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孝行娘になりたかった

1回目のBEP療法の入院から退院した日が、ちょうど、母の日だった。
前後して、Twitterを見ていると、さまざまなカーネーションや芍薬の美しい花がアップされていた。羨ましかった。
この数年、私はいつも決まった花屋さんで、芍薬のアレンジメントを母に選ぶ。
その花屋さんも数年前に火事にあって苦労されたところで長い付き合いであるから応援したい。しかも、いつも素敵なアレンジメントを提案してくださる。
そう思うと、日付にあわせて通販で花束を送るのもためらわれたまま、母の日が来てしまった。

母を喜ばせるようなものを何もしてあげられなかった。
それが悔しくて、退院の翌々日、まだ体調がよくない中、どうしても銀行に行かないと手持ちのお金がなくなっていたのもあって、母につきそいをお願いし、くだんの花屋さんまで足を伸ばした。火曜日なら、まだ芍薬かカーネーションが残っていることを祈りながら。
残念ながら芍薬は残っておらず、あったのはブルーのカーネーション。サントリーが開発したムーンダストという名前のカーネーションだ。
これはこれできれいなんだけど、白とあわせると仏花のようになっちゃうし、と迷っていると、切り花を選んでいるのを母に見つかった。
そこで、母の希望も取り入れながら、ピンク系のふんわりした菊と、コバナズイナをあわせて花束を作ってもらった。
居合わせた他のお客さんが素敵だと声をかけてくれるような花束になった。
ピンクから紫の優しい色合いで、上品な花束になった。

母とはうまくいかなかった時期もある。
それは、私が反抗期だったり。
母も母で、現家族との介護や看護、父とのあれこれと、彼女の人生の課題が次々と押しかけてきたことにある。
母の言うこと、なすことに、イライラしてしまった時期も長かった。
最近、自分が母にイライラするのは、私が母に甘えたいのに、母がうまくキャッチしてくれない場合が多いことに気づいて、イライラしたあとに恥ずかしくなる。いい年こいて。

母も70代半ば。手足に痛みを抱え、物忘れも少しずつ目立つようになってきた。
6人兄弟の末っ子で、実母に甘やかされた記憶は少ないようだ。早くから働いて家計を支えることを求められてきた人だった。
実家から婚家へ。家を支えてずっとずっと働いてきた人が、誰かに甘えたり、支えてもらいたい気持ちになるのもむべなるかな。
残念ながら、この娘は闘病中だし、力仕事はできないし、両親に似て片付けは不得意だけれども、この十年、少しでも家事を手伝うように心がけてきた。
できえば、母に失われた娘時代を、ほんの少し、取り戻してあげたかった。
母の機嫌が悪いと、父にも私にもいろんな流れ弾が飛んでくるし……。

そう思って母の誕生日と母の日は大事にしてきたつもりだった。
私も母に、きれいな芍薬を送りたかった。
数年前、とてもうっとりと眺めていたあの顔をまた見たかった。
まるで自分が孝行娘になったかのような、その気分を味わいたかった。
この年になっても、私は母の自慢の娘でありたい気持ちを抱えている。

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