見出し画像

ドラゴンボールに込められているメッセージとは?(その2)

 <その1から続き>


・勝利に溺れる悪

悟空は敵を倒すのにそれほど執着していないのに対し、『ドラゴンボール』に登場する悪は、力や勝利に固執する者が多い。最たる例は、レッドリボン軍の総帥であるレッドだろう。

彼は、自分のコップレックスである「背の低さ」を治すためだけに、ドラゴンボールを集めていた。

しかし、自分の基地に悟空が乗り込まれ、軍が崩壊寸前まで追い込まれても、ドラゴンボールと悟空を倒すことに執着していた。

補佐官であるブラックが、ドラゴンボールを置いて避難しましょうと言っても耳を貸さず、あまつさえ、部下の命もないがしろにしていた。

そのために、とうとうブラックに見限られて殺されてしまうのだ。だが、そのブラックも、悟空との戦いで勝利に執着し、基地もろとも爆弾で悟空を破壊しようとするが、結果的に返り討ちとなってしまう。

レッドと違い、ブラックは組織全体のことを考えており、悟空とも最初は戦おうとはせず、話し合いで解決しようとしており、意外にも紳士的な一面があった男でもあった。

しかし、いざ、戦いとなったら、彼も勝つことに執着してしまい、基地もろとも悟空を爆破しようとしていた。まだ、部下たちがいるにもかかわらずである。

そして、レッドと同じように部下を犠牲にしようとして、結果的に破滅してしまう。

その姿は、ギャンブルで勝ちに執着し続けて、引き際を見失い、負けを繰り返して破産してしまう愚かさと似ている。

・愚かな師、鶴仙人

また、亀仙人のライバルである鶴仙人も、亀仙人に勝つことに執着している。弟子たちに教えている技を見ればわかる。

亀仙人が、心身を鍛えることをモットーとしているのに対し、鶴仙人は、多彩な技を教えている。

一見すると、鶴仙人のほうが優秀な師に思えるが、鶴仙人が教えている技は、舞空術以外は、気孔砲のように体に負担がかかりそうなものか、太陽拳のように相手の意表をつくものばかりである。

いかに鶴仙人が、相手に勝つことばかりを教えているというのがよくわかるが、それだけではなく、鶴仙人はなんと弟子を殺し屋にさせようとしていた。

人を打ち負かすことばかり考えているうちに、鶴仙人は弟子を犯罪者にまでさせようとしていたのだ。

弟子を悪の道に走らせるのは、もはや、師匠としては最低の行為としか言いようがない。

師の役目とは、必ずしも弟子を鍛えることばかりではない。弟子が誤った方向に向かわないように導くことである。

・生き延びることを忘れたフリーザ

悟空は基本穏やかだが、最初にスーパーサイヤ人になった際は、驚くほど凶暴になっていた。フリーザに親友のクリリンを殺されて、怒りに燃えたからだ。

そして、悟空は、崩壊しつつあるナメック星で、フリーザと決着をつけようとする。この時だけは、フリーザに勝利することに執着していた。それはフリーザも同じであった。

悟空とフリーザは死闘の末、とうとうフリーザが敗北してしまう。その際、半死半生になったフリーザが命乞いをしてきたのだ。悟空は、フリーザの身勝手な頼みに怒りを覚えるものの、フリーザにエネルギーを与えて彼を助けてしまう。

しかし、フリーザは感謝するどころか、勝利に固執するあまり、悟空に不意打ちして、殺そうとするが、フリーザの不意打ちに気づいた悟空は、彼を返り討ちにしてしまう。

フリーザは、その後、父親であるコールド大王に救出され、サイボーグになってよみがえるのだが、『ドラゴンボール』がここで終了していたら(『ドラゴンボール』はフリーザ編で終わる予定であったと言われている)フリーザは、ここで死んでいたことになる。

勝利に執着するあまり、フリーザは、生き延びるチャンスを放棄してしまったと言える。

あるいは、「お前は、オレに殺されるべきなんだ」というセリフを鑑みるに、自分が敵に命乞いをして助かったという事実を消したかったのかもしれない。

・エゴイズムは破滅を呼ぶ

レッド、鶴仙人、フリーザに共通しているのは執着心である。彼らは、自身のエゴに対して異様なほど忠実に生きている。

鶴仙人に関しては、エゴが見えづらいが、彼は力そのものに執着していたように思える。ただ、自分自身ではなく、己の弟子にそれを託している点に愚かさがある。

おそらく、鶴仙人は、自分の限界を悟っており、代わりに才能豊かな天津飯に自分のエゴを託したのだ。亀仙人のように純粋に弟子の成長を喜んでいたわけではない。

気功砲のような危険な技を平気で教えていたのが、その証拠である。

結果的に鶴仙人は破滅したと言うわけではないが、弟子に見限られてしまう。自分のエゴを叶えるために、弟子を利用していたのだから、裏切られるのも当然である。

形は違うが、自分のエゴのために他人を踏みにじって、破滅していったレッドやフリーザと同じなのである。

・現実にもいるフリーザ達

現実世界にも、フリーザ達のように勝利にとりつかれて、滅びの道を辿ってしまう者が大勢いる。最たる例が戦争であり、勝つという目的のために、人材も資産も消耗して、結果的に国力を衰退させてしまうというものだ。
 
戦争以外でもそのような傾向がある。『ドラゴンボール』が連載されていた時代は、ハードな受験戦争で、子どもたちは追い詰められていた。大人たちは子どもたちに、勝つことをひたすら叩きこんでいった。
 
子どもたちは。受験戦争を乗り越えて、大企業に就職しても、今度は業績をあげるために日夜奔走する日々に直面する。そこでも勝つことを叩きこまれている。
 
サイヤ人やフリーザのモデルとなったのは、バブル時代に活躍した地上げ屋と呼ばれる者達だ。彼らは土地を強引なやり方で買い上げていたため、社会問題となっていたのだ。
 
やがて、バブル崩壊すると、地価は下がり、地上げ屋は衰退していった。教育の現場では、「ゆとり教育」というものが生み出された。
 
しかし、2000年代になると、勝ち組、負け組という単語が流行り始め、ゆとり教育を受けた子どもたちは、勝ち組から見下され、結果的に、社会は、再び欲のために勝利に固執する時代となった。
 
地上げ屋はいなくなっても、フリーザやサイヤ人はいなくなったわけではなかった。彼らは、形を変えて、勝利に執着し、弱者を痛めつけていたのだ。そして、今の時代は、「がんばれ」という単語すら禁句となるほど疲弊していった。社会が疲弊しているのではなく、心が疲弊していったのだ。
 
フリーザ的な勝利に執着する考え方は、いかに人の心に余裕を無くしていくのかがよくわかる。
 
悟空が強くなったのは、悪に負けないため、悟空がドラゴンボールを使うのは、多くの人を助けるため、つまり、悪によって滅びないためなのである。
 
今の時代に必要なのは、願いを叶えるドラゴンボールなのではなく、『ドラゴンボール』に込められているメッセージなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?