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まつりのあと:1_③

 家に戻ったのは、私と、ごく少数の親戚。そして加島の一団。叔母は加島に笑みを見せて挨拶をするも、男達が野太い声を上げると肩をびくつかせ、少し休むわ、と客間に消えた。しばらく出てこないだろう。助かる。

 座敷に長机を並べ、座布団を敷き、一団は整然とそこに座った。私は、準備の一切を手伝わずに済んだ。加島が「おい」と言っただけで、リーダー格と思われる中年の男が場を仕切り、瞬く間に【会場】は整った。

「晴菜さん、どうぞ」

 リーダー格の男は、私に加島の対面に座るよう促した。けれど私は、座敷の入り口近くに正座した。すると全員が私の方を向いて座り直した。非常に居心地が悪い。

 親戚達は、茶の間と台所に。座敷と廊下を仕切る襖は、親戚の誰かが、きっちりと閉じた。見たくない、聞きたくない、という、無言のアプローチ。

 加島は、慣れていますから、と笑い、男達も皆、気にかけていない様子。それなら私は、ただ礼儀を尽くだけ。

「改めまして、本日は、ありがとうございました」

 今日、何度この言葉を発しただろう。心を込めているように響かせる喉の使い方が、うまくなった気がする。否、今は本当に、ありがたいと感じているのかもしれない。加島という人間の目的を理解しているから。

 加島は充血した目を私に向けている。この男がきた理由は、父を弔うためだけではない。どのタイミングで目的を口にするのか。私は微かに、鼓動の加速を感じた。

「晴菜さん……お願いがあるのですが」
「はい」

 今か。多くの部下がいる前で話すような内容ではないだろうに。

「お庭を、拝借してもよろしいですか?」
「はい?」
「お父様に言われたんですよ。俺が死んだら、みんなで馬鹿騒ぎをして、賑やかに送ってくれって。こちらの部屋で粗相をしますと畳が汚れますし、どなたかこられた時、私らがいたら座る場所がないでしょうから。まあ私らが庭にいたら、それはそれで、入ってきづらいでしょうが……許していただけますか?」
「あ……あの、少々お待ちください。失礼いたします」

 私は座敷を出て、親戚のもとへ。加島の申し出を伝えると、皆、もう帰るから好きにしたら良いと言って席を立った。客間にいる叔母にも声をかける。

「お隣さんが良ければ、好きにしていいんじゃないの」

 裏口から外に出て、隣家へ。座布団を借りた上に、これから庭で酒盛りなんて。

 生きているうちに自分で許可とっておいてよね

 用意周到なはずの父の失敗。代わって頭を下げるなら、もっとまともな事情にして欲しかった。

 隣家の主人は、嫌な顔をせず許可を出してくれた。長い付き合いだから理解があるのだろう。今日一番、深く、長く頭を下げた気がする。

 庭を使っても良いと伝えると、加島達は乗ってきたバンとマイクロバスに急ぎ、またしても手際良く準備を整えた。

 バーベキューセットに大量のクーラーボックス。一升瓶は十本以上。大きな灰皿、簡易用のゴミ箱。仕事柄、地べたに座ることに抵抗はないらしく、椅子は、老齢の加島の分と私の分、二脚だけ。

「晴菜さんも食べて下さいね。お酒は、いける口ですか?」

 そう私に聞いたリーダー格の男の背中を、加島が軽く叩く。確認するまでもないだろう、とでも言いたげに。

「失礼しました……私は、石原と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 名乗ったリーダー格の男は、私に日本酒の瓶を見せた。

「いきなりですか?」
「最初はビールがいいですか?」
「そうですね」
「ですよね」

 すみませんと言った風情で、石原は笑った。強面で長身だけれど、笑顔はなかなか男前だ。背が高いぶん近くに立たれると威圧感はあるが、父のそれに比べれば可愛いものだ。

 私は石原にビールを注いでもらい、宴の輪に参加した。黒い集団が紙コップを手に、神妙な面持ちとなる。加島は目を閉じ、顔を天に向けた。その横に、石原が立つ。

 石原も加島同様目を閉じ、男達もそれに続く。黙とうなのだろうか。輪の後方に立つ若い一人が鼻をすすり、隣に立つ男がバシンと背中を叩く。それを合図にしたかのように、石原が目を開いた。

