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宿災備忘録-発:第1章4話

喫茶店。外の景色が見える、窓際の席。テーブルには2つのタンブラーと、冷えたおしぼり。店の前を片側2車線の幹線道路が通っている。
 
「さて何を食べようか……山護さん、好きなの頼んでね。ここは食事もコーヒーもハズレなしだから」
「えっと……お任せしても、いいですか?」

本当は、フルーツ系の炭酸ジュースが飲みたかった。しかし美影は、親しくない相手に対し、これがいいです、とはっきり言えるほど、人懐っこい人間ではない。正直な自分は、信頼がおける相手にしか見せられない。

よろこんで、と中森は店員を呼び、慣れた様子で注文を済ませた。店員は去り際に美影に視線を飛ばし、続いて中森の顔を覗き込み、笑顔で去った。
 
「紹介して欲しいってことかな。それとも関係性を聞きたいのかな」
「え?」
「なんでもない。常連だからって目と目で通じ合えるわけじゃないんだけどね」
「常連……このビル、先生の部屋以外は、オフィスとお店なんですか?」
「先生って呼ばれたの久しぶりでちょっとびっくり。名前で呼んでくれて構わないんだけど」
「あ、いや、先生のほうが」
「ま、いっか。ここは最上階以外賃貸オフィスだよ」
 
そうなんですね、と小さく言って、美影は自分の手に視線を落とした。右手に白い封筒。ここにくる少し前、久遠から渡されたもの。
 
中森の怒りに触れた久遠は、湯が沸く直前に、美影に封筒を手渡した。これを、とだけ言って。読め、という意味だと理解し、美影は封筒の中身を確認した、三つ折りの便箋と、新聞の切り抜き。
 
便箋を開き、冒頭にある文字の並びを目にして絶句。調査報告書、とあった。続く内容は、美影の過去と現在。これは、どういうことなのだろう。
 
久遠は、自分が依頼したのではない、と言った。わけあって自分のもとに流れてきたのだと。詳細を問うも、今話しても無駄だ、と一蹴。その態度に怒りを覚えたが、喧嘩すらできないだろうと判断し、美影は追及を一旦諦め、新聞の切り抜きに意識を移した。
 

 九十九山で発見の遺体
いまだ身元不明
警察は事件と事故の両面から捜査
住民からは不安の声も

故郷、湖野の御神体、九十九山。そこは、美影の祖母、美代が守り続けた場所。そこで事件など、あり得ない。あって欲しくない。
 
謎の報告書とローカル新聞の切り抜きを見せられ、それで自分は、どうすればいいのだろう。これらをもとに、自分の置かれた状況を推理しろとでも言うのだろうか。
 
「わかりません」
 
美影は、はっきりと久遠告げた。
 
「なら、わかるまで一緒にいろ」
 
久遠の答えに美影は耳を疑った。更に、
 
「お前を連れて湖野に行く。それまでに、お前に宿る力を目覚めさせる」
 
理解不能。謎という小さな点を、目の前にばら撒かれた感じ。点と点を繋ぐ糸の末端さえ見えない。
 
 
どうして教えてくれないの
何も話してくれない
何も教えてくれない
にこやかに対応してなんて思っていない
私はただ 知りたいだけ
 
「山護さん、さっきのこと思い出してる?」
 
問いかけに顔を上げる。中森と視線がぶつかった。すみません、と零し、美影は息を吐いた。思い出しても腹が立つだけ。やめよう。頭に血がのぼりきらないように、ここにきたのだから。
 
結局、久遠とは話ができなかった。美影には難しい相手だった。美影自身、初対面で気さくに話ができるタイプではない。職場での形式的な会話でさえ、修行と思っているぐらいだ。対話をする構えには見えない久遠に対し、どう切り込んでいけばいいのか、わからなかった。結果、悔しさともどかしさで、涙があふれてしまった。
 
少し前の現実を思い出し、恥ずかしさに襲われる。美影はまだ新鮮な記憶を振り払って、封筒をテーブルに置いた。
 
「冷静に考えたらわかることなのかなって思ったんですけど、これだけじゃ、やっぱり何もわかりません」
「ごめんね、ちゃんと説明してあげられなくて。ホントにごめん。でも久遠君、悪気があったわけじゃないんだ。もともとああいうところがあってさ。人に心を開けないっていうか、人を遠ざけるっていうか。いつも僕が一緒にいるわけじゃないし、山護さんとは年も近いし、なんとなーく雰囲気も似てるしね。もしかしたら仲良くなれるかも! なんて思って自分で話してねって言ったんだけど……なんか、ホントごめんなさい」
 
似ている、という表現に、間違いではないかも、と思いながら、美影は視線を落とした。腕に貼られた大きな絆創膏が目に飛び込んで、ぱっと顔を持ち上げる。
 
「今更ですけど、これ、ありがとうございました」
「深い傷じゃなかったから消毒程度だけどね。痕は残らないと思うよ。体の痛みはどう?」
「だいぶいいです。まだ痛みはありますけど慣れました。最初はホントに……でも、あんな転び方して生傷がここだけって、むしろツイてたかもしれません」
「……ポジティブだね」
「え?」
「なんでもない。あ、ほらきたよ」

