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宿災備忘録-発:第1章5話

中森の言葉通り、戻った部屋に久遠の姿はなかった。代わって美影を出迎えたのは、見知らぬ少女。

「おかえりなさい! 私、鎖火。よろしくね」

玄関に響いた、気の強い小学生のような声。美影は視線を落とし、声の主を確認した。

クサリビと名乗ったのは、小柄で華奢な少女。白い肌。ノースリーブから伸びた腕は細く、頼りない。滑らかな漆黒の髪は額の真ん中で分かれ、肩を通過して胸元まで伸びる。小さな顔に備わった大きな目。口角の上がった大きな口。パーツが誇張された少女マンガの主人公。そんな印象。

「あのねぇ、鎖火って、あのジャラジャラの鎖に、火って書くんだよぅ。あっつい火。カッコイイでしょ」
「え、あの、えっと、山護美影です。よろしくお願いします」

鎖火の名前自慢を受け流し、頭を下げた美影。その右手を、鎖火の右手が握る。妙にひんやりとした体温。クーラーで冷えたにしても冷たすぎる。表情を強張らせた美影に、鎖火は邪気のない笑顔を見せた。

「びっくりするわよね。知らない所に連れてこられて、知らない顔ばっかり並んでるんだもん」

極端に低い体温を、鎖火本人は自覚していない。そう理解し、美影はできる限り自然な笑みを返した。
 
出会いの握手が終わる。解放された右手から全身に走る悪寒。温度を下げた右手を左手で包み、暖をとる。


灯馬と同じ感じがする
この子


鼓動を速めた美影をよそに、自己紹介を終えた鎖火は、中森を追って、跳ねるように廊下を進んだ。美影は玄関に佇んだまま。

どう動き出すか決められない美影の脚に、なにかが触れた。反射で視線が動く。左太ももの辺り。ジーンズを摘み、引っ張っているのは、白く、か細い指。

ドンっと突き上げられた心臓。美影を見上げる少女が、すぐ隣にいた。

少女は鎖火と同じく小柄で華奢。まっすぐ切り揃えられた前髪。肩の位置で切りそろえられた漆黒の髪。大きく涼やかな目元。面立ちはどことなく鎖火に似ているが、取り巻く雰囲気は随分と落ち着いて見えた。

「はじめまして。水輪よ。よろしく、山護美影さん」
「あ……はい、よろしく、お願いします」
 
スイリンと名乗った少女は、上品な笑みとともに右手を差し出す。宙に留まったその手を、美影は躊躇いがちに握った。やはり、極端に冷たい。
 
水輪は美影の手をすぐに解放し、廊下の奥へ。途中で振り返り、美影に視線を。
 
「ずっとそこにいるつもり? 久遠はまだ帰らないわよ」
「……あの人は、何時頃戻るんですか?」
「夕方じゃないかしら。急ぎの用でもあるの?」
 
急いでいる。早く真実を知りたい。
 
廊下に立ち尽くした美影。キッチンのある部屋から出てきた中森が、そういえば、といった様子で近づいてきた。鎖火も一緒に。
 
「山護さん、お風呂入る?」
「あ、いえ、帰ってからにします」
「あー……あのね実は」
 
言い淀む中森。廊下の向こうから、水輪の声が飛んできた。
 
「シンイチ……貴方、言ってないのね?」
 
問いかけに、中森は頷きを。鎖火は隣で目を大きくする。
 
「え、ええ、えええ? 言ってないのぉ、ホントに?」
「ごめん! でもほら色々ね、わかるでしょ。久遠君があれだからさ、ちっとも話が進まなくて」
「そのためにシンイチがいるんじゃんかぁ」
「そうよね。久遠がまともに話せるわけないでしょ」
 
