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宿災備忘録-発:第2章6話①

山騒祭(さんそうさい)は、湖野で古くから行われている伝統行事です。毎年8月の盆の期間に行われます。
 
湖野の町には数多くの民話が語り継がれており、それには人間、山の動物、妖怪、そして町の至る所に住んでいるつくも神が登場します。
 
山騒祭は、つくも神が登場する民話のひとつが由来になったと伝えられています。その民話を紹介しましょう。
 
***
 
先祖の霊があの世から戻る盆の時期になると、それぞれの家や祠に住んでいるつくも神達は山に行くそうです。
 
山神の庭に集まって、お酒を飲んだり、美味しい物を食べたりするそうです。そのため、山は騒がしくなります。
 
祭の間、人間は山に入ってはいけません。もしも人間がうっかり山神の庭に入ってしまうと、庭は汚され、つくも神達までもが汚されてしまい、町に戻ってこられなくなるからです。
 
***
 
 
九十九山の登山口にほど近い、九十九神社。そこへ向かう、緩い登り坂の参道を歩きながら、中森は観光パンフレットを読み上げた。それが途切れてできた隙間に、香織の声が入り込む。
 
「夜神楽が終わると、普段は開かれていない神様達の道が開かれるって言われていてね。道開きの舞って呼ばれる踊りを、美代さんが披露していて、凄く素敵だった。美代さんが亡くなってからは、地元の子ども達に引き継がれたんだけど、美代さんの舞に比べたら……ってそんなこと言っちゃいけないわね」
 
香織は口元に人差し指を立て、小さく笑った。
 
「美代さんは自分だけで執り行う神事の舞とは振りを変えて踊ってたみたい。本当は、イベントとして舞を披露するのは、嫌だったんじゃないかな……ってこれも私の想像」
 
香織は口の前で、人差し指をバッテンの形にする。中森は、観光案内のパンフレットを閉じ、頷きを見せた。そのうしろで、美影は、祖母が舞う姿を、あえてぼんやりと思い出していた。はっきり思い出すと、泣いてしまうかもしれないから。
 
参道は、傾斜のきつい石段に。両脇に提灯が連なり、あの灯り目当てに、多くの虫が飛来している。小さな羽音は意外なほど耳に流れ込み、その音以上に、独特のお国言葉が、美影の耳を刺激していた。慣れた響きのはずなのに、よその国の言葉のように聞こえる。
 
「なんかさぁ、不思議な感じがするね。日本なんだけど違う国みたいな」
 
中森に心を見透かされたようで、美影は意識してゼロを装った。
 
石段をのぼりきると、砂利の敷かれた境内。杉が立ち並び、境内をぐるりと囲んでいる。
 
社殿の前に設置された夜神楽の舞台は、6畳ほどの広さ。ほんのりと提灯に照らされた舞台に向かって、見物客は綺麗な列を作り、開演を待ち侘びている。
 
前列の人々はレジャーシートやアウトドア用の椅子に座り、5列目辺りからは、何となく立ち見をしているような雰囲気で、スマートフォンを操作している若者が多い。美影は、香織と中森とともに、最後列の中央付近に。
 
美影は、日差しがないことを承知でキャスケットを被っている。赤毛と日本人離れした顔を隠すため、目深に。もし同級生に遭遇し、今どこで、なにをしているのか、なぜ湖野に戻ってきたのか、あれこれ聞かれても答えに困るから。
 
同級生に似た面影をいくつか見つけたが、向こうは気づいた様子を見せない。安堵のため息。吐き終えて、何となく視線を感じ、顔を振る。視線の先に、鷹丸の姿。その後ろには、久遠の姿も。人混みから頭ひとつ飛び出した2人。2人は自分達にチラチラと向けられる視線に構わず、美影達に歩み寄った。。
 
「随分後ろに陣取ったな……ほら、適当にとれよ。色々入ってるから」
 
がっしりとした右腕に抱えたクーラーボックスを開き、白い歯を覗かせる鷹丸。左手には、口の開いた缶ビールが握られている。
 
「前で見なくていいのか? 俺らはデカイからいいけどよ……香織お嬢さん、シンちゃんをもっと前に連れてってやれよ。せっかく東京からきたんだし。お嬢が声かければ、誰かしら席空けてくれんだろ?」
「そうね」
「後半否定しないんだな」
「みんな親切だから、って意味での肯定です」
「あ、そ。ほい、じゃ、これ」
 
語尾に笑いを含みながら、鷹丸は香織にウーロン茶のボトルを手渡した。
 
「運転手は当然ノンアルコールよねぇ、って、先にお酒飲むのズルくない?」
「喉が渇いて仕方がなくて……車の運転は、お嬢のほうが上手いからな。悔しいが譲るよ」
 
ものは言いようね、と香織は苦笑。
 
美影は鷹丸の自分本位な謙虚さに呆れながら、麦茶のボトルに手を伸ばした。しかし、鷹丸に制される。
 
「アンタはこれ。久遠のチョイスだから」
 
美影に渡されたのは、柑橘系の炭酸ジュース。鷹丸はニヤリと口角を上げ、それ以上の言葉を放つ気配はない。理解不能。ただ、自分には選択権がなかったのだと理解し、美影は香織の後ろに身を潜めた。
 