トレーを手にした男性店員は、彩り豊かなサラダとサンドイッチ、セットのスープをテーブルに置き、中森の顔を見て、意味ありげな笑みを浮かべた。中森が負けじと笑顔を返すと、店員は軽い会釈をして去った。
 
「みんな僕をエスパーかなにかだと思ってるのかな?」
「え?」
「久遠君もさっきの彼も、察してもらおうとし過ぎ」
「あ、えっと、すみません。私も、そういうところありますよね」
「山護さんは状況からいって仕方ないからね。いいんだよ頼ってくれて。久遠君相手じゃ結構大変だから。さて食べよう。いただきます!」
 
サラダを口に運ぶ中森。美影の手はフォークに伸びない。否、伸びる途中で、膝の上に戻った。
 
自分の置かれた状況がわからないまま、食事をしようとしている。それに対する抵抗感が、美影の手を重くした。しかし気づいてしまった空腹感に抗えない。美影は小さく、いただきます、と呟き、ゆっくりとフォークを持ち上げ、こっそりと食事を進めた。
 
食事中、言葉を発したのは中森のみ。それも、美味しい、うんうん、といった無難なもの。皿が空になると、先ほどの店員がテーブルの横に立った。タンブラーに水を注ぎながら、中森に言葉をかける。
 
「オーナーは、いつも通りでよろしいですか?」
「うん、お願いします」
 
オーナー、という言葉に反応し、美影は中森を見据えたまま動きを止めた。
 
「お客様も、同じものでよろしいですか?」
 
自分に降ってきた質問に、美影はただ顔を上げただけ。対面で中森が、ふっと笑う。
 
「コーヒー飲める?」
「あ、はい」
「ホット? アイス?」
「あ、えっと……アイスで」
 
店員は、かしこまりました、と言い、テーブルを整えて去った。美影は、ぐるりと店内を見まわしたあと、中森に視線を。
 
「質問される前に言っちゃおう。オーナーだからオーナーって呼ばれてるの。あだ名じゃないよ」
「このビルの?」
「そう。あ、そうだ僕の話でもしようか。僕は山護さんのこと少しだけ知ってるけど、山護さんは僕のこと全然知らない。それってフェアじゃないもんね。どう?」
 
提案を断る理由もなく、美影は素直に頷いた。
 
中森はタンブラーの水をひと口飲み、わざとらしい咳払いを披露した。背筋を正し、口を開く。
 
「ここはね、ひいひいお爺ちゃんの代から持っていた土地なんだ。元は一軒家と小さな診療所があったんだけど、5年前に建て替えたの。オーナーって言っても実質経営してるのは不動産屋で僕はなにも。本当はオフィスだけじゃなくクリニックも作るつもりだったんだけどさ」
 
そこまで話したところで、コーヒーが運ばれてきた。
 
湯気をくゆらせたホットコーヒーと、氷が遊ぶアイスコーヒー。中森が熱いカップに口をつけた後、美影はストローに口をつけた。
 
「美味しい……このコーヒー、めちゃくちゃ美味しいです」
「良かった。コーヒーのおかげで笑顔が見られた。まずはひと安心」
 
中森の笑みに若干の照れを覚え、美影は沈黙。思えば、人と向かい合って食事をしたのも、コーヒーを飲むのも、随分と久しぶりだ。
 
「ビルの中にクリニックを作って、診察を再開しようと思ってたんだ。父は内科医、妹は小児科医で、僕は外科医。妹と僕は総合病院に勤めてたんだけど、ビルの中にそれぞれのクリニック作りたいねって言ってたんだ。でも僕だけになったから、やめた」
 
美影は、ストローに届いた手を止めた。中森の顔。力の抜けた笑顔。
 
僕だけ。そう言った中森に、その意味を問うべきか否か。美影は問いに返える答えを想像しながら、中森の顔に視線を留めていた。数秒後、中森の音が空間に流れ出す。
 
「交通事故で2人同時にね。母は僕が子どもの頃に病死してるし、いきなりひとりぼっちになって落ち込んじゃって。不動産屋に勧められるまま、オフィスビルにプラン変更したんだ」
 
言葉を切り、笑みを浮かべた中森。作り笑顔とは思えない柔和な表情に、美影は零れかけた言葉を飲み込んだ。
 
ごめんなさい。その言葉を握り潰すように、右手が胸元に移動する。Tシャツの内側に感じる、石の感触。握り締めて、深呼吸。
 
美影の家族は、祖母だけだった。両親のことは知らない。そんな境遇を知った他人の多くは、ごめんなさいと言う。美影は、その言葉を聞くのが嫌だった。
 
そう言われることで、孤独が舞い降りる。独りを意識してしまう。確かに祖母の肉体はもうこの世に存在しない。しかし美影の五感には、今でも祖母が存在している。
 
華奢だが芯の通った背中。皺枯れた手の感触。耳に優しい落ち着いた声。気持ちを落ち着かせる匂い。薄い味噌汁の味。美影にとって、死は無と等しいものではない。
 
 
出会いは幸運
別れは自分を試す試練
 
 
祖母が残した言葉のおかげで、美影は悲しみに押し潰されなかった。別れた後でも、その人を思い出して笑顔になる。遺族の心に残るのは、悲しみだけではないはず。しかし目の前に座る男が、その顔に僅かばかりの寂しさを覗かせた時、ごめんなさいという言葉が零れそうになった。
 
 
――私も、あんな顔、してた?
 
