『童貞。をプロデュース』での性暴力問題について

ちょっと長くなりますが、『童貞。をプロデュース』というドキュメンタリー映画をめぐっておきた性暴力・ハラスメントの一連の動きを、一映画ファンとしてどう見てきたかを時系列に整理し、それについて考え続けていることをまとめておきます。

わたしがこの問題について関心をもったのは、2017年8月25日の『童貞。をプロデュース』(松江哲明監督作品、配給はSPOTTED PRODUCTIONS)の10周年記念上映舞台挨拶のステージ上で起こった出来事(二つ下のリンク先に顛末が書いてあります)を、Twitterで知ったのがきっかけです。その前の2013年1月に、シネマスコーレで『フラッシュバックメモリーズ3D』(同じく松江監督作品)を見た頃から、わたしは松江さんのTwitter上での投稿をときおり目にとめていました(フォローはしていなかったけど、RTされ、TLに流れてくる映画や猫などに関するツイートを興味深く眺めていました)。だから、このニュースにはとても驚きました。

その後、すぐに両者(本件で被害を受けたことを訴えた、加賀さんのブログ記事-二つ下の記事から読むことができます-と、告発された松江さん・配給のSPOTTED PRODUCTIONSの直井さんお二人による声明-下記リンク)から、およそ真逆と受け取れる発信がされました。加賀さんの文章を読むと、制作の段階で性的なハラスメントがあったのは明らかです。かつ、自分の了解なしに作品を出さないでほしいという訴えも、なんと10年もはぐらかされ、無視され続けたことになる。一方の松江さん、直井さんの声明では、加賀さんの訴えについては「法的に強要と評価される行為がなかった」ため、作品には全く問題がないとしたうえで、舞台挨拶での加賀さんの行為を「犯罪行為」だと断言されていました(これについては後日…って言っても2年後、直井さんが「事実と異なる内容を発信してしまった」と発言されていますので、事実ではない発表を公式にされたということになります)。

それ以降、まるで何事もなかったかのようにこの件に関する発信がなくなり、わたしも、普段は考えることをやめて過ごしていました。それでも、映画のクレジットやパンフレットなどのコメントに SPOTTED PRODUCTIONS の名前や松江さんのお名前が出てくるたびにモヤモヤし、なぜ、あれだけの騒動が起きたにもかかわらず、後日談となるニュースが何も出ないのか(お二人は「和解を目指し、話し合いの努力をしていく」と書かれていたのに…)と、頭の片隅で気になっていました。

2017年は、ジャーナリストの伊藤詩織さんが実名を出して性暴力被害を訴えられた年です。映画界でも同年10 月にハーヴェイ・ワインスタインのセクハラについての告発記事が出され、それ以降、様々な業界から、実名で性暴力を告発する声が少しずつ上がるようになりました。日本でも同様の告発がいくつかあり、「フラワーデモ」などの#MeToo運動の盛り上がりも後押しして、性暴力に対する批判的なまなざしが社会に広がっていったように思います。とはいえ、もちろん、変化は十分ではありません。映画界も同じで、2019年2月には「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」でのキム・キドク監督招待作品取り下げ運動が起き、それでも上映は決行され、わたしはこの映画祭に携わる人たちの、性暴力に対する問題意識の低さにかなり幻滅しました(そのあと、韓国では未だ上映されていないのにもかかわらず本作品が正式に日本で劇場公開となった点について、どこからも言及がなく、わたしは映画の配給会社、受け入れを決めた劇場の感覚にも違和感をもっています)。

前述の出来事の2年後(簡単に言うけど、2年って短くないですよ…)の2019年12月5日、「ガジェット通信」上に、藤本洋輔さんによる加賀さんへのインタビュー記事(12月12日には追記も)が出ました。それを読み、この問題が一ミリも解決していないことが分かりました。これには再び、というより2017年の出来事以上に驚きました。だって、松江さん、直井さんのお二人は、2年前に和解を目指すと明記されていたのです。

その後、ほどなくして SPOTTED PRODUCTIONS のHP上に、松江さんの謝罪文が載りました(2019年12月13日付)。本来は全く別の言葉になるはずの、加賀さんへの謝罪とその他「不快な思いをされた方」への謝罪を一緒にした短い文章を見て、わたしはそれを、単にガジェット通信の記事で持ち上がった批判の声を静めるためだけに作られた文章だと受け取りました。

その後、ひと月ほどの間があり、SPOTTED PRODUCTIONS の直井さんから長文の文章が発表されました(2020年1月21日付)。この文章も、期待していたものとは程遠く、問題の所在とその回収・回復についての言及が不明瞭で、加賀さんと和解できているとも思えず、このままフェイドアウトしたいのだろうなと思うものでした。

上記の二人の対応は、ガジェット通信の記事がきっかけになったものです。それが無ければ、今に至るまでも、お二人は主体的に何の行動も起こされなかったでしょう。

ガジェット通信の記事と二人の文章を読む限り、松江さんと直井さんからは、被害を受けた側が苦しんだ10年間への想像力があるとは思えない(自分が望まない性的な場面を、公開しつづけられたのです)、言い訳に満ちた、もうこれで本件は無かったことにしたい、という意図が伺える謝罪(のようなもの)にしか見えず、それで社会の信頼を回復したいと思っているのなら、わたしには納得できない気持ちがありました。