 
美影は完全に蚊帳の外。
 
 
――なんなの……これ以上、謎を増やさないで
 
 
「……お話し中すみませんけど、説明してもらえませんか。実は、なんなんですか?」
 
水輪、鎖火、中森、6つの目が美影に集中する。誰の口が動き出すのか、3人の顔を視野に留めながら、美影はその時を待った。
 
誰かの声が空気を揺らす前に、軽快な音が空間を走る。2回連続したインターホン。素早く反応したのは中森。玄関へと急ぐ。遠のく足音に重なったのは、水輪の声。
 
「これで説明しやすくなったわね」
 
玄関の方が騒がしくなった。水輪と鎖火も玄関へ。美影は状況を理解できないまま、2人の小さな背中を追った。
 
「荷物、どの部屋に運びましょうか?」
 
青いキャップを被り、額に汗する男達。中森に指示をもらいながら、せっせとダンボール箱を運んでいる。
 
ダンボール箱の行き先は、美影が目覚めた部屋。男達は段ボールを運び入れ、手ぶらで出てくる。つまり、これは、
 
「……引っ越し?」
「そうだよ」
 
呟きに近い美影の問いに、鎖火はカラリと答える。
 
「誰の?」
「えっとねぇ、やまもりみかげっていう人」
 
鎖火が言い終える前に、美影は運ばれるダンボール箱を追って部屋に入った。白い壁に囲まれた室内に、中森の姿。美影に気づいて苦笑い。続いて、両手を顔の前で合わせた。
 
「本当にごめんなさい。先に言うべきだったね。これこそ言うべきでした」
「あの人が言ってた一緒にいろって、こういうこと? でもこの箱の量って……まさか、私のアパート」
「はい、お察しの通り。アパート引き払いました、ごめんなさい!」
 
両手を太ももの横につけ、中森は深々と頭を下げた。青いキャップの男達は、刹那手を止め、戸惑いを見せる。
 
 
――冗談じゃない、ふざけないで!
 
 
美影は吐き出しそうになった乱暴な言葉を、精一杯の努力で飲み込んだ。体の震えを抑えて、深呼吸。そして、男達の作業を妨げないよう、部屋の隅へ。
 
3個積み重ねられた、大きなダンボール箱。それが4列、綺麗に並んだところで、青いキャップの男達は引き上げていった。
 
並べられた箱に近づいたのは、持ち主の美影ではなく、鎖火。楽しそうに体を揺らしながら、箱に書かれた文字を細い指で示す。
 
「これと……これとこれ。あとこれも私が箱につめたんだよ。どれから開ける?」
 
美影のTシャツの裾を引っ張る鎖火。なんのアクションも返せない美影。
 
 
――なにを どうしたら納得できる? なにを どうしたら
 
 
「私は……なにをすればいい?」
 
頭の中で繰り返す自問が、美影の口から零れ出す。同時に溢れた水滴が、頬をなぞった。
 
「お風呂に入ればいいわ」
 
答えたのは水輪。
 
「……こんな時に?」
「こんな時だから、でしょ」
 
水輪は自分の目元を指でなぞった。涙、とでも言いたげに
 
「他にしたいことがあるなら、どうぞ。荷解きなら手伝うけど」
 
美影は、しばし水輪と視線を交え、声を発せず、頷きもせず、黒マジックで【浴室】と書かれたダンボール箱に向かって、足を踏み出した。

タオルと着替えを胸に抱き、水輪の背中を追う。美影の足取りに、軽快さは微塵もない。それを承知したように、水輪はゆっくりと進む。バスルームの前で足を止め、静かに振り返り、美影を見上げた。
 
「怒るの、当然よね。ごめんなさい……でも理由はちゃんとあるのよ。ここに貴方を連れてきたのは、近くで見守るためなの。貴方の中に宿る力を引き出すには、必要なことなの。私達、貴方を仲間だと思ってる。だから安心して……ごゆっくり」

踵を返した水輪。バスルームの前に、美影一人が残される。水輪の言葉を反芻するより早く、美影は脱衣所に進入し、服を脱ぎ捨てた。

熱いシャワーを顔に。汗臭い服を脱いでも、全身をくまなく洗っても、頭の中の靄は晴れない。散乱した謎はまとまらない。そう思いながらも、美影はバスタブに深く身を沈めた。全身に感じる心地良さが、自身に起こったできごとの理不尽さを際立たせる。

「安心なんか、できるワケないじゃん」

自分の声が鼓膜を揺らし、美影は大きなため息をもらした。ため息の素は苛立ち。彼らに対する苛立ち。

違う。この現実を招いたのは自分。この状況は自分のせい。真実を聞き出せず、なんとなく流されて、風呂にまで入っている自分のせい。全て、自分で招いた結果。逃げ出せもせず、ただ、流されている。


首から下げた石。きつく握って目を閉じる。
 
 
「この出会いも幸運? 教えて……ばあちゃん」
 
 
問いに返る答えはない。その事実が、美影の涙腺を激しく刺激した。


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