見出し画像

壱 ― 雨、降りしきる夜の窓辺・7

「地上から零念が消えることはない。それほど人間は穢れている。それでもお前は、この世界を浄化し続けるのか?」
「はい」
「お前に宿る災厄全てを放てば、一時的だが浄化は進み、清らかな世界になる。お前も自由になる。その可能性を試そうとは思わないのか?」
「はい。全く」
「なぜだ?」
「失うものが大きすぎます」
「怖いのか?」
「否定できませんね」

 交えた視線は互いの真剣さを伝え合い、相手が動く時を見逃すまいと、瞬きは訪れない。

 少年の前髪。見間違いかと思う程の微かな動き。それを灯馬が捉える。捉えられたと気づき、少年は視線を動かした。

「ひとりにしてくれ」
「はい」

 了承の返事をし、灯馬はゆらりと気配を動かし始める。少年の隣。窓に向かって立ち、両手をガラスに添わせた。呼応する、雨と雷。

「こんな体になっても感じられる気配があるんです……貴方も、そのひとつなんですよ」

 とうま ないている

 胸を突く鼓動。奪われた呼吸。視界の端。涙。灯馬の頬に感じた滴に、少年の視線が向かう。しかしそこにあるのは、いつも通りの、柔和な雰囲気を携えた姿。

「さて行きますか。たまには夜の散歩も良い……ああ、先程言い忘れたので、一応伝えておきます。私が恐れているのは、私に託された唯一の存在が、消えてしまうことですよ」

 滔々と言葉を並べ、灯馬の輪郭は窓に溶け込んだ。窓の向こう側。空間を染めた夜に、その姿は見つけられない。

『私に託された唯一の存在が、消えてしまうことですよ』

 残された言葉を反芻し、少年の手の平が熱を帯びる。灯馬が指した存在が誰なのか。答えは、窓ガラスに映り込んでいた。

「いつか、俺が解放してやる」

 すでに形を消した存在に言葉を贈り、少年はストーブに身を寄せた。特段冷えたわけではない。ただ静かに、揺らめく炎と向き合いたくなった。

 雨の夜に生まれた言葉。強い意志を宿した言葉を温めながら、少年は雨と寒雷の共演に身を委ねた。



壱 ― 雨、降りしきる夜の窓辺・完


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?