Ⅲ.虚夢《そらゆめ》-3

「ともかくさ。この子、レイヴンとこに連れてけよ。まさか捨ててこいとは言わねーだろ。……いや、どうかな?」

 首をひねるチェシャ猫にグリフォンは苦笑した。

「今いないんですよ。いつ戻ってくるかも、ちょっと……」

 目を向けるとエイダはうとうとと舟を漕いでいた。

「おっと」

 スツールから落ちそうになるのをチェシャ猫が慌てて支える。

「寝かせておきましょう」

 グリフォンは店の奥に椅子を並べてエイダを横たえ、ブランケットでくるんでやった。無邪気な寝顔を覗き込み、チェシャ猫はしみじみと呟いた。

「可愛いなぁ……。もしかしてレイヴンもガキの頃はこんなんだったりして」

「……そうかもしれませんね」

 グリフォンは微笑んだ。確かに、エイダの寝顔はほんのときたまレイヴンが見せるやわらかな微笑を思い起こさせる。

 去年は昼過ぎに帰宅したが、今回は午後の三時を回っても彼は戻らなかった。代わりにアリスが弾むような足どりで店に飛び込んできた。

「ただいまー!」

「お帰りなさい、アリスさん」

「おかえりー」

「チェシャ猫、今日も来てたの。意外と続いてるね」

 憎まれ口をたたいたアリスは店の奥のドアから家に入ろうとして椅子で寝ている幼女に気づいた。

「えっ、何この子!?」

「迷子らしいです。レイヴンに警察に連れていってもらおうと思うんですが……」

「あいつ、いないの?」

「ずっと出かけてて、まだ戻らないんです」

 チェシャ猫がカウンターで溜息をつく。

「どこをほっつき歩いてんだかねぇ……。グリフォン、俺コーヒー飲みたい」

「またタダ飲みする気!? あんたバイトでしょ!」

 アリスに睨まれたチェシャ猫はしれっと肩をすくめた。

「飲めるときには飲んでいいって契約だもん。それに俺、ちょーど休憩時間なの」

「勝手に決めてるんじゃないの!?」

「大丈夫ですよ、今は空いてますから」

 グリフォンは笑ってコーヒーを淹れる準備を始めた。

「アリスさんも、おやつにしましょうか」

「うんっ」

 アリスは目を輝かせ、とすんとスツールに腰掛けた。

「けっ、現金な奴」

「ふんっだ、放っといてよ」

「どうぞ、チェシャ猫さん。休憩してください」

 白いカップが前に置かれる。チェシャ猫は小鼻をふくらませて芳香を吸い込み、ホッと吐息をついた。

「んー、いい香り! サンキュー、本当にグリフォンは優しいよなー。どっかの鬼娘とは大違い」

「誰のことよ!?」

「さぁて、誰かねぇ。──おや、もしかして自覚あるわけ?」

 人を喰ったニヤニヤ笑いを向けられてアリスは目を吊り上げた。ムカッとして掴みかかるも、邪魔だと難なく押しやられてしまう。じたばたするアリスを押さえ込んで悠々とコーヒーを啜ったチェシャ猫は、ふと眉を上げた。

「いけね。起こしちまったか。──えーと、エイダちゃん、だっけ」

 目をこすりながら起き上がったエイダは不安そうに辺りを見回し、グリフォンを目にした途端、パッと笑顔になる。

「パパっ」

「……!?」

 ぽかんとアリスは幼女を眺めた。エイダは椅子に座り直し、にこにこしながらグリフォンに向かって両手を伸ばした。

「パパぁ、抱っこー」

「……パパ……!?」

 エイダを抱き上げたグリフォンが、困惑顔でアリスを見る。

「僕、この子のお父さんに似てるらしいんですよ」

「そっ……そうなの……」

 ひくりとアリスは口元を引き攣らせた。チェシャ猫はニヤニヤとアリスを横目で眺めた。

「いやぁ、似合うよなぁ。ほんと、親子みてぇ……」

 ガンッとアリスがカウンターに拳を叩きつける。

「親子なわけないっての……!」

「やべ……」

 うっかり地雷を踏んでしまったらしい。チェシャ猫は急いでアリスに背を向けた。アリスは握った拳をぷるぷる震わせながら自分に言い聞かせるように呟いた。

「そーよ、あれは単に間違えてるだけ。小さすぎてわかんないのよ。迷子になって不安なのよね。そうだよね。そうに決まってるよねぇ。──でもさぁ……。あんなベタベタする必要、ないんじゃないかなぁ……!? くっ……、おのれ、ずうずうしいガキンチョめ……!」

「お、おい、やばいぞ、グリフォン。とりあえずその子を下ろせ」

「え? 何です?」

「パパー。ママはどこ?」

 甘え声でエイダが尋ねる。どうなだめたらいいものかとグリフォンは急いでプログラムを参照したが、子育てのスキルはあいにくひとつもヒットしなかった。

「え。えーと、ですね……。ママは、そのー……、──あっ、レイヴン! おかえりなさい」

 ようやく戻ってきたレイヴンが、子供を抱いたグリフォンの姿に眉をひそめる。

「──なんだ、その子供は」

 グリフォンが答える前に、エイダが喜々とした声を上げた。

「ママ!」

 居合わせた全員が硬直する。いち早く気を取り直したグリフォンは抱っこしたエイダを軽く揺すった。

「違いますよ、エイダさん! この人はママじゃありません」

「だってママだもん!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?