LTRA4-2「Against Devil」

 「どうしました?私の名前を読み上げるだけでしょう?」
と言ったのは、端で壁に背を向けて立つ聖女。痛まない、自由に動く左手を自身の胸の上に置く。
「待て!」
反響するモンドの声を掻き消すように、アリスは……否、プリィは礼拝堂に力強い声を響かせた。
「プリィ・フリュクティドールは、以上のように宣誓します」
 その瞬間、大きな困惑の響めきが上がった。目に怒りを滲ませるドイツ人は歯を軋ませ、
「……非常事態が発生した。全員礼拝堂を出ろ。カメラも止めろ。日を改めて開く」
と英語で指示を出す。即座に配信が打切られ、関係者が来場者を退場させる。詩応にも男が寄るが、セバスが
「彼女は特別だ」
と言い、プリィの隣に立たせる。そして、礼拝堂は4人だけが残った。その瞬間、モンドが口火を切る。
「……大事な儀を台無しにしやがったな!!」
「私は自分の名を署名した、それだけです」
と言ったプリィを、セバスが援護する。
「俺が渡した宣言書を、お前はすぐ仕舞った。あの場で目を通していれば簡単に気付いただろうが、ハイリッヒの名前に満足し、アリスの名前でないことに気付かなかった。何事にも慎重なお前らしくない」
「書かれているのは聖女の宣誓ではなく、偽物の私見に過ぎません」
とプリィは言った。

 ……澪が新宿で父の取調を受けている最中、アルスはアリシアからツヴァイベルク家について聞き出していた。
 そのことを流雫に伝えると、シルバーヘアの少年は言った。
「プリィが聖女になる」
 宣誓書に署名することはアルスが知っていた。血の旅団も同じだからだ。それは絶大な効力を持つが、もし聖女ではない名前が書かれれば、それは書き損じの書類でしかない。そして、もし聖女の名を他人が書けば、一家まとめて追放される。だからツヴァイベルクも、成り済まして署名することはできなかった。
 プリィが聖女を装い、自分の名を署名すれば、ハイリッヒ指名を阻止することができる。もし署名した時点でバレても、ツヴァイベルクが自ら招集を掛けた集会をドタキャンすることは立場上できず、当初の目的を果たすことはできなかった。
 流雫は、その戦略に勝算が有った。東京の空港でプリィを助けたにも関わらず、彼女に
「近寄るな……!」
と威嚇されたからだ。幼馴染み相手ですら容赦なかったが、その一件はプリィがアリスを完璧に演じられる確信をもたらした。そしてプリィも身代わり、影武者としての役目を果たそうとした。アリスのオリジナルである自分だけが、成功させられる。
 プリィが、流雫の戦略を伝えたアルスに頷くまで、数秒も掛からなかった。

 「クローンの聖女に偽物……教団を冒涜する気か!」
その言葉に反応したのは詩応だった。
「プリィとアリスを襲い、ヴァイスヴォルフまで殺そうとした。一連の混乱で教団の地位すら貶められようとしている。太陽騎士団を冒涜しているのは誰だ!?」
その言葉に続くように、2日前の惨劇の痕が残る扉が開いた。
 ブロンドヘアの少年は、プリィの言葉が引き起こした小さな混乱に乗じて教会に入った。そして今、聖なる場に立っている。
「アルス!」
と声を上げる詩応とプリィ。モンドはその侵入者を無意識に睨む。
「お前は血の旅団の……!!」
「お前まで俺を知っているのか。ならば話は早い」
と言ったアルスは、詩応の隣に立つ。そして、鋭い目線をモンドに向け、脳を揺さぶる言葉を放った。
 「レロワ殺害とアリス暗殺未遂に、リター・ツヴァイベルクが関与していた証言が出た」
「誰が戯言を!!」
と声を張り上げるモンドに、アルスは冷静に言葉を放った。
「お前の妹、ハイリッヒだ」

 マルティネス家のアデルとマルグリットは、ハイリッヒと個人的な交遊を持っていた。アデルの失脚後も、定期的に連絡を取り合っている。アリスの就任後は、彼女の連絡先もアドレス帳に連なった。
 ハイリッヒに何らかの思惑が有るワケではない。ただ聖女やその従者とほぼ同世代の同性同士、仲よくしたかっただけだ。
 しかし、父リターは教団に誰より相応しい存在であることを娘に求め、その障害となる失脚した元聖女のことを忘れさせたかった。
 ハイリッヒは表向きはそれに従ったが、裏では2人との関係を保っていた。そして、レロワの死を受けてアデルを慰めたいと思った彼女は、やがて父と兄が関与していたことを突き止めた。
 アリス暗殺未遂が起きた時も、ハイリッヒは正体をバラされた聖女に味方しようとした。既に家族を擁護する気は無かった。
 その全てを、ハイリッヒはダンケルクの当局に話すことにした。教団の平和のため、何より仲よくなった3人のため。彼女たちの平和が、何よりも大事だった。

