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ゆめのつばさ

ああ、やっと自由になったのね。

たくさんの鉄の雨が降ってきて、閉じ込められたまま燃えていくのはつらいことでした。
燃えるものがすべて燃えつきた時、ぷしゅーっとため息をつくような音がしました。

ムリーヤ。
彼女の名前は、ムリーヤと言います。
ウクライナという国の言葉で、夢という意味です。
素敵な名前でしょ?

ムリーヤが生まれたのは、ソビエトという国があった頃。
宇宙まで飛んでいく仲間を背中に載せて運ぶために作られたのです。
だから、ムリーヤはとっても力持ち。
世界一、大きくて、重たくて、立派なからだを持っています。
それでも、軽々と飛べるように、立派なエンジンを6つも持っています。
くるんとかっこよく回れるぐらい、飛ぶのがうまい飛行機なのです。

けれど、宇宙に行く仲間を背中に載せたのは一度だけ。
ソビエトという国が、ロシアという国に変わって、いろんなことが変わってしまったのです。
それからしばらく、ムリーヤは、ウクライナの空港の片隅でひっそりと眠りについていました。
ときどき、にんげんがやってきては、ムリーヤの体から重たい部品をひとつ、またひとつと持っていきました。

ある日、すっかり軽くなってしまったムリーヤに、話しかけてきたひとがいました。
「やあ。もういっかい、きみを空に飛ばせるよ。みんながきみを待っている」
それから1年もかけて、ムリーヤはぴかぴかに生まれ変わったのです。

真っ白でつやつやの機体に、実った小麦のような黄色いライン。青空のようなブルーのライン。
2本のラインが正面から尾翼まですうっと流れるように描かれました。
おなかは淡いブルーで、下から見上げたときに空にとけこみそうです。
なくなった部品はすっかり新しくなって、生まれ変わったような美しさです。
ムリーヤは嬉しくなって、くるりと空で回りたくなりました。

そこからのムリーヤは大活躍です。
なにしろ大きな飛行機なので、操縦室の中もゆったりしています。キッチンだってあります。
ぱかっと大きく首をあげると、荷物がいっぱい入る広い空間が口を開けます。いちばんたくさん荷物をつめたら、250t!
ついでに、にんげんだって70人ものせることができます。

ムリーヤは、たくさんの荷物を載せて、いろんな国を旅するようになりました。
時には、大きな地震や津波で被害を受けた土地へ、病気の流行に苦しむ土地へ。
ひとを助けるひとと、ひとを助けるものを載せて、駆けつけました。
誰よりも大きくて、誰よりも力持ち。
ムリーヤはみんなに愛されました。

うわぁあと声をあげたまま、大きな口を開けて、見上げる人がいました。
下から指をさしたり、空港のビルの高いところから見下ろしたり。
ほかの飛行機と並ぶと、ムリーヤの大きさにびっくりする人ばかりでした。
カメラを取り出して、写真を撮る人たちが待ち構えているときもしょっちゅうです。
そういうとき、女王様のような気分で、ムリーヤは誇らしくなります。

「おまえはどんな飛行機よりも、よく飛ぶね」と優しくコントロールパネルをなでてくれた手がありました。あたたかくて頼もしい、大きな手の持ち主は、機長と呼ばれていました。
「今日もあなたが一番美人よ」と機体をぴかぴかに洗ってくれるスタッフがいました。
「ごきげんいかが? いいこさん」と、飛ぶ前には必ずどこもかしこも点検してくれるスタッフもいました。
「よい旅をね。無事に帰ってくるのよ」と、ムリーヤを滑走路に向けて誘導してくれるスタッフもいました。
ムリーヤは毎日まいにち、たくさんのひとの手になでてもらってきたのです。

お天気がよくて、地上から気持ちよく空に向かって舞いあがる日もありましたが、吹雪で前が見えづらい日もありました。
あんまりお天気が悪いと、今日のフライトはお休みだね、なんてこともありました。
ムリーヤのお仕事はいつも大事なお仕事だったので、できれば予定通りに飛びたかったけれど。
雷の日は大嫌いでした。避雷針がついていたって、頭の上から突然、ずどん!と来るのは、嬉しくありません。
それでも、どんなに雨が激しかったり、風が吹きつけていても、黒くて分厚い雲を抜ければ、真っ青な空がいつも広がっています。
ムリーヤに描かれたラインのような、美しくて鮮やかな青空が待っているのです。
だから、離陸の瞬間はいつも、わくわくしました。

たとえ、夜のフライトであったとしても、青空の下では見られない美しい景色を見ることができました。
夜空に広がる満点の星。地上から見上げるよりも、もっとずっと近くに星々を感じることができるのです。
そして、地上にはたくさんの光があふれていました。
ひとつひとつ、人が灯した光です。その光が海岸線を教えてくれたり、大陸を横切る道を教えてくれました。
大きな町は昼間のように明るくて、ムリーヤの目的地を教えてくれます。
黄色は光の色。希望の色。真っ黒な夜の闇を切り裂く光になった気分も、かなりよいものなのです。

