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【掌編小説】遭遇

 仕事を終えて帰宅して玄関の鍵を開けてる時に化粧水とリップクリームを帰りに買おうと思ってたことを思い出し、ついでに昼に見たネットの占いで今週は運勢が最高と書いてあったことも思い出して、買い物忘れるとか全然運勢良くないじゃん、あの占い師あんまり当たらないのよね、リップクリームどこかで無くしちゃって家にもないから困ったなぁ、まぁ明日の朝に買いに行こう、とか思いながらドアを開けたら、知らないおじいさんが私のソファに座ってテレビを見ていた。ギリシャ神話とかに出てきそうな長い白髪でたっぷりと白い髭をたくわえ、少し垢じみた白い布を身にまとっている。

「誰、ですか?」意外と冷静なんだなあ自分は、と自分に感心する。おじいさんは聞こえてないのかテレビを眺めたまま少しも動かない。耳が遠いのかもしれない。すぅーーっと息を吸い込んで、
「あなた、誰なんですか!」はっきりと単語を区切って聞き取りやすく大きな声で言った。
おじいさんは急に顔をこちらに向けると、
「うるさいなぁ、聞こえてるわ」と答えて、またテレビに向き直る。
 えっ?何?えっ、ここあたしの家だよね?あたしが間違えた?いや、鍵掛かってたのを今開けて入って来たし、この部屋は確かに私の部屋だ。何でこの不審者は開き直ってるの?居直り強盗???
 キャーーー、と言う悲鳴が自分の喉の奥から出たのを聞きながら全身に鳥肌がたつ。逃げないと危ないかも、でもここはあたしの家だし。
不審者がまたこちらを見て、
「うるさいなぁ、警察とか呼ぶなよ。ややこしいことになるから」
 言葉の最後は閉まるドアに掻き消されて途切れた。私は外に飛び出して、抜けそうになる腰を何とか支えながら震える足でエレベーターまで急いだ。
 さっき降りたエレベーターはまだ私の階に止まっていて、ボタンを押すとすぐにドアがゆっくりと開いていく。後ろを振り返って、あの不審者が追いかけて来ていないことを確かめる。廊下には誰もいない。
 良かった、逃げられる、、、。
 ほっとしたのもつかの間、視線を前に戻して、ゆっくりと開いていくエレベーターの中にあのおじいさんが立っているのを見た瞬間、私の意識は限界を超えた。

 、、、目が覚めるとパルテノン神殿のような大きな神殿の前に横たわっていた。神殿の周りは整備された庭になっていて少し離れた周囲は四方を森に囲まれている。
「目が覚めたかな?中に入りなさい」厳かな声が神殿の奥から聞こえて、私が荘厳な雰囲気にしばらく気を飲まれて立ち竦んでいると、もう一度、
「恐ることはない、ゆっくりと入って来なさい。君の願いを叶えてあげよう」とまた奥から声が響いてきた。
 私は奥に進んだ。
 あのおじいさんが神殿の奥の高い位置にある大きな椅子に腰掛けて、おずおずと入って来る私を優しく見守っている。
「君は面白いというか、典型的というか、日本人の割には、こういうのをイメージしているんだな」とおじいさんが言った。おじいさんは神殿を見上げたり、自分の姿を見回したりして嬉しそうに笑う。
「あなたは誰なんですか?」
「まぁ、分かりやすく言えば、神様、だな」
「えっ?」
「少し前に仕事でミスして怒られて帰った後、呼んだだろう、私のことを」
「えっ?」
「神様、助けて下さいって言ったではないか」
「あぁ言ったかもしれません」
「何とも力が抜けるのう。呼んだから来たというのに」
「これ、夢ですかね」
「いや、現実」
「願いは叶うんですか」
「何でもね」
「ひとつだけですか」
「それが君の望みなら」
「じゃあ、たくさん叶う方がいいです」
「ふふ、それが君の望みなら」
「えっと、取り敢えず元の生活に戻してもらっていいですかね」

 そうして私はこのいつもの生活に帰るという願いを叶えてもらって、たぶん幸せに生きている。戻って来た部屋のソファの上には化粧水とマスカラが置いてあった。

 、、、「違うよ神様、リップクリームだよ」

(了)

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