「お前ら思いっきり騒げよ! おやっさんに飲みっぷり見せてやれ! 献杯!」
「献杯!!」

 男達の声は宙に響き、拡散して消え失せる前に、ほとんどの人間が紙コップを空にした。空が紫紺に染まりかけても、賑々しい気配は途切れなかった。

   ***

 夜と呼んでも疑いのない頃合いとなり、庭から賑やかさが去った。男達は私に、またきます、元気出して下さい、と笑顔で言い、ほとんどの者が足元をふらつかせることなく車に乗り込んだ。宴の間一滴も飲まず、ひたすら肉や野菜を焼き、先輩と思われる男達に酒を注いでいた男二人は、ハンドル任されて光栄です、と何故か嬉しそうに言って、運転席に乗り込んだ。

 加島は去り際、後日連絡いたします、と言い、穏やかな笑みを残して去った。私が予想していた事態は起こらず、拍子抜け。少し疲れた様子の加島に代わって、石原が私の電話番号を聞いてきた。嘘偽りなく電話番号を告げ、庭先で車を見送った。

 庭は男達が片づけてくれた。ゴミひとつ落ちていない。バンとマイクロバスの消えた駐車場は、異様に静か。隅にポツンと残る私の車は、何だか寂しそうだ。

 こんなに広かったかな、ここ

 父の車は、車庫の中。母がいた頃は、今私の車が停まっている場所に、屋根付きのガレージがあった。簡素なものだったから、取り払うのは造作なかったのだろう。子ども三人分の自転車も、兄が乗っていた原付も、とっくに捨てたに違いない。簡単に捨てたに違いない。

 当たり前
 ここに、私達はいないんだから

 静寂に沈む空間を、しばらくの間眺めていた。突然、後ろで引き戸が動く音がして、小さな舌打ちを零してしまった。

「あー、やっと帰った……あら、しっかり片づけて行ったのね。あらまあ、座敷も……」

 客間から出てきた叔母は、意外ね、とでも言いたげに庭を覗き込んだ。

 座敷の隅。十枚ずつ重ねられた座布団は、四隅がきっちりと揃えられている。長机は納戸に。掃き掃除までしてくれたから、普段よりも片付いているくらい。

 叔母が座敷を歩き回る気配を背中に感じながら、胃の辺りに不快感を覚えた。せっかく飲んだ酒が戻ってきそう。不出来な点を探るようにジリジリと歩く、耳障りな声のせい。

「ほんっとうにあの子は、変な知り合いが多いわね……もう少し上品な人達と付き合えば良かったのに……先にお風呂入るわね」

 吐き捨てるように言って、叔母は風呂場に向かった。

 私は、叔母がこの家を掃除している姿を見たことがない。夫と子供と帰省したら、茶の間の上座に夫を座らせ、自分はその隣に座り、母が出す料理を食べるだけ。食器も運ばず、洗わず、まるでお姫様にでもなったかのように、それは楽しそうに過ごしていた。

 上品って何だよ

 加島達を、私は下品だなんて思わない。人を遠ざけるような風貌だけれど、あの人達には情がある。品よりもずっと、あたたかみがある。

 父は、どうだったろう。品はなかった。情は、家族以外に向かっていた。

 微笑みかけてくれないのは何故
 温かい言葉をかけてくれないのは何故
 痛みを与えるのは何故

 たくさんの何故を、父にぶつけることはできなかった。もう一生、できないのだ。せめてひとつくらい思い切りぶつけておけば良かった。答えが返ってこなくても。

 叔母が風呂場に消えてほどなく、庭先に人影が現われた。号泣していた女性と、息子らしき少年。私が縁側に立って頭を下げると、女性は深く頭を下げ、少年と一緒に玄関へやってきた。

「こんばんは……遅くに、すみません」

 女は喪服姿のまま。少年も葬儀の時と同じ詰襟の制服。襟章は、私が通っていた高校のものと同じ。学年バッジにはⅡ―3とある。小柄で童顔。とても高校生には見えない。

 少年は私に頭を下げ、顔を戻し、ほんの僅か、笑った。途端、全身が揺さぶられるような感覚に陥った。少年の口角の持ち上がり方が、父にそっくりだったから。

 生前の父は、仲間を招いて宴会を催すのが好きだった。その時は、良い笑顔を見せていた。いたずら小僧のように口角を持ち上げて、とても楽しそうに。私達には決して向かわなかった表情。それが今、目の前にあるかのよう。

 どうして、似ているの?

 これから起こる事態を予想して、鼓動は走る。


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