見出し画像

宿災備忘録-発:第1章7話②

誰が言い出したわけでもないのに、皆一様に口を閉じる。マーカーがホワイトボードを走る音。そんな小さな音が美影の緊張を煽る。
 
ペンの走る音が止まり、久遠は体をホワイトボードの横に移した。


其の身に災い封ずる生業の者有り
荒ぶる天地川海に向かうほどに
幾多の災厄宿り

宿りし災厄
身に纏いし結界に封ずるが
人智の及ばざる力なりて
あやしき者と疎まれり

人目憚り陰に住まい
災厄と共に生きるほどにあやしき力を以て
蠢く汚れを滅する事覚ゆる

力衰えし地に赴き
蔓延りし汚れを祓い
再び陰に隠れり
其の者何時しか
宿災と呼ばれり

美影は、久遠が書き記した文章を、脳内で現代語に変換しながら思考回路に送り込んだ。理解不能な部分は、とりあえず頭の隅に。そうして導き出された答えは、
 
 
宿災とは
災厄が体に宿っている人間
体に結界を纏って
その災いを封じ込めている
 
 
――そんなこと、あるわけがない。
 
 
辿り着いた答えに、美影は疑問を呈した。しかし自分の体に浮かびあがったものを、目で確認したばかり。
 
 
――あれが身に纏いし結界?
  でもあんなの今まで見えていなかった
 
 
『お前は、目に見えるものしか信じていない』
 
 
数時間前、久遠に言われた言葉を思い出す。裏を返せば、目に見えたものなら信じる。そういうことになる。
 
占爺は、見えていなかったものを見える状態にした。しかし見えたからといって、突き付けられた現実を素直に受け入れられるはずもない。
 
美影は未だ消えない寒さに背中を丸めた。視線は、黒い文字で埋め尽くされたホワイトボードに。そのまま動きを止め、書かれた内容を何度も読み返す。
 
「……さてお嬢さん。書いてることの意味は、だいたいわかったかい? 自分の身に、なにが起こったのかも」
 
縦とも、横ともとれる、曖昧な頷き。美影の見せた動きに、占爺は微笑みを。そして、
 
「宿災なんて存在は、知らなくて当然だ。そこに書いてある通り、陰に生きてきた者達だからね。その家系に生まれたからといって、必ずしも受け継がれるわけじゃない。誰に継がれるかは、わからん。受け継いだ本人ですら、災厄の存在に気づかず、一生を終えることもある。お嬢さんのように、気づかないのが普通なんだよ。災厄の存在に気づいた者、気づいた者によって導かれた者、そういう者達にきっかけを与え、時には災厄との付き合い方を教える。それが、この爺の仕事。それでも宿災に会うのは久しぶりだ……なあ、久遠」
 
話を振られた久遠に、美影は視線を飛ばした。自分が出した答えに対する、久遠の反応が気になる。
 
久遠は胸のポケットに手を伸ばし、紙切れを取り出した。湖野の空撮写真。
 
「この写真を見せた意味が、わかったか?」
「……目に見えるものしか信じていないっていうのは、わかった気がする」
「視界を封じられた途端、他の感覚が鋭くなっていくのを感じただろう。人間は目から得る情報に多くを頼っている。それを奪われれば、他の感覚を研ぎ澄ませざるを得ない」
 
言葉を切り、写真を胸ポケットに戻すと、久遠は両手をジーンズのポケットに突っ込んだ。
 
「視覚、聴覚、主に情報を得ている2つを塞ぎ、嗅覚、触覚を鋭敏にすることで、お前と、お前に宿る災厄に揺さ振りをかけた」
「揺さ振り?」
「雪の匂い、雨の感触……お前の中に、ずっとあるものだ。それを普段よりも強く感じ取った。そして目覚めた災厄の意識と繋がった。自分の中にあるものに触れたんだ。深部に眠るものの存在に気づいたのなら、あとは、お前次第でどうにでもなる」
「どうにでも……今まで通りの生活に戻ってもいいってこと?」
「己の深部に宿るものと向き合うのは、怖いか?」
 