鷹丸は中森の右手に缶ビールを握らせ、やはりニヤリと口角を持ち上げた。中森は一瞬驚いた表情を浮かべ、申し訳なさそうに香織に頭を下げる。香織は、行きましょう、と笑顔を見せた後、美影に視線を。
 
「前で見てくるね」
 
小さく手を振り、前列へ。その背中を、中森は雛鳥のように追いかけて行った。
 
香織と中森。ふたつの安全圏を失った美影。この場に留まることに緊張を感じる。足元が落ち着かない。
 
体を舞台の方に向けたまま、眼球だけを動かし、鷹丸と久遠の様子をチェック。大人ひとり分の空間を挟んで、鷹丸が立っている。その隣に久遠。はっきりとは見えないが、2人とも視線は、舞台に向いているようだ。
 
目の周りの筋肉が攣りそうになり、美影は目を閉じた。瞼の内側で強制的に眼球を潤した後、ぱっと目を開く。その仕草にぶつかる、微かな笑い声。思わず視線を振る。鷹丸の横顔。明らかな含み笑い。
 
「……なんですか?」
「いや……おもしれえなと思って」
 
全然面白くないですけど、という言葉を飲み込んで、美影は鼻から息を吐いた。
 
腕を伸ばせば肩を叩ける位置に、会いたかった人が立っている。なぜ自分の存在を久遠に伝えたのか。自分と九十九山で発見された遺体との接点は。あの遺体は、誰なのか。
 
本当なら、出会ってすぐ質問を投げつけたかった。しかしそれができないまま、美影はこの場にいる。決して時間がなかったわけではない。勇気がなかっただけ。真実を知る覚悟は、まだできていない。
 
 
――いつ……いつ覚悟を決めるの?
 
 
自分に対する沸々とした焦燥感は、美影の鼓動に影響を及ぼす。無精髭の残る鷹丸の横顔を意識しながら、美影は最初のひと言を探し求めていた。
 
鷹丸は穏やかな表情で、舞台に視線を送っている。口を開く気配はない。勿論、久遠も。
 
無言で佇む3人を置き去りにして、周囲は賑やかさを増して行く。美影は、前列に移動した香織と中森に視線を飛ばした。歓談しているのか、向かい合った横顔は綻んでいる。2人とも、振り返る理由はなさそうだ。
 
「なあ」
 
美影の心臓を叩いたのは、重量感のある、鷹丸の声。
 
「とっくに夜だぞ。それ、いつまで被ってんだよ」
「……これはいいんです」
 
美影はキャスケットに軽く触れ、つばを僅かに下げた。
 
「なんでコイツと一緒にきたんだよ? 別に断ったって良かったんだぞ。なかなかのとっつきにくさだろ。口は悪いし態度はデカいし飯は大量に食うし。まあ、俺も食うけど」
 
美影に顔を向け、鷹丸は小さく笑った。
 
「きたくて一緒にきたわけじゃないです……あの、私も、聞いていいですか?」
「おう、なんでもどうぞ。知ってる範囲で答える」
「……どうして私のことを、その人に?」
「その人……やっぱりなぁ。そんなことだと思ったよ」
 
頷き、鷹丸は缶ビールを口に傾けた。喉を鳴らし、わざとらしく息をつく。まるで余裕の表情。
 
「答えになってませんけど」
「まあ、待てよ」
 
言って鷹丸は、笑顔。
 
鷹丸の中では何かが解決し、自分の中には疑問と苛立ちが残ったまま。そのアンフェアな関係に対する不満が、美影の背中を強く押した。
 
「笑えないんですよね私は。ホントに聞きたいことだらけなんです。わかんないことばっかりだし、そもそもの始まりがおじさんの……あ、えっと……ここじゃちょっと、話せないっていうか、誰にも聞かれたくないって感じなんですけど……」
 
前列のカップルが振り返り、美影は声のボリュームを抑えた。カップルは、美影と鷹丸の顔を交互に覗き込んでいる。
 
「あー……すみません、すみませんね、大きな声出しちゃって。なんでもないです、大丈夫、喧嘩じゃありませんので。ほら、俺達、とっても仲良しですから」
 
美影の隣に体を移動させ、鷹丸は笑顔でカップルに頭を下げる。美影も軽く会釈をし、精一杯の作り笑いを披露した。
 
2人につられ微妙な笑顔を作ると、カップルは視線を前に戻した。それを確認し、鷹丸は美影を一瞥。一瞬ぶつかった視線を、美影は静かに振り払った。
 
聞こえるか聞こえないか、絶妙な音量でため息を漏らした鷹丸。美影だけに届くボリュームで、ぼそぼそと話し始めた。
 
「さてと、俺はタバコを吸いに人がいない所へ行こうかな、タバコを吸いに。そうタバコを吸わないとなぁ……ああ、そうだ。駐車場にベンチがあったな。ちょうど2人座れそうなベンチが……さて、行こう」
「……私も行きます。タバコ吸いに」
 
美影は、ゆっくりと動き始めた鷹丸の背中を追った。


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