LTRA3-5「Pride Of Mother」

 アルスから見せられた写真と同じ顔のドイツ人が、2人の目の前にいる。その片方は、テネイベールと同じ瞳の持ち主。2人の名前を知らないヴァイスヴォルフが、破壊の女神の名を口にしたのも或る意味では仕方ない。
 2人のことは、事件の動画で見ただけだ。
 腕時計に触れながら澪の1歩前に出た流雫は、しかし少し様子が違うことに気付く。ポーカーフェイス然としていても拭えないハズの戦意は、微塵も感じられない。
 「……ネックレスで僕を見つけた……?」
とフランス語で問う。
 「……何故お前が持ってる?」
「プリィの身代わりだから」
と流雫は答える。
「僕は信者じゃない。しかし幼馴染みが狙われた以上、黙っていられない」
「……何者だ?」
「……ルナ」
と答えた少年は、落ち着いた声で続ける。
「……誰がプリィを狙い、聖女アリスを狙った……?」
「俺だと言えば?どうする?」
「この場で捕まえて、警察に引き渡す。でも、その必要は無い。ルートヴィヒは寧ろ、襲撃を望んでいなかった。聖女交代も、あくまで穏便で無血を望んでいた」
と流雫は答える。流雫がお前呼ばわりしない時点で、犯人だと思っていないことが明白だった。
 「ルートヴィヒじゃなければ、疑わしいのは1人。元聖女アデル・マルティネス……。正確には、それと関係を持つ教団内部の人間。或いは、フランスと日本に1人ずついるのかも」
「……話を変えよう。ミヤキは殺されたが、データを持ち出したからだ。何故持ち出したと思う?」
とヴァイスヴォルフは問う。
 澪にだけ聞こえるように呟いた流雫は、脳を揺さぶられる感覚に囚われる恋人の隣で、今度はフランス語で同じ言葉を放った。
「……母としてのプライド」

 聖女アリスとセバスを生成したノウハウを駆使して、日本でクローンの生成を進めていった奴がいる。恐らくはミヤキと同じプロジェクトにいた。
 ただ、更なる推進のためにベースとなる個体のデータが狙われていると知ったミヤキは、データを持ち出した。
 ミヤキにとって2人は、世界初の功績の根拠じゃない。血こそ繋がらないものの、我が子そのもの。その遺伝子を、生殖のための道具として使われることは、生みの親……2人の母としてのプライドが認めなかった。
 「日本に飛んだ理由は判らない。しかしミヤキは護ろうとした……2人の全てを」
と言った流雫に、ヴァイスヴォルフは言葉を失う。
 ……母としてのプライド。それ自体予想外だった。だが、性善説でミヤキを見ているだけだ、と一蹴できない。
 確かに、この数ヶ月だけでもミヤキのアリスやセバスへの接し方を見ていると、離れて暮らす母と子のように見えたからだ。
 しかし、ルナと名乗ったこの少年は、ミヤキと面識は無いハズ。何故そう読めたのか。ヴァイスヴォルフにとっての新たな疑問が生まれた。

 流雫の母国語は判らないが、僅かな声色の違いと、辛うじて判る幾つかの単語で、彼が何を話し、何を思っているのか、澪には判る。
 ……流雫は少し、マザコンでファザコンな部分が有る。澪にはそう見える。
 1年で2週間しか一緒にいられない、それが人生の7割近くを占めているのだから、当然と云えば当然だった。しかし、だからこそ血縁関係が無い三養基とアリスの間に、一種の親子愛が存在することを信じているように思える。
 凜々しさの裏で寂しさの感情と戦う最愛の少年を想うと、不意に視界が滲み、冷たさを感じた。
 「それが真相なら、僕は戦う、護る……それだけのこと。誰一人、失わない」
そう言った流雫の目に、ヴァイスヴォルフは身震いする。
 ……見る限り、アリスと同世代。それなのに、フランスから来た4人のために戦うと言っている。そして、その隣で少し泣き出しそうな少女の目、その深淵にも確かな意志を感じる。その口から、言葉が紡がれていく。
「あたしも、想いはルナと同じです」
「何故俺が、襲撃を望んでいないと言える?」
とヴァイスヴォルフは更に問う。
「血染めの手では、聖女に即位するマルグリット……マルガレーテの手を握れないから。兄として、妹を汚すことはできない……」
と答えた流雫に、ヴァイスヴォルフは溜め息をついた。寸分のズレも無く射ていたからだ。
 ……時を見計らって裏切ったとしても、裏切られる瞬間まで信じていたことは間違っていなかったと言うだろう。それほどにルナは、愚か者に見える。
 だが、タロットでは愚者は無限の可能性を秘めている。人を護りたい正義感を上手に制御できれば、奴らにとって最大の脅威になる。
 「……ミヤキの死を喜んでいるのは、オギと云う男だ」
とヴァイスヴォルフは言った。テネイベールと同じ瞳を持つ少年への、事実上の白旗宣言だった。

 流雫が腕時計に触れると同時に、アルスとの通話が始まった。突然のことに驚くアルスだったが、ヴァイスヴォルフとの会話だと判ると詩応と2人、イヤフォンマイクを片耳ずつ挿して一部始終聞いていた。
 フランス語が判らない詩応の隣で、アルスは目を閉じて2人の声に意識を傾ける。
 ……流雫が1人でいる間に辿り着いた答えは、アルスを黙らせた。流雫が、母にコンプレックスに近い感情を抱いていることが見えたからだ。だからこそ、それに辿り着いたと言える。
 だが、アルスは自分が引き金となった原因とは無関係ではいられない、と思っている。尤も、流雫はアルスは悪くないと言い続けているが。
 そして聞こえてきた、オギと云う名前。あのヴァイスヴォルフから、有力な名を聞き出すことができた。ヴァイスヴォルフに認められた証だ。
「流石はルナだ……」
とアルスは呟く。だが、次に出てくる名前を、フランス人は思わずリピートする。
「……ツヴァイベルク……?」

