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【掌編小説】夜の交差点

「最近何か良いことあった?」
夜のスクランブル交差点で待っていると、若い女が声をかけてきた。僕と同じ大学生くらいで、トレンチコートが似合っているモデルのような女だ。知り合いかと思って見てみたら全然知らない女で僕はまた前を向いた。
信号は赤のまま。嫌だなぁ、何かの勧誘かな。色とりどりの夜の街の灯りを眺めて聞こえていない振りをする。

女は僕の隣に並ぶとこちらを見ながら、
「嫌だな、変な女に声かけられたわ。なんだよこいつ、宗教の勧誘?キャバクラの客引きか?」そう言って笑う。
「えっ?」心の中を読まれて思わず見てしまう。緩やかなウェーブの髪が肩までかかり、整ったモデルのような綺麗な顔立ちをしている。

「なんだ?何でこんな美人が俺に声をかけてくるんだ?やっぱり何かの勧誘か?って感じ?」女はイタズラをしている子供みたいに、嬉しそうにくすくすと笑う。僕もつられて笑ってしまう。
信号が青に変わった。周りの人たちは僕と女の横を通り過ぎてスクランブル交差点へと歩き出す。

「あれ?やっと私に興味を持ってくれた?」
「まぁ、ちょっと」
「やっぱり気になる?」
「いや、別にそんなでもないけど」
「そんなこと言っちゃって、信号、もう赤になっちゃうよ」

信号は点滅を始めている。周りは足早に僕らの脇を通り過ぎて行く。信号が赤になる。
赤になったのを確認すると女はくるりと体を僕に向ける。

「立ち止まってくれて、ありがとう」
そう言って俯向いてから僕を見上げる。冷たい夜風で頬にかすかに赤みを差している。街灯の光に女の整った顔立ちが映える。こちらに向けてくる視線と目が合うと、女は少し目を細めて微笑みながら言う。
「あなたのことが好きになりました」
「はぁ?」
「一目惚れしました」
「一目惚れって」
「おかしい、ですか?」おかしいというか、さっきと随分雰囲気が違うということは本気で言ってるのか?いや、でも?
「やっぱり何か怪しいと思ってますよね」
「そりゃ、やっぱ怪しいよね」
そう言って信号を見る。信号はまだ赤のまま。また少しずつ僕の周りに信号待ちの人が増えてきた。
「別に勧誘とか、そんなんじゃないよ。今そこであなたを見かけて、今しかないと思って、声をかけただけだよ」
「そんな、その、ちょっと信じられない。大体、一目惚れされるような外見じゃないことくらいわかってるから。からかってますよね?」
自分で言いながら、どうせそういうことなんだろうと思うと少し腹が立ってくる。
女はくっと眉を歪めて僕を見つめる。
「どうして信じてくれないの?」
「見ず知らずの他人だし、いきなりこんなの変でしょ」
「だって恋愛なんて、どっちかが声をかけなきゃ始まらないじゃん」
いや、知り合い、友達から深まっていくことが多いだろ、と思うけど、もう言わない。

信号が青に変わった。僕は一歩を踏み出す。女は歩道から先には動けないように決められているみたいに一歩も動かない。僕は前を向いて歩き出す。一歩、二歩。さっきまで近くに感じていた女の気配から離れていく。

交差点を渡り切ったところで振り返る。女は同じ場所に固まっている。こちらは見ていなくて、電車の高架の方を見上げている横顔は街灯の光で白くぼやけている。
信号が赤に変わった。周りはみんな止まっていて、女だけが後ろを振り返って交差点から離れていく。俯いて、肩を落としてゆっくりと歩く後姿が見える。あいつ、泣いてるんじゃないか?
スーツ姿の若い男が女に声をかけながら横に付いて、たぶんナンパをしているが、女は一切顔を向けず少し速度を上げて歩いていく。

あ、何をいつまでも見てるんだ、帰ろうとしてたところだ。そう思って駅に行こうと思った瞬間、信号が青に変わった。周りの動きにつられて再び交差点に足を踏み出す。行く必要はない、そう思いながらも、女の姿を目で追ってしまう。

ナンパをしていた男は諦めた様子でこちらに戻って来る。女は通りの先のカフェを右に曲がって姿が見えなくなった。女の影を追うために自然と走り出してしまう。

カフェを曲がった先に女の後ろ姿が見えた。顔を手で覆いながら肩を少し震わせて歩く背中はとても弱々しく見える。
女に追いつくと、僕は深呼吸をして声をかける。

「最近何か良いことあった?」
驚いた顔で振り返ると女は涙を拭って言った。
「これからあるみたい」

(了)

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