今、ムリーヤの中には、美しい花がいっぱい咲いています。
クロッカスやチューリップ、水仙やばら、菜の花やひまわり。黄色い花がいっぱい咲いて、気持ちのよい風が吹いているみたいに、さわさわと揺れています。
花たちをかき分けて、犬たちや猫たち、うさぎたちにりすたち、小さな生き物たちが跳ね回ります。
キエフの動物園でみんなに愛されていたキリンや、ヒグマの姿も見えます。
コブハクチョウたちがお尻をふるようなゆっくりとした動作で歩いています。
ツバメとコマドリとヒタキの仲間が、春を告げる歌をきそいます。

重たい装備を身に付けて、青白い顔をした、若い男のひとたちも乗り込んできました。
頭や体から血を流し、雪の中で凍えて、疲れ果てて、恐怖と痛みに顔がこわばった男のひとたちは、びっくりして立ち止まりました。
その後ろからもう少し身軽な服装の、やっぱり頭や体から血を流しているひとたちも乗り込んできました。
男のひとも女のひともいます。年を取ったひとも、年若くて幼いひともいます。
腕や足を失っているひともいます。顔のかたちがわからなくなっているひともいます。
何もわからないままミサイルが撃ち込まれた建物に押しつぶされたひともいました。輸送機に乗ったまま撃ち落されたひともいました。橋と共に爆発することを選んだひともいました。熊のぬいぐるみを落としてしまって、うろたえて泣きそうになっているひともいました。入院していたのに必要な手術を受けられなかったひともいました。
彼らは顔を見合わせると、少しずつ近寄りました。お互いに、はにかんだ笑顔を浮かべ、ハグをしたり、肩を叩いたりしました。
固いヘルメットや、ずっしりと重たい武器や、泥だらけの堅苦しい制服を脱ぐように、お互いに助け合いました。
なにかを脱ぎ捨てるそのたびに、赤い血が薄れて消えます。泥やすすやほこりや涙の跡が消えていきます。
かおやからだが元通りになっていきます。青白かった顔に血の気が戻り、笑顔がひろがっていきます。

ムリーヤは、さあ、飛びますよ、と体をふるわせ、ふわりと舞い上がりました。
滑走路もでこぼこでぼろぼろになっていましたが、今のムリーヤなら大丈夫。
エンジンはいつもよりパワフルで、からだは軽く、どこまででも飛んで行けそうです。

ムリーヤは地面をすれすれに風を立てるよう飛びました。
小麦畑やひまわり畑を揺らし、高い高い山の雪をまいあがらせ、湖や海に波を立て、傷ついたひとや悲しむひとのこころに光と風を届けるように。
自分が死んだことに驚いて呆然としている人たちの魂を見つけるたびに、ひろいあげてのせていきます。
いろんな肌の色、いろんな髪の色、いろんな瞳の色の人たちが乗り込んできます。
美しい緑色の瞳の大柄な三毛猫が、ひとりの人の足にするりと額をこすりつけました。砲撃の中で愛する猫を見失って悲しくなっていたひとは、ほっとして涙を流しながら喜びました。

いくらでも、いらっしゃいな。
ムリーヤは誰よりも大きくて、誰よりも力持ち。
ひとを助けるために飛んできた、夢の翼。
たくさんのひとに愛されてきたように、ムリーヤもひとが大好きなのです。
ムリーヤのカーゴの中も、客席も、今はもうとてもにぎやかです。
みんながにこにことしています。ほがらかな笑い声や歌う声が、ムリーヤの燃料となって、もっともっと高く飛んでいくのです。

ムリーヤは地球を何度も何度も回ります。光よりも速い速さで。
ムリーヤにはわかりました。今なら自分が宇宙まで飛んでいけます。その向こうの天のかなたまで飛んでいけるとわかりました。
どこまでも遠く、どこまでも高く。
光のかなたへ。

いつか、また、ムリーヤが呼び戻される時が来るまで。

*****

村山早紀さんがTwitterで、「どこかの国で、ムリーヤの生涯の絵本が出ないかなあ」とおっしゃったのをきっかけに、絵本をイメージしながら書いてみました。
私は絵を描くのは苦手なものですから、やわらかな筆致のパステル画を、どうか想像でおぎなってくださいな。
これを書いた後にキエフの動物園の動物たちは無事であることを知りました。
出てくるヒグマさんやキリンさんは歴代の、いつかいたかもしれない動物ということでお願いします。
どなたの魂も平安でありますように。地には平和がおとずれますように。祈りを込めて。

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