 「アリス……これ……」
と言って、プリィは小さなデバイスを取り出す。板チョコほどの厚み、指2本ほどの大きさのそれは真鍮製だった。
「……病院の医師から……ドクターの遺留品だと……」
と言った少女の隣で、アリスは見開いた目を震わせた。
 ……アリスとセバスのデータ。それは全て、サン・ドニとレンヌのサーバに全てのネットワークから隔離された状態で残されていた。つまり、データそのものは持ち出されていなかった。
 そのサーバにアクセスするには、ハードウェアトークン……簡単に云えば鍵が必要だった。そしてミヤキが持ち出したのは、このトークンだった。
 機密にアクセスするためのパスワードを、ハッシュ関数を使用して生成する唯一の存在。その組み合わせは兆単位に及ぶ。それが今、プリィを通じてアリスの手に渡った。
 ……生みの親が、そのプライドに賭けて最期まで護っていたもの。胸元に当て、アリスは
「……メァ……」
と、嗚咽混じりに呟く。立場が認めなかった、母と云う呼び名を漸く口にした。
 プリィはその頬に触れた。立場に囚われ続けたアリスが、今は何よりも愛しく思える。
 ……予想外の事態に陥ったが、結果としてアリスはプリィと合流した。そして、ミヤキが持ち出したものも手に入った。これで4人が、日本にいる理由は無くなった。
 しかし、アリスの退院を待ってそのまま帰国……とは誰一人思っていない。フランスでの風当たりも気になるが、一連の事件の裏にいる存在が引っ掛かるからだ。
「ルナを信じるしか無いわ」
とプリィは言う。そう、この日本で知り合った4人なら、必ず黒幕の思惑を打ち砕く。
 国籍や宗教を超えた結束が、今巨大な剣となって女神に絡み付く悪を断ち切ろうとしている。アルスが言っていた言葉の、本当の意味に触れた気がした。

 三養基と関係が深かった小城と、2時間ほど前に会ったことをヴァイスヴォルフは話した。英語だったのは、流雫の隣にいる少女がフランス語を知らないと判ったからだ。
 「オギはドイツが好きで、渡独する度に訪問してきた。俺との関係はその頃からだ。無論、クローンの研究をしていることは知っていたし、アリスの件に関してはオフレコながら何時も自慢していた」
「……どうして、聖女アリスを失脚させようと……」
「教団の象徴が、理念を捻じ曲げる存在だからだ。これだけは、間違ったことをしたとは思わない。アリスが撃たれるとは思わなかったが」
「でも、混乱の引き金を引いたわ!!」
と澪が声を被せる。流雫やアリスが死の淵に立たされた怒りは、簡単に収まらない。
「司祭の合意も無しに捻じ曲げれば、それは単なる独裁だ。アリスは禁断の存在で在り続けてでも、自分のために捻じ曲げなかった。それは褒めるべきだが」
そう言い返すヴァイスヴォルフに、澪は何も言えなかった。少女の信念が認めないが、教団全体を捉えれば或る意味では仕方ないことなのか……。
 その隣で
「……計算された義憤の暴走を、ヴァイスヴォルフの指示に見せたい黒幕がいる……」
と言った流雫に、ドイツ人は続いた。
「……マルティネス殺害を指示した可能性が有るのは、司祭リター・ツヴァイベルク。それと特に親交が深いのは、モンジュ・セフリ」

 リター・ツヴァイベルク。デュッセルドルフ出身の初老の司祭で、東部教会とのパイプが強い。本部の司祭8人の一角だが、発言力は強く、アデルの聖女選出に尽力した。小城が最も尊敬している司祭だ。
 背振文殊。厚生科学大臣の一人息子で、国立大学を卒業後、父の秘書を務めながら政界進出を目論んでいる。
 小城がいる研究施設は厚生科学省が出資、毎年資金援助を続けている。そして小城と背振の父は、メスィドール家のクローン生成が成功した直後に、交遊関係を持つようになった。その小城の仲介で、ツヴァイベルクと背振は知り合った。
 
 「ミヤキがフランスを発った後、メスィドール家に追跡を指示したのは総司祭じゃない、ツヴァイベルクだ」
と言ったヴァイスヴォルフに、流雫は問う。
「司祭は、聖女アリスのことを知らなかったハズでは……」
「オギが洩らしていた。だが、知らぬ存ぜぬを通させた。日本政府が関与したプロジェクトだったからだ」
「……え……?」
と声を漏らしたのは澪だった。
 「アリスのクローン生成は、全額日本政府の出資で実現したものだ。生成ノウハウを全て日本側に提供すると云う条件でな。これは全て、18年前にオギとセフリが決めたことだ」
「モンジュは、父が大臣に就任したと同時に、クローンに関する事柄を全て任された。当然、功績は面識が有るオギが得るべきだと読んでいたが、プロジェクトの中心的存在だったミヤキは、極秘を通すことにした」
と続けるヴァイスヴォルフ。
「オギはその不満を、事有る毎に俺に洩らしていた。当然、モンジュの耳にも入っていたハズだ」
 「……オギに功績を握らせるために、モンジュが動いた……?」
と問う流雫に、ヴァイスヴォルフは頷いた。
「だが、同時にツヴァイベルクの思惑も動き出した。アデルを失脚された報復だ」

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