LTRA2-5「Forbidden Emotions」

 アルスとの通話を切った流雫は、唇を噛んだままプリィを一瞥する。
 ……こう云う形とは云え、プリィとセブが再会するとは。しかも、セブは聖女の弟。教団の重要人物と云う理由で彼女を引き渡されれば、全てが水泡に帰す。
「……なるようにしかならない、か」
と流雫は呟き、深い溜め息をつく。此処で何を嘆いても、何も始まらないのだ。

 近くの警察署に連行された4人を
「またか……」
と呆れ顔で出迎えた刑事に、澪は
「仕方ないじゃないの、流雫が狙われたんだから」
と言い返した。
「狙われる方が悪い、とでも言うの?」
一人娘の減らず口に、常願は寧ろ安堵した。何時もの澪らしさが有るからだ。
 流雫とプリィが取り調べを受けている間、澪と詩応は会議室にいた。ルーンに化けた流雫に、刑事2人とプリィは違和感を覚える。
 当の流雫は、先刻とは別人のように淡々と、弥陀ヶ原に話す。ただそれでも、プリィが狙われる謎についてはどう話すべきか、頭を悩ませている。
 ……話せば、全てが知られることになる。襲撃事件の真相解明には避けられないこと、とは云え、太陽騎士団のトップシークレットを、日本の警察が知ることになる。
 本国から1万キロ以上離れた極東の島国が、震源地になる。それが何をもたらすのか、流雫を以てしても想像がつかない。
 ノック音の後で、ドアが開く。
「無事か?」
と言ったアルスの隣で、セブは
「プリィ」
と声を上げる。
「……メスィドール家……」
と返したプリィの声色に、流雫は新たな緊張感が張り詰めるのを感じた。
「……私のセブは何処?」
「アリスと一緒だ」
と、眼鏡を外しながらセブは答える。
「ソレイエドールに誓う、フリュクティドール家を粗雑に扱わないと」
と言って、ルーン……流雫に2人を残して退出するよう頼む。
 2人きりにするのは流石に危険だからと、弥陀ヶ原はアルスを監視役に据えることにした。敵対する教団の少年に監視されるのは一種の屈辱だが、仕方ない。それに、アルスが持っている知識はバカにできないのだ。

 フランス人だけが残る部屋で、話を切り出したのはセブだった。
「俺がメスィドール家の者だと、よく判ったな」
「声色や表情の僅かな違い。姉だから、それぐらい判るの」
「どんなに同じ遺伝子から生成されても、完全な複製個体とはならない。特に個々の感情までは複製できないことぐらい、お前も十分知ってるハズだ」
とアルスは言った。部外者は黙っていろ、と言いたいところだが、豊富な情報量の持ち主だけに一蹴できない。
「……アリスの秘書として来日したのは、俺じゃない。お前の弟セブだ。区別するために、あの一家の下では俺はセバスと呼ばれている。俺は2週間前から日本にいる。対外的には逆だが」
「ドクター・ミヤキを追ってか」
「ああ。総司祭からの指示だ。しかし、本来はセブの役目だった。中央教会……フリュクティドール家の末裔にやらせると言っていた」
「だが、直前に俺が行くと決め、手続きをした。このことは3人以外には、総司祭しか知らない」
とセブ……もといセバスは言う。プリィは事態の整理に必死になっていて、何も言えない。
 「総司祭にとっては、聖女と一家の跡継ぎが何より必要だ。セブがパリを離れ、ダンケルクに移ったのもその理由だ。俺に不測の事態が起きた時のため、そしてアリスの夫とするために」
その言葉に、プリィは思わず
「え……!?」
と声を上げた。
 ……セブが聖女アリスと結婚する?
「前者は家族間の取り決めの通りだ。ただ、最早不測の事態と云うリスクは去ったが」
「しかし、後者は総司祭の意向だ。今は秘書として扱っているが、それは同行の口実に過ぎない。タイミングを見極め、結婚に発展させるだろう。だから夫と成り得るセブではなく、俺が日本に行くことにした」
と続けたセブに、アルスは言葉を被せる。
「当事者の家庭同士を結び付ければ、クローンの秘密がバレるリスクを減らせる。しかし、遺伝子の配列からすれば近親相姦に抵触する。障害児が産まれるリスクも大きい」
 普通は両親の遺伝子の一部を継承して子供ができるが、近親相姦の場合はこの段階で遺伝子の重複が起き得る。当然、異常な遺伝子も重複されかねず、それが疾患や障害として発現するリスクを増大させる。そもそも、近親相姦そのものが様々な問題を孕む。
 それでも、総司祭は秘密を優先したかったのか。
「総司祭が何よりも欲しかったのは、総司祭の椅子とメスィドール家栄光の時代か」
「……その通りだ」
とセブは答える。
「我々はそのための道具でしかない。だからこそ、アリスはセブと出逢って以降、悩んでいる」