被害者の側が「もうこれでいいよ。謝罪は十分です」と言ったわけではないのです。被害者と向き合うことをせず、勝手に謝罪文を公開し「済んだことにしよう」という方が無理なのではないでしょうか。それに、状況はプライベートでの喧嘩とは全く違います。映画を売るという事業を行う社会的な存在としての信頼は、一方的な謝罪だけでなく、どのように和解/解決したかという(本件はまだ解決に至っていませんが)説明がなければ、取り戻すことは難しいと思います。

今、ちょうどアップリンクの社長からの、長年のハラスメント(と会社の瑕疵)を告発する訴えが、元社員の方たちから出されています(2020年6月16日)。その後、驚くべき速さで、浅井社長からの「謝罪と今後の対応について」という声明が19日に出されましたが、そこで述べられている改善策が、実はそもそも原告の皆さんからのご提案だったこと、加えて彼らの了解なく一方的にウエブにアップされたことが、大きな批判を受けています。

下は、アップリンクを訴えた原告の皆さんが作られたHPです。

当然のことですが、謝罪は、まずは被害を受けた人に向けて十分になされるべきです。それ以外の人たちと一緒にされてよいものではないと思います。しかも、被害者が納得していないこと、了解していない事柄を一方的に発信するのはもってのほかです。関係性や信頼を取り戻そうとする気持ちが無いのなら別ですが、被害を受けた人たちをわきに置いた謝罪に、意味はありません。

話を元に戻すと、その後(松江さんと直井さんの謝罪文が掲載されてから)少し経って、ドキュメンタリー映画を「作り手」という立場から批判的に考えるための「f/22」というグループによる、ウエブ記事(2020年1月22日~23日付)の存在を知りました。この一連の記事を読み((1)、(5)、(4)及びテープ起こし。長いので、非常に時間がかかりました)、やはり、加害者側のお二人はこの問題を収束させたいとは思っていても解決したいとは思っていないのだ、と考えるに至りました。

松江さんからのnoteでの反論も、その考えを確信に変えるものでした。実は、時系列的には下の松江さんのnoteが1月21日、上のf/22の最初の記事は1月22日なのですが、わたしはf/22の記事を先に読み、松江さんのnoteを後から追いかけて読んでいます。

f/22からは、一旦発信が止まったのちに、4月14日に直井さんとの対談記事も出されました(下記リンクと、(3)、「なぜこだわるのか」の3本出ています)。

昨年末から一旦、問題を可視化する動きがすすみ、ここから良い方向に解決に向かうといいな、と思ったのもつかの間、また、動きが止まったまま時間が経とうとしています。被害を受けた側が、疲れ果てて消耗し、諦めて黙るのを待っているのでしょうか…。松江さんは、noteの記事で「「司法」という“公の場”を机上として提示したいと思います」ということを書かれていたので、どのような形での解決を目指されるのか、わたしはこれからも関心をもって見守っていこうと思います。

ところで、f/22は、これまでに冊子を2冊発行されています。どちらも購入しましたが、とても真摯に、ドキュメンタリー作品をつくることと向き合っていらっしゃる、わたしにはどの記事も興味深い内容のものでした。

この冊子には、『童貞。をプロデュース』の問題も取り上げて語られており、個人的には、この問題が可視化されただけでなく、文章化されて残り続ける(無かったことにされない)ことも大切なことだと思いました。本件については、もっといろんな人が自分事として考えたり発信したりするようになればいいなと思います。そのことが、少なからず問題の解決にも寄与するのではないでしょうか。個人的にも、関心を持ち続けるし、何も発信がない間も忘れないし、被害を受けた側が希望する、最大限の名誉回復が実現されることを望みます。

最後に、わたし自身の態度表明です。

1)松江さん、SPOTTED PRODUCTIONSが、本件の解決をないがしろにしたままである間は、わたしはお二人が関わる作品を応援できません。

2)インタビューを受けたはずの、カンパニー松尾さんの記事が出ていないことにも不信感を覚えています。彼が関わった作品を見ることもないと思います。

映画は、それ自体が文化としても確立された「情報の媒体」です。「映画業界」と呼ばれるコミュニティがあるように、商業ベースに乗る作品は、その中で基本的に契約や約束事にもとづいて作られ、観る人まで届き、その間にいくつもの利害関係(有償・無償の)を生みます。ある作品が観る人に届くまでのプロセスで、何らかの不正や行き過ぎた不誠実さがあり(例えば本件や、アップリンクのハラスメントのような)それが広く公にされた場合は、当事者を越えてその媒体や業界としてのスタンスやポリシー、あるいは哲学が問われるのは、個人的には別に不思議なことでも何でもありません。

上記は、2017年に被害を知ってから、ずっと自分の中で変わらない基準です。それでも、すべての映画を見る前に細かくチェックできているわけではありません。思いがけないところで当事者の人たちが映画のコメントを書いていらしたり、プロデューサーとしてお名前が載っているのを作品を見た後で知り、少なからずショックを受けるということも、これまでにもたくさんありました。そのたびに、これが映画の制作・配給・上映に関わる人たちの態度なのだと内心で受け取っています。わたしの中では、本件は、どうしても自分が見る映画と関係のないことにはできないことです。

長文でした。読んでくださってありがとうございました。





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