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宿災備忘録-発:第1章6話

赤毛を濡らしたまま、美影は廊下に出た。その気配に反応したのは中森。これ使って、と渡されたドライヤーを手に、美影は段ボールの積まれた部屋へ。
 
「久遠君が戻ったら知らせるね」
 
微笑んで言った中森に、小さく、ありがとうございます、とだけ返し、部屋のドアを閉める。ドアに寄りかかり、息をついて、現実に視線を。
 
壁に沿って置かれた段ボール箱。自分の生活用品。住み慣れたアパートには、もう帰れない。居場所は、ここに移ってしまった。突然。勝手に。それが現実。
 
脱力感と疲労感。加えて軽い頭痛。
 
美影はベッドの横に進み、地味にダイブした。数秒間うつ伏せで視界を閉じ、起き上がってあぐらをかく。そして再び、積み重なったダンボール箱に視線を。
 
黒マジックの文字は、他人のもの。自分の意思は、そこにはない。ここにきたのも、自分の意思ではない。
 
 
謎の転倒
現われた黒と白
色を変えた目
 
目覚め
痛み
中森
 
湖野
空撮写真
謎の現象
報告書
事件
 
鎖火
水輪
帰れない自分
 
 
「だから……なんなのよ、これは……!」
 
夢なら早く覚めろ。現実なら受け入れたくない。逃げ出したい気持ちが、美影の視線を窓の外に誘導する。ガラスの向こう。隣のビルの壁。無愛想なコンクリート色。
 
美影は自分の頬に手を伸ばした。軽く叩いてみる。痛い。つねってみる。痛い。首に下げた石を握り締め、力を込める。痛い。
 
「バカみたい……暑いし」
 
ベッドサイドのワゴン。そこに置かれたリモコン。沈黙したエアコンに向けて運転ボタンを押し、送風口の動きに見入る。冷たい風が部屋に流れ込むと同時、ドアが小さくノックされた。
 
「はい」
 
反射で返事。僅かな間の後、中森が顔を覗かせる。中森はドアを大きく開け放ち、美影に背中を向けると、そのまま後ろ歩きで進入した。
 
「これ、良かったら参考にして。簡単にまとめたんだ」
 
キャスター付きのホワイトボード。キュルキュルと回転音を流しながら進む。それをベッドの脇に滑らせると、中森は美影にミネラルウォーターのペットボトルを渡し、退室。
 
書かれた内容について、中森は説明なく去った。しかし説明は不要だと美影はすぐに理解できた。書かれているのは、関係者一覧。
 
ボードの中央に円。その中に、山護美影と言う文字。円から放射状に伸びた5本の線。線の先に、名前と肩書き。

初めて見る名がひとつ。鷹丸純一。
 
自分の身辺調査をした人間だろう、と推測し、美影は思わず名前を睨みつけた。鷹丸の名前からは、更に線が伸びている。その先には、
 
 
某企業(依頼主)
 
 
そこがことの始まり。そう理解し、美影はペットボトルの蓋を捻った。口元にボトルを運びながらも、視線はホワイトボードに。面識のない人間は2名。鷹丸純一と依頼主。そして、久遠の文字に注目。
 
「槙、久遠……名前、かっこいいな」
「そうですね」
 
零した独り言に反応アリ。美影の心臓を突き上げた声の持ち主は、灯馬。その姿はドアの前に。
 
「名前も見た目もなかなかなんですが、中身がまるで子どもですよね。身長に比例して、中身も成長してくれたら良かったのですが」
「いつからそこに?」
「たった今です。すみません、ノックもせずに」
「別に……私の部屋じゃないので……あの人は?」
「まだです」
「じゃあ、なんの用ですか?」
 
声に棘が生えてしまう。今更警戒を隠す必要もないだろう。しかし美影の様子とは対照的に、灯馬は穏やかに笑っている。
 
「ああ、これは……」
 
言って灯馬は、ホワイトボードの前に。
 
「とてもわかりやすい。助かります。私も説明しようと、ここにきました。それから、これを預かっています」
 
灯馬は封筒を美影に差し出した。またか、と思いながら、美影はそれを受け取った。しかし予想ははずれた。久遠からではない。山護美影様、の筆跡に覚えがあった。
 
「おじさんから?」
「はい」
 
美影は急いで封筒を開けた。折りたたまれた便箋には、黒の、しっかりとした文字が並ぶ。
 
 
突然のことに驚いていると思います。
私は彼らを信じて、君に会うことを許しました。
判断は間違っていないという確信があります。
 
美代さんと君には血縁を超えた絆がある。
何が起きても、それを疑わずに。
どうしても辛くなったら、いつでも戻っておいで。
 
辛くなくても、時間があれば顔を見せにきてくれると嬉しいです。
待っています。
 
 
こみ上げるものを堪え、美影は便箋を封筒に戻した。灯馬は小さく、お持ちになってください、と言い、美影は素直に頷いた。
 
美影はペットボトルを口に運び、数口飲んで長い息を吐いた。その残響が消えるのを待って、灯馬は口を開いた。
 
「少し、話してもよろしいですか? 髪を乾かしてからでも構いません」
「あ……じゃあ、先に」
 
石寄からの手紙を読んだあとだからか、警戒心が緩んだことを美影は実感した。手紙は一旦、ベッドサイドのワゴンに。手早く髪を乾かし、灯馬と向き合う。灯馬は、どうぞ、と美影に座るよう促した。美影がベッドに腰かけると、灯馬の視線はホワイトボードに向かった。
 
