「今、ここに在る」プレゼント
お誕生日おめでとう!!
この言葉を素直に「わーい喜び100%!!ありがとう!!!⸜(*ˊᗜˋ*)⸝」という気持ちで受け取れなくなったのは、おそらく25歳前後からだったと思います。
歳をとること (="若さ"という、自分が唯一持っている価値を失うこと) が怖かったから……という理由ももちろんあったのですが、
それ以上に
「こんな苦しい世の中に産み落とされることの何がおめでとうなの?いちど生まれてしまったら "寿命が来るまで様々な苦しみに耐え抜く義務" が発生して、どんなに苦しんで頑張って生きたとしても最後には必ず死んでしまうのに……」という虚しさや "やり切れなさ" のようなものを大きく持つようになってしまったのです。
もともと20歳を過ぎたあたりから
毎年2月~3月は必ず冬季うつのような精神の状態が大幅に崩れた状態になってしまうし、
26歳頃〜30歳の期間は特に「生まれてきた意味がわからない。死ぬのは怖いけど生きることにあまり意義が見出せない、こんなに苦しくて虚しいだけの日々が続くなら早く終わってほしい……」
こんな考えが、(気持ちや状態の浮き沈みはかなり激しくありましたが) 人の多い電車や炎天下、寒い道などの「快適でない環境下」へ行くたびに頭の中で絶えず自動再生されていました。
しかし、そんな私を29歳の時に救ってくれた人が
今お付き合いしている恋人です。
彼は東京からとても離れた県に住んでいるため頻繁に会うことはできないし、楽しく会ったあとの空港でのお見送りは何回経験しても寂しくてたまらないのですが……
私の醜い部分や社会不適合なところも全て愛してくれて、楽しいことや可愛いもの・大好きなものを一緒に楽しんでくれるだけでなく、私の調子が悪いときも失敗したときも、死にたいほど追い詰められたときも、ずっと味方で在り続けてくれました。
彼と出会う前の29年間は、
あまりにも自分を厳しく否定し、世の中や人生に失望し、「生きていても仕方がない」と考える練習をたくさん重ねてきてしまったので
「生きるのやめたい、でも愛してくれてる人がいるのにこんなことを考えてしまうのが申し訳なさすぎる、消えてしまいたい……」こんなふうに考えてしまうことも、未だにしょっちゅうあります。
脳内の自動再生はコントロールが非常に難しく、
無理やりポジティブになろうとしても反発心や居心地の悪さでうまくいかないので「通り過ぎるまで耐えて待つ」ことしかできなくなります。
それでも、彼と出会ってからは
「自分には価値があるんだ」という言葉が自己暗示ではない、ちゃんと根拠のある言葉に変わったし、死なずに生きたい理由ができたし、未来への希望も生まれました。
遠距離恋愛の彼と会えない期間、
友達もいないしTwitterも音楽活動もやめてしまったし、お金に困ってアコーディオンまで売ってしまったし……寂しさとともに「私は、なんの人でもなくなってしまった」そんなことを感じていた、去年の秋から冬。
私は「寂しくて重い人」になって彼だけに寄りかかり、彼ひとりに負担をかけて潰してしまうことを最も恐れていました。
なんの人でもなくなってしまった。
でもやっぱり、なにかの表現はしたい。
精神的に自立した大人になりたい。
そうだ、私は音楽だけではなく文章を書くことと写真を撮ることも好きなんだっけ。
そう思って始めてみたnote。今や、私は「友達がいない寂しい人」ではなくなりました。noteで出会ってくださった皆さんが、毎日とても温かく接してくれるから。そして、素敵なクリエイターである皆さんが私の表現を「スキ」と言ってくれるから。もう孤独なんかではありません。
かけがえのない仲間と出会えたことも、
自分の大切にしたい世界観と出会えたことも、
ここでしか気付けなかったヒントの数々も、
私にとって本当に大切な宝物です。
表現を通して、
寂しくて自信のなかった私の心が
どんどん元気になるのを感じています。
誕生日を迎える私を祝うために、
彼が東京まで来てくれました。
彼と一緒に、表参道〜原宿をたくさん歩きました。
どんなプレゼントをもらうよりも
彼と一緒に過ごせる時間が嬉しくて、私が感動したものを彼も一緒に感じてくれたり、面白いと思ったことで一緒に笑ってくれたり、「見て見て!」と私の好きそうなものを教えてくれたり、色んな話をしながら散歩したり……それが何よりも何よりも、本当に幸せでした。
私も彼にとって、そんな存在であり続けたいなと
すごく思いました。
いまだに「生まれてきてよかった」と思うことはまだまだ私にはちょっと難しいのですが、「今ある自分という人生を、感謝しながら大切に生きよう」と思うことはできるようになりました。
せっかく生まれてきて
苦しいことがあっても頑張って生きてきて、
この人とずっと一緒にいたい!と思えるような人にも出会えて、自分がもつ価値も少しずつ感じられるようになってきたから。
そして、神様は生まれてきたばかりの私に
すでに原石をくれていたのだと思います。
これまでのちょっと痛い経験や苦しみ、
うまくいかなかったことなども含めて
人生をかけて磨かないと姿が現れなかった原石。
「なにげない風景が、とんでもなく綺麗なものに見えてしまう魔法の力」これが、私が生まれた時からずっと持ち続けていたいちばんのプレゼントなのかもしれません。
今後の人生をかけて、更にもっと美しく
これからは人の心をやさしく照らせるように
もっともっと磨いていきたいと思います。
皆さま、いつもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!!
今年の誕生日は、しあわせでした。
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