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桜風堂ものがたり

村山早紀 2016 PHP研究所

一人の青年が、自分の居場所を見つける物語である。
保護者に傷つけられた少年や、捨てられた仔猫や、飼い主が先に逝ってしまったオウムも一緒になって。
寂れていく小さな町で、継ぎ手のないまま灯火を消そうとしていた本屋が息を吹き返すために。
子どものころに傷ついたままの心を抱えたまま、踏み出せなかった足を踏み出す。

一冊の本を、いろいろな人が売り出そうとする物語でもある。
その本に可能性を見出した書店員がおり、その書店には同僚や上司がおり、それぞれに家族や友人達がおり、書店がテナントとして入っているビルの人々や、そのビルのある町に人々がいる。
書店員同士にもまたネットワークがあって、連帯感があって、書店という垣根を越えて繋がっていく。
作家がおり、その作家の家族がおり、作家が前職で関わった人たちがおり、本を出すために関わったたくさんの人たちがいるのだ。
誰も抗うことも、止めることもできない、大きな大きな波が、ほんの小さな努力の積み重ねで生まれていく。
いざ、ことが動き出していこうとする時の高揚感はたまらなかった。

人々は、正義感を気取った暴力的な悪意で連帯することもあるが、奇跡のような素敵なことを成し遂げるために連帯することもできる。
前者では涙が流れるほど心を揺さぶられることはない。
そこにあるのは、意地悪なにやにや笑いや、さげずみのまなざしや、人を傷つける言葉だ。
被害者が加害者に対して迫害者になることがあるが、そこに無関係な善意と正義をふりかざす無知な第三者が尻馬に乗って登場することに、SNSは拍車をかけている。
この現象が匿名性の弊害の部分であり、想像力の欠如がいかに人を残酷にするか、作者は鋭敏な感受性と繊細な感覚で提示する。
これでは、泣くとしたら、悲しみの涙しか、私は思い浮かばない。
後者だからこそ、涙が溢れる。

そこには祈りがあるから。
この本を一人でも多くの人に届けたいという祈りだったり。
本と本を売る場が、この世界から消えてほしくないという祈りだったり。
過去から悔やみ続けていたことを、ほんの少しでも許されたいという祈りだったり。
大事な人が、ほんの少し、笑顔であってほしいという祈りだったり。
居場所を守りたいという祈り。誰かを守ってあげたいという祈り。
誰もが、幸せになっていいのだから。

悲しい涙ではない。だが、心を揺さぶられると、言葉にならない想いが涙になる。
胸が温まるような、慰められるような、励まされるような、自然とにじみ、溢れる涙だ。
そんな風に、途中からは涙が止まらなくなるほど、胸が揺さぶられる物語だった。
主人公は表紙に描かれている月原青年であるが、群像劇になっている。
幾人もの、多かれ少なかれ傷つきを抱いていた人たちが一歩を踏み出す、とても素敵な物語になっている。現実に、傷ついたことのない人なんていないわけだしね。
しっかりものの渚砂も、不器用ものの苑絵も、どちらも愛しくて、かわいい。
店長や副店長、某女優など、大人たちの頼もしさもかっこいい。
百貨店の、名前は出てこないけれども、さらりと自分の仕事をこともなげにやってみせるスタッフ達が、とてもかっこいい。

こういう小説を読むと、何度でも思う。
自分も大人として、小さいもの達を、少しでも守ったり、支えたり、励ましたり、慰めたり、どうしても必要な時には叱ったり、していけたらいいな、と。
プロとして、さらりと仕事をしていけたらいいな。

もうひとつ、私にとって面白かったことを書いておきたい。
複数の書店員が同じ本について、POPを書いたり、帯を考えたりする時に、ピックアップする言葉が違うということだ。
その言葉をつなぎ合わせることで、『四月の魚』という物語中の本の内容を察することができる仕掛けだ。
きっとこの『桜風堂ものがたり』について、多くの人が感想を書くと思うのだが、その感想がひとつとして同じではないことを、許されているような気がした。
この作者さんは、感想の正解がひとつではないこと、むしろ、正解なんてないことを前提にしていらっしゃるんじゃないかと思った。
人によって惹かれる言葉が違っているのは当たり前だし、好きな場面や登場人物もそれぞれなわけだし、きっと、さまざまな感想がSNSの世界で花開く。
多様であることが当たり前のように前提にされていて、なんだか、とても嬉しくなったのだ。

子どもの頃から、寄り道するといえば本屋さんだった。
大人になってからも、寄り道するなら本屋さんが一番だ。
だが、街中から本屋さんが少しずつ姿を消していっている。
そんな状況が垣間見える小説は、これまでもいくつか読んだことがある。
大崎梢さんの『成風堂書店』シリーズもあった。
有川浩さんの『三匹のおっさん』にも万引きの場面が出てくる。
友人が書店員をしていた頃にも色々聞いたけど。
私には、本と本屋さんは不可欠なのだ。
この本は、旅先で買ったけど、やっぱり最寄の本屋さんで買いたかったなぁ。

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