「まず鷹丸さんが請け負った依頼についてお話します。依頼内容は、石寄会長の隠し子を探すことです」
「え?」
「そんな噂を、依頼主のもとに届けた人間がいるそうです」
「噂って……いるはずないのに。馬鹿らしい」
 
隠し子。思わぬ言葉に語気が強まる。憤りを覗かせた美影に頷きを見せ、灯馬は言葉を繋げた。
 
「調査の結果、貴方と会長の血縁関係はない。そう判断されました。しかし」
「ちょっと待って。よりによって私が?」
「馬鹿らしい、ですよね……続けても、よろしいですか?」
 
落ち着き払った灯馬の口調。美影は呆れと苛立ちを含んだ、長い息を吐いた。
 
「血縁関係を否定するために、貴方の生い立ちを調べる必要がありました。結果、2人の間に血縁関係はないと確証を得ましたが、鷹丸さんは、ある可能性に辿り着いたんです。そして、ひとつの仮説が生まれました」
「仮説?」
 
顔を上げた美影。頷きを見せた灯馬。胸元から紙切れを、ホワイトボードに貼り付ける。
 
「……これは?」
「何に見えますか?」
 
問いに問いを返され、美影は素直な答えを口にした。
 
「ミイラ?」
「九十九山で見つかった、ご遺体の写真です」
 
言われて美影は、写真に視線を刺した。
 
「この遺体の特徴がなにか、わかりますか?」
「特徴……着物みたいな格好で、草履?」
 
美影の視線は、遺体の全身をなぞる。そして、頭部に僅かに残ったものを見つけ、美影は動きを止めた。
 
「他に、特徴は?」
「……髪」
「髪が?」
「……赤い」
 
震える声で言葉を紡ぎ、言い終えて、口元に手が伸びる。その髪の色を知っている。鏡の前に立てば、その色が目に入る。
 
 
――まさか……だから私を湖野に?
 
 
浮上した予感が血流を速くする。速まった心拍は鼓膜を揺らし、美影の平衡を奪おうとする。刹那の眩暈。
 
 
――落ち着いて落ち着いて落ち着いて……!
 
 
瞼を閉じ、深呼吸。写真に背を向け、美影は窓辺へと歩を進めた。
 
美影の背中が止まるのを待って、灯馬は写真を胸元にしまった。美影は窓の外に顔を向けたまま。
 
「驚きましたよね……すみませんでした。ただ、きっかけが必要だと思いました」
 
背中にぶつかった声を受けて、美影はゆっくりと振り返った。その口元が微かに動く。言葉を発したつもりなのか、じっと灯馬を見据え、大きな目元を瞬かせた。そして再び、
 
「きっかけって、なんですか?」
「私達の話を受け入れるきっかけです。写真を見て、何かが繋がったのではありませんか?」
「……繋がりました。湖野で見つかった遺体と、私……でも、可能性があるってだけでしょ?」
「可能性があるのなら、その先の答えを求めませんか……我々とともに」
 
言葉を切った灯馬。美影は、その強い視線を受け続けた。
 
 
その先の答え
それを知ったら私は
どうなるの?
どうしたらいいの?
 
 
真っ直ぐに向かってくる、灯馬の眼差し。深い青色の瞳。綺麗。純粋に美しさを意識した瞬間、美影の右足が灯馬のほうへと、僅かに動いた。
 
「……私の意思じゃない」
 
思わず言葉が零れた。確かに右足が進んだ。自分の行動を眩暈の一種と捉え、美影は窓枠に手を。
 
美影と灯馬。2人の間に空白が生まれてほどなく。
 
「ねえねえ、袋の中身見せてよぉ。ねえ久遠ってば! 何買ってきたの?」
 
鎖火の高揚した声と足音が、部屋の中に届く。同時にドアがノックされ、灯馬は即座に反応し、当然のようにドアを開いた。
 
「あ、灯馬君もここにいたんだね……山護さん、久遠君帰ってきたけど、お話し中?」
 
顔を覗かせた中森は、灯馬と美影、交互に視線を飛ばす。美影は口を閉じたまま、ここから先の選択を灯馬に託した。
 
「こちらはまた後で……占爺も一緒でしょうか?」
「うん、もう向こうの部屋にいるよ。山護さん、僕、ちょっと買い物行ってくるけど、すぐ戻るから」
 
ドアを開けたまま、中森は去った。
 
窓辺に佇んだままの美影。視線は灯馬に
 
「知りたくありませんか、私達が何者か……自分が、何者か」
 
静かに、穏やかに。しかし、力強さを秘めた声。白い裾を揺らしながら、灯馬はドアの前に進む。振り返った眼差しに、美影は無言で答え、今度は自分の意思で、足を進めた。


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