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病歴25:精神的なケア

現在、私は、がんの治療に関して、婦人科、緩和ケア内科、精神科で治療を受けている。耳鼻科や眼科にも通っているが、それは直接、がんには関係ない。

婦人科の主治医は、大変、忙しい。
服薬について、症状について、なかなか相談しづらい。
それで、緩和ケア内科にも相談するように、取り計らってもらうようになった。
それが一年ぐらい前だっただろうか。
抗がん剤治療が終了して1年が経過しても体力が戻らず、リムパーザ(オラパリブ)の服用を断念したくなっていた頃の話だ。
オラパリブは、抗悪性腫瘍剤とか、ポリアデノシン5'二リン酸リボースポリメラーゼ(PARP)阻害剤、分子標的剤という種類になる。
これもまたプラチナ製剤の一種であることには変わりなく、骨髄抑制する。
味覚障害や倦怠感、息苦しさが強く、動くと息切れがしたり、動悸がひどくて胸が苦しくなったり、つらくてたまらなかった。
けれども、最大容量の600mg/日を摂取するほうが再発防止の成績がよいわけで、減らすこともためらわれていた。

服薬していては十分に働けない。
十分に働けなければ、経済的にも苦しくなるから、治療の継続が難しくなる。
なにしろ、オラパリブ150mg錠は5185.1円。1回2錠で10370.2円。1日2回だから、1日20720.4円。30日で622212円。365日7570246円。
高額療養費制度があるから治療を継続できている(それでも、年間の治療費はなかなかの金額になる)。
自分の治療をしながら、老いた両親を養いつつ、世話もしつつ、就労を継続しなければならない。
それなのに、自分の体が思うように回復せず、疲労しやすく、抗がん剤治療が終了して1年経過してもフルタイムに戻れない。
自分が役立たずであり、生きている価値が無いと感じ、治療をすべて投げ出したくなる。できるものなら早くこの世界から消えてしまいと考える。
いっそ、維持療法を中断したら体力が回復するのではないか。そして、フルタイムで働いて、いつか来る次の再発のために貯金したほうがよいのではないか。
考えれば考えるほどつらくなり、ふとした瞬間に落涙するようになったこともあって、緩和ケア内科医につないでもらったことに助けられたし、そこでカウンセリングも受けるようになった。

それまでも、緩和ケア専門の看護師さんがお話を聞いてくださることがあった。
私の場合、問題状況を解決するような話し合いよりも、愚痴を傾聴してもらうほうが適切であろうと思い、今回は公認心理師のカウンセリングを希望した。
最初の数回は、泣かせてもらう時間とばかりに、泣かずに話せたことはなかった。
緩和ケア医や公認心理師に聞いてもらいながら、オラパリブの容量を400mg/日に落として、忍容性をあげて継続することにした。
睡眠薬をマイスリー(ゾルビデム)からデエビゴ(レンボレキサント)に変更し、横になって身体を休める時間をしっかりと取ることを心掛けるようにした。
両親についても、父親に介護保険の利用を勧め、週に一回、デイケアに通う体制作りをした。
家事負担の軽減については、割り切ってお弁当を買って帰ることを増やした。
その分、後日の健康診断で、コレステロールの高さを指摘されたのは致し方ない。

2022年に入るまでは、それまで、なんとかかんとか、もっていた。
精神科にリファーされて、レクサプロ(エスシタロプラム)だったと思うが、抗うつ薬を試したことがあったのだが、あまりにも眠くて継続して服用することができなかった。
それでも、ほんの3日ほどのことであったが、ぐっすりと寝て、くよくよ考えず、ちょっとしたリフレッシュにはなったような気がする。
それが、2021年の年末頃から、近所に住む叔父のことで、どう介護をしていくか、考えねばならないことが増えた。
2022年になってからは、2年半前私の再々発と同じ頃に同じ卵巣がんがわかった叔母が、余命は今年いっぱいと言われたという知らせが届き、心にずしりと重荷が増えた。

2月24日。ロシアがウクライナへ侵攻した。
とても怖いと思った。ロシアが向く方角が西側ではなく、東側だったとしたら、明日は我が身だ。
我が事のように恐れ、我が事のように腹が立った。
一概に言えるほど、世界は簡単ではないし、私は事情に詳しくない。
それでも、ただ普通に生活をしている人々が、ある朝、いきなり爆撃されて目が覚めるなんてことが、あってはならないと思う。
子ども達を殺し、老人たちを殺し、犬や猫を殺すことの、どこに正義があるのか。
大義名分になるようなロジックが成立すると思えない。
noteにもいくつも書きかけのまま、手が止まっている記事があるのだが、自分の考えを文字にしてまとめることは難しい。
ただ、あの日から私は怒り続けなければならないと思っている。
許してはならない。忘れてはならない。遠い世界の話にしてもいけないし、自分と関係ない話にしてもいけない。当たり前にしてはならない。
同時に、シリアやスーダン、アフガニスタンやイエメン、あるいは、ガザ。ほとんど報道されない国々や地域のことも、思いを馳せ、胸を痛め、祈り続けていたいと思った。