 大教会の礼拝堂は貸切とされていた。祭壇の前に跪く少女の3メートル後ろに、スーツを着たブロンドヘアの男が立っている。2人きりの空間に、美しい声が反響を重ねる。
 「……礼拝は終わったわ、セブ」
と言い、立ち上がるのは聖女アリス。
「プリィの足取りは、未だに掴めていません」
「……あの一家は、何を目論んでるの?」
と言ったアリスの表情は、不快感で支配されている。セブは眉間に皺を寄せるだけだ。
 フリュクティドール家の末裔だった少年は、メスィドール家に移った今でも、かつて過ごした一家とは定期的に連絡している。しかし、姉を日本に送り込むことは、全く知らされていなかった。だから急遽、アリスの訪日予定を組んだ。全てはプリィのためだ。
「私にも全く……」
と困惑に満ちた表情で答えるセブ。
 「秘密裏にプリィを捕まえなければ。そして血の旅団には口止めをしなければ。太陽騎士団に敵成す邪教の傀儡……」
と言ったアリスに、セブは
「女神ソレイエドールの導きは、信仰する者に勝利を約束します。必ずや聖女の理想通りに」
と言った。敬虔な信者の答えとしては完璧だ、しかし今の彼女の心を動かすには至らない。
「……もう少しだけ此処にいるわ、先に行ってて」
とだけ言ってセブを退出させたアリスは、小さな声を放つ。それは贖いを求めるような、悲壮感に満ちたものだった。
「……私は禁断の存在。それが人に好意を寄せるのは、大罪なのでしょうか……?」

 アルスのスマートフォンは流雫と通話状態で、聞こえてくる3人のフランス語を流雫が同時通訳していた。その能力には、澪も詩応も頭が上がらない。
 聖女にとっての初恋、と言えるアリスの感情の揺れに、誰もが言葉を失う。それは会議室にいる3人の高校生も同じだった。
 流雫は聖女に、美桜と出逢って間もない頃の自分を、無意識に重ねていた。
 ……シルバーヘアと、アンバーとライトブルーのオッドアイ。その日本人らしくない見た目から、中学校まで疎まれ続けた流雫に、初めて話し掛けてきた存在が美桜だった。
 ややウェーブが入った黒い顎丈のボブカットに、淡い桜色の瞳が印象的な彼女が寄せる好意に、流雫は戸惑っていた。初めてのことで、どう受け入れればいいのか、そもそも受け入れていいのか、判らなかったからだ。
 ……聖女が、クローンが恋心を抱いていいのか、そしてセブをどう云う目で見ればいいのか。アリスは迷い、悩んでいる。スピーカー越しの3人の話を聞く限り、流雫にはそう見えた。
「……クローンとは云え、こうして生きてる以上、人間として扱われるべきだ……」
と詩応は呟く。教団の理念には反するが、人間臭さを感じる以上、同じ人間と思うのが当然だと思っていた。
 その隣で、流雫は言った。
「……プリィを狙っていたのは、聖女の刺客じゃない」
「恋に揺れ動くような人が、人を殺そうと刺客を送るハズが無い……?」
「そう思いたい。……だとすると、セバスが僕を追ったのは、寧ろプリィを保護しようと思ったから。ただ、トラッカーの主が僕だったから、ネックレスを渡せと言った」
と澪の言葉に被せた流雫に、詩応は
「じゃあ、誰が狙っていると……」
と問う。流雫は答えた。
「アリスとセブを培養し、セバスが追っている日本人……」
 流雫が戦った2人の男も、白衣を着ていた。街中でわざわざ着る理由は無いハズだが、外見だけで言えば医療サイドの連中だと言える。その黒幕がドクター・ミヤキ……三養基咲楽なのか?
 「日本人?」
と詩応が問う。流雫は、昨夜アルスと話していたことを簡単に話した。寝る前のメッセージで大まかには知っていた澪も、詳細を耳にする。
 言葉を失う詩応の隣で、澪は
「もしそれが真実なら、プリィだけじゃなく聖女アリスにも追っ手が……?」
と言った。有り得ない話ではない。
「……可能性は有る……」
「……だとすると、護るべきは4人……?」
澪の言葉に、流雫は頷く。しかし、詩応は平静を保ったオッドアイの瞳に滲む悲壮感を見逃さなかった。
 仮に、そのテネイベールに似た目を理由に、聖女アリスが拒絶しようと、流雫はその手を無理矢理掴んででも助けようとするだろう。二度と、絶対に誰も死なせはしない、その信念を強く抱いて。だから、詩応は流雫を信じている。