 「ソースはアジェンス・フランセーズ。記者とのパイプを使って入手した速報だ」
とアルスは言う。
 アリシアからのメッセージは、アリス登壇と同時に届いた。日本では配信されない記事だ。
「一家を裏切ったのか……!」
と怒り心頭のモンドを
「ハイリッヒを裏切ったのはお前らだ!」
とアルスが一喝した。
「人を殺してでも即位させたい、それほど聖女の座が重要なのか?」
「邪教の末端信者に何が判る!?」
そう怒鳴ったモンドに、プリィが歩み寄る。そして。
「っ!!」
乾いた音が響くのと、少女の掌が痺れるのは同時だった。モンドの視界が右に曲がる。
「異教は邪教じゃない」
礼拝堂に響く声は、詩応の背筋を震わせる。数日前、彼女が血の旅団を邪教呼ばわりし、澪に頬を引っ叩かれた光景が蘇ったからだ。
 「私利私欲のために人を殺め、陥れる。それこそ邪教のやり方。だから今私は、聖女アリスの代わりに此処にいるのです。この教団に潜む悪と戦うために」
と言ったプリィの隣に、セバスが立つ。宛ら聖女を護る騎士だ。
「聖女の続投も失脚も、正当な手続きの下でならそれに従うべきだ。しかし、正当でないものに従う義務は無い」
とセバスは言った。その意味では、あくまで正当な手段を望んだヴァイスヴォルフの方が上手だった。
「……アリスは何処だ?」
とモンドは問う。それに答えたのはアルスだった。
「トラッカーを使えば簡単だろう。今はアリスが持っている」
モンドはスマートフォンを取り出し、
「アリスを捕まえろ」
と通話相手に命令する。そして4人に顔を向けると
「お前らは全員粛清だ、叛逆の罪でな」
と言い残し、礼拝堂を出る。
 「ムッシュ・エピュラシオンの息子らしいな」
と呆れながら言ったアルスの隣で、プリィがセバスを抱く。セブはアリスといるべきだからと、プリィの従者として彼女についてきた。そして役目を果たした。
 「トラッカーはルナが持ってるハズ……!」
と焦り気味に詩応が言うが、アルスは
「だからだ。ただでさえごった返すシブヤだ、人のバリケードに阻まれる」
と言葉を返す。とは云え、何が起きても不思議ではない。
 「アンタは2人を頼む。ルナが心配だ」
と言い残し、扉を開けようとする詩応にアルスは
「待て、俺も行く」
と言う。今の大教会を見ると、プリィとセバスは此処から離れた方がいい、と思えるからだ。
「……シブヤ駅まで走るぞ。ルナとミオを護る」
と言ったアルスに、2人は頷く。幼馴染みとその恋人に対するせめてもの恩返し、だからできることをするだけだ。
 そしてフランス人は、メッセンジャーアプリの通話ボタンを押した。

 澪は腕時計に目線を落とす。大教会がどうなっているかが判らないが、詩応とアルスがいるから心配は無い。
 そう思った澪の隣で、2人の通話が切断される。流雫の通話相手がアルスに変わったからだ。
「モンドがシブヤ駅に向かった。お前の居場所を求めてな」
「トラッカーでアリスを捜してるのか……」
と流雫が言うと、アルスは答える。
「俺とシノも向かってる。2人も一緒だ」
その言葉に、流雫は数秒だけ唇を噛むと、早口のフランス語で何か言う。全て聞き取ったアルスは問う。
「正気か?」
「正気だよ」
そうスマートフォン越しに言葉を交わす2人には、勝機しか見えない。死なないために、それが前提だから正気でなければ話にならない。
 小さな溜め息に、残っていた寸分の迷いや不安を溶かして捨てる流雫。そして2人は、魔法の言葉を口にする。
「行けるところまで行け」
「だが死ぬべき場所は其処じゃない」
少しだけ口角を上げるアルスは
「すぐに着く」
と言い、通話を切る。流雫は再度隣にいる澪との通話を始める。
 イヤフォン越しと生の声が同時に、澪の鼓膜を震わせる。
「……かなりリスキーね」
と澪は言ったが、常に流雫を信じている。それに賭けるだけだ。
 聞き流すだけの演説の主役、背振は更に語気を強める。しかし流雫は、車の脇を走る電動スクーターに目を奪われた。
 ヘルメットを被り、緑色の服を着た男はスクランブル交差点の端でスクーターを乗り捨てた。フードデリバリーの配達員らしき大きなバックパックを背負い、人集りへ走る。
 「まさか……」
そう呟く流雫の目に不穏が滲む。澪がその顔に目を向けた瞬間、シルバーヘアの少年は地面を蹴った。
 

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