この怒りが私のキャパシティを超えたのだと思う。
その叔母を思って情緒が不安定になっている母をなだめながら、痛みで歩けなくなったという叔母が自分の将来図であると受け止めるだけでもつらく、これは仕事にも差し障ると感じるようになった。
再び、精神科に受診させてもらったところ、仕事を休むように言われて、医師に対して不満と不信を感じた。
この状況で仕事を休んで毎日家にいるとしたら、私はテレビの垂れ流すウクライナの悲惨にさらされながら、エンドレスで母親の情緒をケアしなくてはいけなくなるではないか。
しかも、収入が減る。有給休暇を使い果たしていたので、時短でしか働けず、就労を継続していても、私の収入は激減していたのに。
無理である。無茶である。無謀である。御免こうむる。

精神科の診察室を出て、頭を冷やしながら考えなおせば、私の負担を減らすためには仕事を休めと言うのが一番簡単なのだ。
家事を休めということは難しいし、家族関係を休めというのもできないし。
わかるんだけど、私にとっては、多くの大変なことは家の中で起きていて、仕事の方が気晴らしになっているから難しい。
わかる。わかるんだけどね。
紹介してもらった他院の他医に今後は相談することになった。

そんな経緯があって、3月上旬からトリンテリックス(ボルチオキセチン)を服用するようになった。
リムパーザとの相性で効果が出にくい可能性を指摘されたが、マイルドな効き心地というか、自然に落ち着く感じがよかった。
無理やり押さえつけられているような感じもないし、無理やりテンションを上げられるような感じもしない。
両親に対して、イライラすることなく生活できるようになったことと、日々の作業を後回しにしたり、うっかり失念することなく取り組めるようになっていた。
ウクライナ侵攻のニュースを見ても、知性と理性で怒りを感じるが、身を焼くような激しい怒りの情動は湧きあがらなくなった。
2回目の処方のときには容量をあげることを提案されたが、最初に処方された量で、個人的には過ごしやすくて満足だった。
ちょっとだけ、吐き気が強いような気もしたが、そもそもリムパーザで吐き気があったので、気にはならなかった。

4月になり、抗がん剤治療を受けることになった時、精神科の医師と相談することができず、やめれる薬はやめた方がいいのではないかと助言をもらったこともあって、一旦、トリンテリックスを中断した。
一回目の抗がん剤治療が終わってから、精神科医にようやく相談することができて、吐き気のことを心配された。
それで、より、吐き気が少なく、夜が眠れるようにと、エビリファイ(アリピプラゾール)に変更になった。
不眠は、抗がん剤治療のための入院した時から、悪化していた。デエビゴだけでは入眠できず、中途覚醒しては再入眠できず、困っていた。
その点、エビリファイを使用してみて、猫が大騒ぎしても気づかずに寝ることができた。が、それはそれで困る。
更に、家族から「様子がおかしい」と指摘されたことがある。活動的すぎる、というのだ。

再発が分かった時から、気分が戦闘状態とでも言うべきモードにギアチェンジしているのは感じていた。
自分の中にはいくつかのモードがある。覚醒水準をあげて、マニックに防衛しているような感覚があった。
思ったより元気だとか、メンタルが強いとか言われるが、そういうわけではない。
やるべきことに対処していくために、知性化と合理化でガードして、過集中に入りながら、感情を横に置いているだけだ。
だが、それにしても活動しすぎる。なにかしていないと落ち着かないというか。じっとしていられない。
おまけに、便秘もひどくて不快だし。体重が増えちゃいそうで、すごく嫌だし。

というわけで、エビリファイも一週間で勝手に中断。
本当に、よろしくない患者である。
吐き気が多少してもいいから、トリンテリックスのほうが自然でよかった。私にはあっていると思うけどなぁ。
と、次回に主張しようと思う。

一回だけ、泣けて仕方がないときがあった。
抗がん剤の一回目の治療で入院していた時のことだ。
夜中だったか、一人で横になっている時に、ふと、考えた。
私は長生きできないのかもしれない、と、ふっと思い浮かんだら、涙が出た。
両親よりは長生きするという最低限の親孝行はしたいと思っているし、4匹の猫たちを最期まで世話したい。
そして、案外、寂しがり屋のパートナー氏より1日だけ長生きをしてあげたい。「君より3日だけ長生きすればいい」と言ってくれた人だけど、自分の方が先がいいと一回だけ言ったことも憶えているから。
誰も一人にしないで、見送ってやろうじゃないか。しょうがないな!と思っているのだ。
でも、できないかもしれない。そう考えると、涙が出てきて、口を塞いで声が漏れないようにして、泣いた。

帰宅してから、なんとなく、一人娘のほうが先にいなくなることもあるのかもしれないと、母が覚悟しているのを感じた。
たぶん、まだ、Stage 2bぐらいなので、勝手に殺さないでください、と心のなかで反論したい。
心配してくださる方がたくさんいてくださることはありがたいことだ。
だからこそ、尚のこと、私はいつも通りの自分でいたいと思う。

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