 
美影は水滴に覆われたグラスに手を添え、ストローを回転させた。グラスの中、緩やかに回転した氷が、涼しげな音をたてる。その清涼感が美影の背中を押した。
 
「今は、どこかの病院で?」
 
中森は軽く首を横に振る。
 
「家賃収入で細々と生活している身だよ」
「細々って」
「贅沢しなきゃ普通に暮らせるかな、って山護さんは石寄邸に住み込んでたんだよね。久遠君が素敵な家だって言ってた。あのイシヨリグループの会長宅だもんね。僕も行ってみたいなあ」
「あの人、おじさんの家に?」
「おじさん! そう呼べるのは山護さんぐらいじゃない?」
「癖でつい……なにしに行ったのか、聞いてます?」
「詳しくは知らないけど、筋を通しにいったんじゃないかな。あれで意外と律儀なんだよね久遠君って。初めてお邪魔した時、家の前うろついてたら女の人に怒られたらしいよ。怒られてるところ見たかったなあ」
 
体を左右に揺さ振りながら、中森が笑みを浮かべる。美影は、過去に指導を受けたベテラン家政婦の姿を思い出しながら、石寄宅での生活を僅かに懐かしんだ。
 
幼い頃から石寄のおじさんと呼び、慕っている。今でも心の支えとなっている大きな存在。その人姿を思い描くと、心が和む。
 
「会長は倹約家で、質素な暮らしを好むんです。でも大会社の会長だから、パーティーとか講演会とか派手な場所に招かれるのはしょっちゅうで。家は確かに立派ですけど、贅沢すぎる感じはしなかったですよ。周りの人間にも偉そうにしないし、すごく慕われてます」
「見た目も真面目そうだもんね。雑誌やテレビでしか知らないけど」
 
美影は、久遠が石寄のもとを訪ねた理由を考えた。勿論、答えはわからない。しかし、あの報告書と関係がある気がする。
 
「先生は、報告書の内容、知ってますか?」
「うん。山護さんのこと、僕は知らなかったからさ。久遠君が連れてきた時、え、誰って。そしたら報告書見せてくれたんだ」
「その報告書を書いた人のことは?」
「あ、そっか。そこも話さないといけないんだ。結構長い話になるなぁ。でもホントは久遠君が話すべきことなんだよなぁ。でもまあ、これが僕の役目ってことで……えっと、あ! だめだ、もう行かないと。それ飲んじゃって」
「え?」
「今ね、重要なことを思い出したんだ。部屋に戻らないといけない。戻ったら話すよ。話すっていうか謝るっていうか」
「え、あの、嫌な予感しかしなんですけど」
「でも知らないよりはマシでしょ?」
「あ、はい、それはそうですけど」
 
中森は湯気が消えたコーヒーを飲み干し、腰を持ち上げる。美影がグラスを空にするより早く、中森はレジの前に。
 
美影は、財布を、と思って気づく。荷物を部屋に置いてきてしまった。
 
「あの、すみません、私財布を」
「いいのいいの、僕が誘ったんだから」
「すみません……ごちそう様です」
 
中森は、美影を笑顔で店の外へと促した。
 
外の空気は、暑い以外の表現が思いつかないほど熱を溜め込んでいる。熱気は気道を通って全身に広がり、アイスコーヒーで冷やしたばかりの美影の喉も、早くも悲鳴を上げている。
 
「うっわ、午後の日差しは一段とキツイね。早く戻ろ」
 
ビルのエントランスへ向かう中森。その背中を追わず、美影は歩道に立ち尽くした。戻ったら、また久遠と顔を合わせなければならない。正直、苦痛だ。
 
「まだ久遠君はいないよ」
 
美影の心境を見透かしたように、中森は言った。振り返り、ほらおいで、と手招き。
 
久遠はいない。それは美影にとって、心が休まる現実であり、真実に近づけない現実でもある。
 
「……戻ってきますよね、あの人」
 
中森はエントランス前で頷いた。美影は更なる問いを。
 
「今更ですけど……外に出たら、私が逃げ出すかもって考えなかったんですか?」
「考えなかったよ」
「どうしてですか?」
「謎だらけのまま逃げ出しても気になるだけだしね。また同じ目に遭うかもしれないし、やっぱり本当のことを知りたいかなって。勝手な印象だけど、簡単に逃げ出すタイプの子じゃなさそうだなって。今だってそこにいるしね」
 
ほら行こう。言って中森は美影に背中を向けた。美影は素直に中森を追った。中森をエスパーとは思っていないが、少し頼ってみても後悔しないような気がした。


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