見出し画像

2024大相撲名古屋場所観戦記

名古屋場所四日目。愛知県体育館に相撲を見に行った。欲しかった二人マス席は手に入らず、四人マス席に二人という贅沢。

会場に入ったのは、午後2時半ごろ。
チケットのもぎりを、むかし栃東だった親方がやっていた。わたしのチケットは、親方の太い指の間に吸い込まれ、身もだえするようにちぎられた。半券といっしょに、赤地に大入と白で抜いたポチ袋をいただいた。表に「ありがとう愛知県体育館」と、行司さんの誰かが墨書したであろう字が印刷されていた。

この体育館で場所を開催するのは、今年が最後なのだ。来年からは、ここから少し北に建設中の新しい体育館が会場になる。
昭和四十年七月場所から令和六年七月場所まで。そうか、今場所は59年の思い出がつまったこの体育館との惜別の場所だから、早々に15日間完売になったのか。そのときは、そう思った。

館内は人が多かった。観客席は迷路のようで、夫と二人、道に迷いながら自分たちの席にたどりついた。十両土俵入りの前にもかかわらず、席の大半が埋まっていた。
四人マス席を二人で使っている客は、意外に多い。そういう人たちは、余った座布団を背もたれにしているので、それとわかる。わたしも、さっそくまねをする。快適である。座布団一枚の贅沢。

十両取り組みの間に、お土産を買いに廊下に出た。そこは冷房が効いていないので、ムンとする。売店が並んでいるが、人気は相撲協会直営の店だ。大男の親方が4,5人並んでレジに座っている。
「ここにカード差し込んで、暗証番号入れてくださいね」と案内したり、肉の盛り上がった掌に小銭をのせて太い指で、ジャラジャラ数えたりしている。
売店であれこれ見ていると、旗を翻したツァーガイドに連れられて、欧米人の観光客の一団が入ってきた。
ああ、15日間完売の理由は、惜別場所だからというわけじゃない、これだったのだ。海外からのお客様……

幕内土俵入りが終わると、横綱土俵入り。
向席にいるので、横綱の背中を見る。
上に向けてピンと立てられた、横綱が締める真白い綱の美しさよ。

幕内の取り組みが始まると、夫は、土俵のまわりをぐるぐるまわる懸賞旗を気にし始めた。とはいえ、幕内前半で懸賞旗が回る取り組みは、そう多くはない。回っても、1本か2本がせいぜいだ。その中で、翠富士vs欧勝馬戦が、異例の懸賞の多さだった。10本ぐらいは、あったかな。
「これは、どっちの力士が人気あるの?」と、夫が聞いてくる。「翠富士でしょ」と、わたしは即答する。「見ての通り、小兵で真っ向勝負するし、顔はかわいいし、インタビューされれればニコニコおもしろいこというし、静岡焼津の出身だし……」わたしが褒めまくっている間に、翠富士が欧勝馬を倒し、わぁーっと拍手と歓声が湧き上がった。小さな力士が倍もありそうな力士を倒せば、だれだって痛快なのだ。前のマスにいる10才ぐらいの金髪少女もおおよろこびしてとびはねていた。
欧勝馬は、あしたがんばれ。

後半戦になると、土俵をまわる懸賞の数が、ぐんと多くなる。
売店が5時に閉まるので、買い物に熱中していた海外からのお客様も客席にもどり、館内は、いちだんと熱気がこもる。
チューハイを飲みながら静かに観戦していた隣のマスの熟年夫妻は、霧島が土俵に上がると、シャキッと正座して、応援バナーを掲げた。
きりしま〜
夫人が鍛え抜かれた声を、張り上げる。
夫妻の声援もむなしく、霧島は大栄翔に押し出され、土俵のそとに……

館内の熱量が最大になったのは、横綱照ノ富士が御嶽海を一気の寄りで破ったときだった。取り組み前は、御嶽海への声援の方が多かったが、みんな横綱が強いとうれしいのだ。
重いけがと病気を抱えながらも、土俵に還ってきた横綱が誇らしく愛おしい、そんな思いのこもった拍手と歓声だった。

弓取り式は聡ノ富士。向席だから、横綱土俵入りと同じく背中を見ることになる。47歳の序二段力士の背中は、痛々しいほどにたるんでいてやせていた。肩甲骨が浮いて見える。この体で、弓取りを担いながら土俵に立ち続けるのは、深い事情と思いがあるのだろうな。

外に出ると、雨が降っていた。遠くで雷も鳴っている。
帰りのバスの中から、建築中の新体育館の屋根が見えた。大きい。
来年も観に来る。また四人マス席を買って二人で見る、座布団一枚の贅沢をするのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?