝手に好きなことやってる人が多かったです。目的のある、ソニーでやりたいことがある人には結構自由にさせてくれる良い職場ではないかと思います。(逆にやりたいことがない人にとっては、何も起こらないというかみんなのこぼれ球のような面白くない仕事が回ってくるので居心地悪いと思います)

今でも忘れませんが、開発の人が夜21時からみんなで夜な夜な集まってゲームを作っていたり、色々物作って遊んでいたり、仕事っていうより楽しむ時間を作るために昼間働いて、夜遊んでるギークが一定数いました。
(そういう人は全然ソニーの中で出世しないんですけどw 私はソニーらしくて本当に好きでした)

当時の目標は「世界のどこに行っても通用する一人前の営業になる」でした。なのでいろんな仕事も嫌味も言わずこなしましたし、その中でやらかしたこともありますしw(見積もりで桁を間違えて出したり、購買の人と経営管理の人と間違えて見積もり案送ったりw 今でも細かい作業がめちゃめちゃ苦手ですw)
結構周りの先輩が営業も開発も研究の人もみんなレベルが高い(仕事のレベルも高いしスピードも早い)のでなかなか追いつくので必死で辛い思いをしたりもしました。終電の帰り道でうるうるしていたことも懐かしいです。

そんなこんなで奮闘してましたが、3年目くらいの時に自分の所属している担当領域の中ではかなり大きい顧客を当てていただいて、その大型案件を(お客様が賢い方で大変良くしていただいたのもありますが)特に苦しみもなく自然にこなせるようになって、毎日午前中にほぼ仕事の大半を終わらせてぼーっとする日常が増えたきた時に、「ああもしかしたら自分はもう一人前になったな。ここで学べることはまだあるかもしれないけど、私はもっと早く大きく成長したいな。」と感じるようになり、目標を達成できたかもなと感じることができました。

そして、何の後ろ盾もないまま、まずはこの世界を出て、そこから今までみたいにソニーに守ってもらうのではなくて、新しい自分の成長を求めようと思い、退職届を出して関西に戻っていくのでしたー・・。

その後に大きな幸運と大きな地獄笑が両方じわじわ待っているとも知らずに笑

今日はこの辺りにしておきます。明日から関西編で私の職能のコアになる部分の背景を書いていけたらいいなと思っておりますー。

それでは、今日もありがとうございました。おやすみなさいませ☺️

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