美影は刹那、呼吸を奪われた。
 
久遠の眼差し。それは確実に真剣。渦巻いていた久遠への不満が、脳内で掻き混ぜられる。
 
無礼な物言いと態度。相手の心境を考えているとは思えない行動。思い返せば、やはり腹が立つ。しかしそれは、ほんの僅か与えられた情報に過ぎない。久遠の全てを知っているわけではない。憤りが先行し、自分で視界を曇らせていたのだろうか。
 
今初めて、久遠の表情から意思を感じ取れた。真剣に、なにかを伝えようとしている。その意思を。
 
「怖いとかじゃない……自信がない」
 
美影は素直な気持ちを音にした。
 
「自信?」
 
久遠の視線は刺さり続ける。曖昧な答えは、許してもらえない。
 
「自分が出した答え……それを信じていいんだっていう自信。宿災だってことが真実だって確証ないし……だって、だってどう考えてもおかしいでしょ、そんな話」
「わかったんじゃなかったのか、あの言葉の意味が」
「それは……」
 
久遠の真っ直ぐな視線に、言葉に、耐えられない。美影は膝に視線を落とし、首から下げた石に右手を伸ばした。
 
 
――ばあちゃん……
  私は、どうすればいい?
 
 
感じた冷感。降りしきる雨。見えてしまった光景。それらを自分に触れさせたのが災厄ならば、それと向き合うことは、なにを意味するのだろう。
 
自問は止まらない。答えは出ない。美影は、ただ石をきつく握り締めた。
 
 
「真実の境界線は、どこだ?」
 
 
鋭く響いた久遠の声。思わず顔を上げた美影。その目が捉えたのは、ドアの前に佇む、黒い後ろ姿。
 
「真実の境界線って……なんのこと?」
「真実から目を逸らす理由は、何だ?」
 
美影の言葉を遮るように言って、数秒。久遠は、部屋をあとにした。
 
「……美影? 大丈夫?」
 
鎖火の声がぶつかって、美影はやっと、久遠が消えたドアから視線を動かした。
 
「久遠ってすんごい不愛想だからね。でもそれが普通だから。なんなら今日は結構喋ってるほうだよ。気にしない気にしない!」
 
明るい気遣いに、美影はほんの僅か、笑みを取り戻した。
 
「まあ、あまり考え過ぎるんじゃない。最後は直感だ。自分がどうしたいか……それはお嬢さんにしか出せない答えだからな」
 
占爺の音。響きは軽やか。それにつられて、美影は口を動かす。
 
「占爺さんは、どう思いますか? 私が宿災で、それで……湖野で起きていることに関わっているって、思いますか?」
「お嬢さん自身はどうなんだい? 宿災ではない、関わってない、そう言えるのかい?……こう言っては酷だが、自分の生まれについて、詳しいことは知らんのだろう?」
「……はい」
 
美影が零した、小さく弱々しい返事に頷き、占爺は予告なく腰を上げ、ドアに向かった。
 
「あれでも久遠は、お嬢さんのことを大事に考えている。同じさだめを背負った仲間だ……まあ、相当付き合いにくいだろうが、よろしく頼むよ」
 
占爺は、部屋を出た。それを追って、鎖火も。人の気配が消え、室温が一気に下がってしまったようで、美影は両腕を手の平で擦りながら、窓辺に移動した。灯馬は、いつの間にか消えいてた。部屋に美影ひとり。
 
ほんの少しカーテンを開け、西日に体を晒す。その状態のまま、ホワイトボードに視線を。久遠の文字。美影の心は、達筆な文字に引き寄せられる。
 
 
宿る災厄
施された結界
宿災と呼ばれる運命
 
絡まった運命の糸
解くために必要なのものは
真実を知るために必要なものは
 
自分が
私が
どうしたいか
 
 
「……久遠と話したい。話さなきゃ」
 
真実に辿り着くための答えが、美影の中に弾き出された。
 
 
《 第二章に続く 》


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?