子どもとデジタル機器との関わり方について

娘が生まれたときから熟読し、実践してきた「語りかけ育児」ほか、育児書にはほぼ共通して記載がある文言「テレビやスマホの使用(スクリーンタイム)を制御しましょう」

「○歳~○歳までは触れさせないのが理想」「○歳からは○時間まではOK」「宿題を終わらせたらやってもいい」など、子どものスクリーンタイムは親が制御する、はもはや当然で、どの程度許すか、また、子どもがやめない場合はどういった対応をとるのが良いか、記載されていることに、ずっと疑問を持ち続けています。

そもそも、テレビというのが何を指すのか。子ども向けチャンネルを流し続けること? 知育DVDを見せること? 週末の夜、夜ふかしして、家族みんなで、ソファでブランケットをかけ、お気に入りの映画を見ること?

単純に「テレビ」といっても、使い方は様々なのに、誰も彼も「テレビ」とひとくくりにして話すので、混乱しました。

わが家の4歳娘の、メディア使用状況ですが、まず、地上波を見ることはほぼありません。私も夫も、元々テレビを見る習慣がなく、同居時に、両親たちに「これぐらいは置きなさい」と購入してもらったものの、テレビ台がなく、苦肉の策で壁掛けにしたまま、子どもが1歳を過ぎる頃までは、ただのオブジェに成り下がっていました。

二人とも、幼い頃はアンパンマンが大好きだったので、子どもの年齢的に、アンパンマンぐらいは見せようと思ったものの、ちょうどお昼寝の時間と重なるため、リアルタイムでの視聴ができず、相変わらずオブジェ状態で置いてありました。その後、これまた親がレコーダーを買ってくれたため、アンパンマンを録画して見せてみましたが、まったく興味を示さず、わが家には使用用途のない家電が増えただけに終わりました。

それからしばらく経ち、Amazon Prime Videoで観たい映画がいくつかあったので、Fire TVスティックを買い、Netflixの広告のアニメに娘が興味を示したため、Netflixに加入。これが、娘とメディア機器との出会いとなりました。

アンパンマンには興味を示さなかった娘でしたが「ことばのパーティ」という知育アニメが気に入り、よく見るようになりました。かわいい動物の赤ちゃんたちと一緒に、言葉を学んでいくアニメで、英語学習にもよく使われているようです。この頃は単純に集中力が続かず、1話まるまる見ていられると「すごいな」と感じたのを覚えています。家の中に気に入るおもちゃが少なかったこともあり、外で遊ぶほうが好きで、仕方なくお家にいなければいけないときの遊びのひとつ、といった感じでした。

娘は魚に強い興味を持ったので、いい意味で図鑑らしくない、文字が少なく、インパクトのある写真メインの魚図鑑を買い、付属DVDを見るようになりました。ここからは、魚だけに「食いついて」見るようになりました。

その後、Netflixで「マジックバス・リターンズ」「ストーリーボットにきいてみよう」「ツリーハウスたんていだん」「チャーリーのゆかいな大冒険」「ざんねんないきもの辞典」「エミリーのワンダーラボ」などの番組も見始めました。Netflixの良い点は、自然科学や語学、色と形、サイエンスなど、知的好奇心を満たす番組が揃っているところです。
娘は植物にも興味があるため、海外に行った際、種を持って帰りたいと言ったのですが「マジックバス・リターンズ」で、外来生物がどんな影響を及ぼしたか、思い出して話してると、やってはいけないことに気づき、すんなり諦めることができました。
また、トイレにはトイレットペーパー以外流してはいけないこと、コンセントで遊んではいけないこと、進化の仕組み、ずっと地下に何があるかなど、たくさんのことを学んでいます。「エミリーのワンダーラボ」では、実験のやり方を詳しく解説してくれているので、実際に家で試しました。特に、1度目の非常事態宣言中、身近なもので実験をし、退屈を紛らわせたのは、親としてはとても助かりました。

こういったことがあったので、テレビに悪いイメージは持たず、家での遊びのひとつとして楽しむようになりました。

とはいえ、もうすぐご飯ができるのに、60分あるDVDを見始めたら大変です。そのために、娘がテレビを見始めるときに「あと○分で○○の時間だけど、どうする?」と聞くようにしています。
たとえば、あと5分でご飯なら、ご飯を食べ終わってから見る、と決めたり、45分のDVDを見たいけど、お風呂に入らないといけないから、ここまで見たら一旦止めて、お風呂から出たら続きを見る、などです。

子どもが自分で決める、ということをわが家では大切にしているので、娘がどんな選択をしても、否定することはしません。
最初は時間の感覚がわからず、無理のあるプランを提案してきたこともありましたが、続けていくうち「深海生物のDVDを見るけど、お風呂の時間になったら止めるね」と、自分で決めてから見るようになりました。さらに、時間を気にするようになるので、時計を読めるようになる、時間感覚が身につくという副次効果もありました。

また、これは、育児の専門家として長く活躍されている多数の先生方への反論のようになってしまうため、書くのを迷ったのですが、こんな辺境の、読者がいるのかいないのかわからないようなブログなので、好き勝手に書くことにします。

「○時間ならテレビを見ていい」「宿題をやったらテレビを見ていい」こういった、制限を設けたり、ご褒美にしたりすることで、子どもの中で「テレビを視聴する」ということに価値を感じるようにならないでしょうか?

そのため、わが家では、テレビを見るのも、積み木をするのも、ドールハウスで遊ぶのも、全部同じ「遊び」として、同軸に置いています。

必然的に、テレビを見るのを止めたから褒めるということもしません。
どうしても今、何が何でも、モササウルスが見たい!というときに、DVDを見る時間がないから、図鑑で見る、と決められたときには「良いアイディアを思いついたね」と褒めたことがありますが、そのくらいです。

テレビだけ特別扱いせず、あくまでもフラットに捉えることで、子どもが「テレビは報酬として与えられ、我慢できると褒められる、価値のあるもの」と認識するのを避けるためです。

スマホやタブレットはほとんど使っていないので、テレビについてのみ言及しましたが、スクリーンタイムというくくりでは、同様に読み替えていただければいいかと思います。

実は子どもがテレビを止められない、のではなく、私たち保護者の言動によって、テレビの価値を上げてしまっているのではないか、という意見でした。

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