 「釈然としないな」
とアルスは言った。
「……お前らの教団のことは知ったことじゃない。だが、それが祖国に混乱を引き起こすなら話は別だ」
「お前を見る限り、俺たちと何も変わらない。なのに胎盤から生まれなかったから、命を認められないのか?なら、認めるよう理念を修正すればいい。聖女の力でできないのかよ?」
と続ける血の旅団信者に、セバスは
「総司祭が認めない。修正すれば、我が子がクローンだとバレかねない。総司祭の座のために、クローンの聖女を仕立て上げたことがバレてみろ、一発で全て失う」
と答えた。しかし、アルスは
「自分の遺伝子が組まれていないから、我が子であって我が子でない。聖女すら道具扱いする一家が総司祭とは、俺が知ってる太陽騎士団じゃない」
と更に言葉を被せる。
 プリィもセバスも、何も言い返すことができない。全ては、総司祭の座を狙った一家の主が仕組んだことだからだ。
 「だから俺はプリィに言った、お前が望むなら力を貸すと」
その言葉に、セバスは聖女に酷似した少女に目を向ける。プリィは頷き、
「私は日本で独り。他に誰にも頼れなかったから、彼の助けを借りることにしたわ」
と言う。勝手に日本に行って独りとは虫がよ過ぎる……とセバスは思った。
 「秘密をバラす気は無い。理由が無いからな。……尤も、お前ら次第だが」
と牽制したアルスは、セバスの目に強い目線をぶつけた。
「……セバス、俺はお前たちに力を貸す。これ以上、教団絡みのテロを起こされてたまるか」
 邪教と組むことは、総司祭一家メスィドール家の末裔としては認められない。一言で言えば裏切り者だ。
 断る……。そう答えるのが教団の上位職としては当然だ。しかし。
「……本当に、バラさないんだな?」
とセバスは問う。
「ああ。俺が力を貸すのは、あくまでフランスの平穏のためだ。バラしても、平穏に寄与することは何も無いからな」
とアルスは答える。バラす気は毛頭無い。セバスを階段に倒した時も、そう脅せば黙るだろうと思ったからに過ぎない。
 教団の外側から目を向けられるし、教団関係者の誰かに対しての贔屓目も無い。その意味では、アルスは同じ部屋にいる2人よりも俯瞰的に物事を捉えられる。それが今のアルスのアドバンテージだった。
 「血の旅団も、元は太陽騎士団。ソレイエドールをルーツとする教団の信者として、今起きている問題は看過できない。全てが終われば、また敵視しても構わん。だが今だけは、手を組むべきだと思っている。祖国と教団と聖女のために」
そう言われたセバスは、その場に座ったまま
「……女神よ、聖女よ。邪教と手を組む我々に慈悲を……」
と祈りを捧げる。その様子を、アルスは怪訝な表情で見つめていた。

 ……神も宗教も、全ては人間が拠り所を求めて生み出したもの。神や偶像に平伏し、祈りを捧げ、守護や安寧を求める。信じる者は救われる、そう信じているからだ。
 だが、祈りを捧げるだけでは始まらない。祈りは、自分への守護を確信するための儀式。自分は護られている、だから後は自分の信念に従うだけのこと。それが、アルスが常に思っていることだった。
 メスィドール家とフリュクティドール家の末裔、この2人は祈るだけのご都合主義者か否か。それはこれから判るだろうか。

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