Ⅴ.夢見てるのはどっち?-2

 奥のドアが開く音にアリスは振り向いた。現れたグリフォンはウェイターのお仕着せを脱いでラフな恰好になっている。彼は静かにドアを閉め、いつもと変わらぬ穏やかな顔で店内を見渡した。

「客ならもう全部引き上げたぜ?」

 毒トカゲを思わせるギラギラした深緑のネイルを塗り付けながら、顔も上げずにチェシャ猫が告げる。彼も既に着替えて私服姿だ。黒いランニングの上に柄もののシャツを引っかけ、ベルトや紐飾りがあちこちについたぶかぶかのズボンを穿いている。首には犬の首輪みたいな太いチョーカー、手首にはごつごつしたシルバーのブレスや革紐がいくつも巻き付けてあった。

「お待たせしてすみません」

 グリフォンは本日分の給料が入った封筒をチェシャ猫に差し出した。指先に注意しながら受け取り、チェシャ猫は窺うようにグリフォンをちろりと眺めた。

「──で、どうすんの?」

「警察に任せます。これから捜索願いが出るかもしれませんし」

「そうだな。いつまでもここに置いとくわけにはいかねぇよな」

「店、閉めますね。一緒に出ましょうか、チェシャ猫さん」

「大丈夫なのか? あんたが警察に連れてっても」

「レイヴンが知り合いの刑事さんに連絡してくれましたから。署の前から電話すれば出てきてくれるそうです」

「あいつ、警察にもコネがあるんか。クライアントだったりしてなー」

「違いますよ。以前、事件の捜査に協力したことがあるんです」

 苦笑したグリフォンはアリスに視線を向けた。

「それじゃ、アリスさん。うちのほうへ戻っていてくださいね」

 アリスは不満そうに眉を吊り上げた。

「待ってよ。もしも今日中に迎えが来なかったらこの子はどうなるの?」

「施設が預かってくれますから大丈夫ですよ」

 きょとんとしていたエイダが不安そうな顔になってぎゅっとアリスにしがみつく。アリスは一瞬ためらったが、思い切った口調で言い出した。

「あ、あのね! それじゃ、警察に届けた上でとりあえずうちで預かるってのはどうかな? あたしの部屋で一緒に寝ればいいよ」

 チェシャ猫が呆れたように口を挟む。

「何だぁ? ついさっきまで、気に食わないってぶつくさ言ってたくせに」

「そ、それは事情がわからなかったから……。ともかく施設なんて可哀相だよ。ベッドは固いし、食事はまずいし、朝から晩まで規則づくめで……っ」

「そんなことはないと思いますが……」

「グリフォンは保護施設のことなんか知らないでしょ!」

「おまえはよーく知ってそうだよなぁ」

 ニヤニヤと皮肉るチェシャ猫を、ムッとしてアリスは睨んだ。

「あたしがそんなドジ踏むわけないでしょ!」

「どうだかねぇ」

 眉を吊り上げてチェシャ猫に掴みかかるアリスを、グリフォンは急いで押さえた。

「ここに置いておくわけにはいかないんです。刑事さんによくお願いしておきますから心配しないで」

「なんでよ!? 一晩うちに泊まるくらいいいじゃない!」

「だめです」

 いつも優しく穏やかなグリフォンが、にべもなく首を振る。たじろいだアリスは意地になって言い張った。

「迷惑はかけないから! あたしが面倒見るよ。ねぇ、いいでしょ、お願い!」

「だめです」

「なんで!? どうしてそんな意地悪言うのよ!?」

「意地悪を言っているわけではありません」

「……わかった。レイヴンの命令なんだね。邪魔だからさっさと連れてけとか何とか言われたんでしょ」

 グリフォンは答えない。その沈黙は肯定以外の何物でもなかった。アリスの瞳が憤怒で潤み、キラキラと輝いた。

「レイヴンの命令なら何でも聞くの? たとえ間違っていても、理不尽なことでも、あいつの言うことなら何でもはいはい聞いちゃうわけ!?」

「……誤解しないでください、アリスさん。僕は〈顔なし《フェイスレス》〉──レイヴンの命令に従うように造られた機械人形《アンドロイド》なんです。主人《マスター》の命令を忠実に実行し、主人《マスター》が快適に過ごせるよう周囲の環境を整えることが僕の役目。〈顔なし《フェイスレス》〉である僕にとってそれは完全に『正しい』ことだし、僕の存在理由は結局それに尽きるのですから」

「……っ」

 アリスはくしゃくしゃと顔をゆがめると、ものも言わずに奥のドアから家に駆け込んでいった。バタンと大きな音を立ててドアが閉まり、がらんとした店内に空虚な静けさが漂う。

 グリフォンはエイダの前にかがんで優しく頭を撫でた。

「さ、行きましょうか」

「……ママはエイダが嫌いなの?」

 エイダが寂しそうにつぶやく。グリフォンが答えに窮していると、エイダは泣きだしそうに眉を垂れた。

「パパ、も……?」

 グリフォンは微笑んでかぶりを振った。

「そんなことありません。でも、本当のパパとママがきっと心配していますから、ね」

 手を引かれるまま、素直にエイダは歩きだした。チェシャ猫は苦い吐息を洩らすと、憂鬱そうな顔でふたりの後を追った。

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