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病歴40:コロナ騒動

どうやら今日中に記事を書き上げないと、連続記録が途切れるらしい。
4月になって、ゆっくりと振り返る時間、文字を綴る時間が、まったくと言ってよいほど、なかった。

4月上旬、いつものように婦人科に受診し、腫瘍の大きさが4.5cmになったことを告げられた。
そうなると、主治医はどんどん話を進める人だ。
その日のうちにCT検査まで終わらせ、昨年の抗がん剤治療で一旦小さくなったはずの腫瘍も、やや大きくなってきていることがわかった。
維持療法として分子標的薬を経口で服薬していたのでは、腫瘍の活動を抑制するには不十分であり、次の治療に進む時期が来た、ということである。

ここで、いつもの、治療の選択肢をどうしよう問題発生。
これまで、カルボプラチンとパクリタキセルの抗がん剤を使用してきたが、昨年秋にカルボプラチンにアナフィラキシーを起こしたため、カルボプラチンは使えない。
パクリタキセル単剤であると、手足の神経障害がますますひどくなるかもしれない。
そこで、違う抗がん剤を使うか、手術をするか、という話になる。

手術をするなら最短で5月末。
それまで、1回でも2回でも、これまでとは違う抗がん剤を試してみることを勧められた。
手術の後に、ダメ押しで抗がん剤を使うのだから、とりあえず、効果があるかどうかを判定するためにも、別の抗がん剤を使ってみよう、という案だ。

というか、主治医、腫瘍に治療が必要と判断したら、なるべく早くに治療しないと、せっかくわかったのにもったいないと考える人だから、予定を詰め込むんだと思う。
来週はどう?と言われて、いやせめて再来週によろしく、と日程調整をした。

今回の抗がん剤治療は点滴に数日かかるので入院が必要と言われた。
BEP療法といって、ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンという3つの抗がん剤を使うのだそうだ。
ブレオマイシンは、肺にダメージを与える危険性(間質性肺炎)があるので、一生の間に4回しか使えない。
シスプラチンは、腎機能障害を引き起こしやすい、とも。
とりあえず、どんなものか、やってみないことにはわからない。

決まってからは、私のテンションは妙に高かったと思う。
こういう時は、躁的な防衛なのか、過集中になるのか、いつもにはない勢いでごりごりと懸案事項になることを片付けていった。
仕事に関連するあれこれもあれば、入院に必要な諸手続きもあり、せっせと動かないことには安心して入院なんかしていられない。
普段から、これぐらいの勢いで諸事を片付けられると、もっといいのだけど。

入院前の金曜日、仕事を早退して、PCR検査を受けた。
それが陽性だと電話がかかってきたのが翌日のこと。入院できなくなった。
それだけではすまず、高熱が出た。コロナのワクチン接種の時に毎回発熱していたので、似たような感じだと思ったが、さすがに本番は解熱剤が効きにくい。
39.5℃になったときには、自分でも意識がもうろうとしやすく、頭が回っていない感じがして、こりゃあやばいと思った。
通院先に電話したが、あいにくの日曜日で対応してもらえず、仕方なくふるえながら自室にこもった。

家族も次々にコロナになっていったので、こもってばかりもいられなかった。
あやうく一家全滅するんじゃないかと思った。
これまで大変だ大変だとは聞いていたが、本当に大変だった。
今も私は咳が続いており、両脇が痛い。
あんまり痛いので整形外科に飛び込んだが、骨折はしておらず、神経痛とのこと。
いずれにせよ、湿布を貼って、鎮痛剤を服むしかない。痛い。

そんなこんなで、先日、やっと、婦人科に再び受診した。
来月、改めて、入院するよう日程調整をしたところである。
主治医が「早くて来週月曜から」と言うものだから、いやいや、そこはもう仕事の予定が目いっぱい詰まっているからやめてようと心の中で悲鳴をあげつつ、再来週に予定を組んだ。
本来だったら4月中旬に抗がん剤治療の1回目を受けて、3週間後に2回目医を受けるはずだった、その2回目の入院になるだろうと予定を空けていたところに、1回目の入院が決まった形である。
予約制で引き受けるお仕事をしているので、なるべく顧客の皆様には予約変更の御迷惑をおかけしたくない。予定通りになってよかった。

とりあえず、できることをできるうちに。
入院の荷物を詰めるのがとても面倒なんだけど、受けてみるしかないものね。
とりあえず、一番免疫が弱っている時ではなくて、治療の合間で、少しは体力が回復しているときの罹患でよかった。

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