lunatic lover

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愛しています

「愛しています」という言葉は全てを癒す言葉だという。 本来、そうあるべきだし、そうなのだろう しかし私は心臓から血を流すようにその言葉を絞り出した 愛しています 癒しの言葉は鋼の鎖に姿をかえた 愛しています 愛しています 愛しています 鎖は切れない 愛しています 私の心臓は血を流す 愛しています 私の愛は血を流す 愛しています 愛しています 愛しています 私は愛しい鋼の鎖に縛られる #エッセイ #コラム #恋愛 #スピリチュアル #癒し #純

    • 恋愛と愛についての議論をぶった切る

      よく恋愛について語る時、それは本物の愛かという議論があるが、恋愛でいう愛と神の愛にたとえられる真実の愛はとまったく違う概念、たまたま同じ単語を当てられただけのまったく違う単語といってもいいくらい違うものであり、同時に語るほうがナンセンスであろう。 それらを似た概念と誤認したままだと、それは恋であって愛ではないとか、恋愛で執着をするべきではないとかいうおかしな議論が発生する。 そもそも、恋愛と執着という単語こそ近い概念であり、似たようなものを語りながら一方を肯定し、一方を否定

      • わかりあうということ

        大切なひとを理解したい。分かり合いたい。そう思うのは自然なことだと思います。 それでもわかりあえず、すれ違いを繰り返してひとは苦しみ、悲しみます。 だけど、他者と分かり合えないなんて当たり前なんです。 経験のみならず体の感覚も心の在り様も。フォーマット自体が違うんだから。 どれほど努力しても他人とは決して完全に重なり合うことも完全に理解することもできません。 それをわかったうえで寄り添いたいとおもいあえるひとがいるとしたら、それこそがとても幸せなことなのだと思います。

        • 煙草の没落にみる現代人の精神病理

          先日、煙草をテーマにした文章を書いたのもあり、ふと夢判断と言うページを見に行ってみた。 あらかじめ書いておくと、現実では私は非喫煙者であり、実際に横で煙草を吸われるのはむしろ不快ですらあるのでここではイメージとしての話になる。 夢判断のページをひらくと、煙草の夢には依存、疲労、ストレス、不摂生といった言葉が並ぶ。 おそらく、最近意味づけられたものであろう。 そんなものを代表的なイメージとされるとは煙草の地位もずいぶん落ちたものだ。 少し前までは煙草はダンディズムや男らしさ

        愛しています

          匂いのイメージについて考えてみる

          私は匂いに敏感だ。 現実的にも、イメージ的にも。 私は一人でのんびり本を読んでいたり、美術館や博物館をふらついていれば御機嫌な性質なのだが、そういったとき、私には作品からうける匂いのイメージというものに圧倒されることがある。 まったくの主観であり、他人には関係のない話ではあるのだが、ここではそれについて書いてみようと思う。 私が強いインパクトをうけた小説に安部公房の「砂の女」がある。 この本を読んだのはまだ性というものに未成熟な高校生のころだから、今読むと印象が違うかもし

          匂いのイメージについて考えてみる

          煙草の感触

          私は煙草をくわえている。 唇にあたる煙草の感触が心地好い。 アイツが私の煙草の火をつける。いつもの仕草。いつもの場所だ。 いつもの場所だって?今はその場所はないはずだ。 あぁ夢か。私は記憶をなぞる夢をみているのだ。 私は煙草を吸わない。 アイツのせいだ。 アイツは本当によく泣くヤツだ。 私の前で酔っ払って、泣き喚いて、怒鳴り散らして。 やっと泣き止んで煙草に立ったアイツに付き合うためにだけ私も煙草をくわえて火をつけるのだ。 私は夢をみている。 私は煙草をくわえている。

          煙草の感触

          体臭についての考察

          私は匂いというものにかなり敏感なほうである。季節の移り変わりやひとのこころの状態を匂いで嗅ぎ分ける程度には。 匂い、香りというと花の香りや香水などが話題にのぼりやすいし、私もそういった香りを周囲において楽しんでいる。 そして逆に好ましくないものとして話題に上るものに体臭というものがある。 本当に体臭は好ましくないものであろうか。 それならば体臭ははなぜこころとからだにこれほど深く作用するのだろうか。 恋人の匂いに安らいだり欲情したり、あるいは好人物とわかっていてもその体

          体臭についての考察