Ⅳ.HAPPY TOGETHER-1
(──エイダ……だって……?)
店を飛び出したレイヴンは、青ざめた顔をこわばらせて雑踏を突き進んだ。
『*ママ*!』
嬉しそうに叫ぶ幼い少女。慌ててそれをいさめるグリフォン。
『違いますよ、エイダさん。この人はママじゃありません』
『だって*ママ*だもん!』
不平らしく唇を尖らせる幼女。幼いながらも端麗なその容貌は、いやでも*彼女*を思い起こさせた。
メドラ。
永遠に失われた、唯一無二の存在──。
彼女をなくしてから、これほどの衝撃を受けたのは初めてだった。ほとんど横殴りにでもされた気分だ。
『贈り物を、届けてやろう』
暗闇から囁きかけるその声は、残酷な愉悦を極上の絹で包んだかのようで──。決して癒えない心の傷に鋭い爪を深々と突きたてる。
(これ……なのか……!?)
これが『贈り物』だというのか。ああ、そうに違いない。〈白の王〉はサプライズが好きだから。予想のつかない『プレゼント』をして、受け取った相手を驚かせるのが好きなんだ。そう、死ぬほど驚かせるのが。いっそ死んだほうがましだと願うほど絶望させることが……。
脳裏がいきなり白く反転した。久しく遠ざかっていたフラッシュバックがよみがえる。
強烈な無影灯。正視できないほどに白く、白く、横たわる*彼女*を照らし出す。目に映るのはハレーションを起こしたようにぎらつく『白』と、鮮明な『赤』の色彩だけ──。
真っ白な光景に、真っ赤な雫が滴っている。
ピタ。ピタン。
本当は聞こえるはずもない、その音。
それでも聞こえた。
確かに聞こえたのだ。ただその音だけが、耳の奥に響いていた。
ピタン。ピタン。ピトン。
だらりと垂れ下がった真っ白な腕を、真っ赤な滴が伝い落ちる。床はもういちめんの赤い水たまりだ。真っ赤な海が、じわじわと広がってゆく。
……台の上の、あれはなんだろう?
さっきまで彼女だった*もの*。
誰より美しかった彼女。
今はただの、
グロテスクな、
肉塊
だ──。
ピタン。ピトン。ピタン。
滴の音に混じって笑い声がする。すぐ後ろで奴が笑っている。おかしくてたまらないといった風情で笑い、『なんてつまらないんだろう』とうそぶいてる。
『ごらんよ、ウィルフォード。命というのは実に儚いものじゃないか? どんなに愛していても、命は簡単に奪われ、そして二度と取り戻せない』
「レイヴン?」
『だからねぇ、ウィルフォード。私は自分以外を愛さないことにしたんだよ』
「おい、レイヴン。待てって」
『これは罰だよ。おまえにはすっかり失望させられたからね。期待が大きかったぶん、重い罰を受けてもらわないと……』
絶望して、絶望して、絶望して。
苦しんで、苦しんで、苦しんで。
絶望しきって、苦悶のうちに死ぬといい──。
「────レイヴン!」
耳元で怒鳴られ、ぐいと二の腕を掴まれる。真っ白な光景が弾け飛び、眼球の奥が灼けるように熱くなった。総毛立つような感覚が全身に走り、周囲の空気が陽炎のように燃え立った。
「うぁぁっちー!? おい、こらっ」
バシンと頬が鳴る。白くかすんでいた光景がようやく戻ってきて、レイヴンはぼんやりと目を瞬いた。息を荒らげたドードーが憤怒の形相で睨みつけていた。
「てめ……っ、俺を焼き殺す気か!?」
怒鳴られたレイヴンは黙ってドードーを見返し、叩かれた頬に指先を当てた。
「……顔を叩いたな」
「黙って炙り焼きにされろってか!?」
「……ふん、レアにもなってないじゃないか」
レイヴンは掴まれた腕を邪険に振り払い、さっさと背を向けて歩きだした。ドードーは憤然とした面持ちで追ってくる。
「詫びの一言もなしかよ!?」
「張り飛ばされたからあいこだ」
「──おい、どうしたんだよ。なんかあったのか……?」
「別に……」
鬱陶しそうに言いかけた途端、足元がふらつく。目の前がさっと暗くなった。倒れかかるレイヴンを難なく支えてドードーは溜息をついた。
「ほーれみろ。考えなしに力を使うからこうなる」
「……やかましい……っ、消し炭に……してやるぞ……」
「こんなフラフラ状態でできるもんならやってみな」
ドードーがフフンとせせら笑う。言い返す気力もなく、レイヴンはぐったりと目を閉じた。
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