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#04 “守破離”について考えてみる|久々にステージでのピアノ演奏に挑戦して思ったこと


私の人生の2/3を占めるピアノの存在

私は、6歳の頃から大学2年生までピアノを習い続け、その後ピアノ教室をやめてからも、他大学のピアノサークルに所属しステージで演奏をしていた。

さらに、社会人になってからも就職した会社が音楽関係だったので、何かと人前で演奏する機会があった。アマチュアではあるが、ステージに立つ場数はそれなりに踏んできた。

ピアノから少し距離ができてしまった…でも再び距離が縮まるチャンスが到来

転職してからは、人前での演奏をする機会は皆無、しかも練習もしなくなってしまった。

そんなある日のこと。ちょうど1年前に転機があった。

前職で仲良くしていただいていた同僚(ピアノ教師)から、ご自宅で開いているピアノ教室主催の発表会の舞台監督のお仕事をお願いできないか?というオファーをいただいた。

今までは先生ご自身で舞台監督やら生徒の対応やらをやっていたが、生徒が増えたためにそれどころではなくなってしまった、とのことだった。

舞台監督と言っても、生徒の足台や譜面台の出し入れ、椅子の高さ調整などで、音楽関係の仕事をしている人ならピンとくる仕事だ。

少し迷ったが、せっかくのオファーなので引き受けることにした。

本番を迎えて、舞台上での仕事をこなす中で生徒の演奏を間近で聴いていた。

なんだか、この雰囲気がとても懐かしかった。

やはり7年も音楽に関わる仕事をしてきたのだから、それなりに思い入れもある。

生徒たちが一生懸命に弾く姿を見て、やっぱり私もピアノを弾きたい、そして小さなステージでも良いから人前で演奏したい、そんな気持ちが湧いてきたのを覚えている。

その気持ちが抑えられずに、なんとその翌日に電子ピアノを購入した。(自宅に配送されたのは購入した2週間後だったが)

※時々、私は思い立った時の行動力が半端ないときがある。

それからというものの、たまに気分転換で電子ピアノを弾いていたが、やはり演奏の本番がないと、どうも練習へのモチベーションが上がらない。

なんとなくモヤモヤしていたころ、また昨年と同様に元同僚の先生から発表会の舞台監督のお仕事のオファーの連絡が…。

舞台監督のお仕事はもちろん引き受けたが、今回はぜひ演奏もさせてください、とお願いした。

実は、来年はぜひ演奏もしてね!と声をかけていただいていて、それを実現させたいと思っていた。

発表会の本番は2月中旬。演奏すると決めたのは12月上旬。

練習期間は約2か月。さて、間に合うのか…。

モーツァルト=ファジル・サイ/トルコ行進曲に挑戦する

ピアノだけでなくどの楽器でもそうだが、ある程度の演奏力がある人なら、有名な曲かつごまかしがきかない曲であるほど難しいし、演奏したくないと口をそろえて言うだろう。

しかし、私はあえてその2つの要素を併せ持つ曲に挑戦することにした。

短い曲だが、誰でも一度は耳にしたことがあるフレーズ。そしてジャズ風に編曲されていてカッコいい曲。

この曲を選んだ理由は、3つ。

1、以前から楽譜は持っていて、いつか弾きたいと思っていたので、今回がそのチャンスと思ったから。

2、聴衆は発表会に参加している生徒(子ども)とその親なので、耳にしたことがあるけどなんだか楽しそうな曲!と思ってもらえることを狙いたかったから。

3、久々に挑戦してみたくなったから。

正直、仕事がそれなりに忙しく疲弊する中での練習はきつかった。

1月に入ってもなかなか思うように指が動かない…。

いよいよ焦りが出てきて、指に動きを記憶させるために腕が疲れるまでエンドレスで弾く練習をなるべく毎日実行した。

いよいよ本番…果たして?!

まず、舞台監督と演奏の両立。とても大変だったがなんとかやりきった。

そして肝心の演奏は…何度かミスタッチはあったが、それなりの演奏ができた…と思う。

久々のステージ演奏だったが、やはりこれまでの場数と経験値のお陰で無事に終えることができたように感じている。

ステージでのピアノ演奏からの…守破離への気づき

実は一人知人が私の演奏を聴きに来てくれていた。

演奏後に知人と会話したときに、「さすが本番に強い!良かったよ。」と言ってくれた。でも、ふと疑問が湧いたらしく…「この演奏をもっとブラッシュアップするとすればどうしたら良いと思う?」という問いを投げかけられた。

私は、直感的に「一旦寝かしつける」と答えた。

すると、知人はなぜだか心の底から「なるほど…」という顔をしていた。

なぜそのような顔をしたのか…話の続きを聞いてみると、それは「守破離」だね!と。さらに、このまま練習だけし続けても恐らくそこまで良くなることはない気がするんだよね…と。

そう、確かにもう指は形状記憶(?)しているし、暗譜もほぼしている。

だとすると、あとは目をつぶってでも弾けるくらい自分自身に染み込ませることしかない。

そうするには多少の時間が掛かる。

なぜなら、ある程度弾けるようになった状態からさらに練習をし続けてしまうと、そこから段々崩れていくから。これは長年の経験則。
一旦休息期間を設けてまた弾くと違った発見があったり、案外弾きやすかったりする。
もちろん、期間を空け過ぎてしまうと逆に指が忘れて全然弾けなくなってしまうので、寝かし過ぎは注意なのだが…。
このプロセスを何度か繰り返さないと本当の意味で染み込んでいかないと思っている。(あくまでも、私の持論)

あとは、聴衆がもっとノッて聴いてくれたり、他の楽器とセッションしたりすればもっと変容するかもね、とも知人から言われた。

練習では、楽譜という型を守って弾く⇒「守」
暗譜して弾けるくらいになったら、弾くから表現の方へシフト⇒「破」
完全に自分に沁み込んだ状態で弾いて表現することを楽しめる⇒「離」

本来の「守破離」の意味と比べると若干ニュアンスが異なるかもしれないが…。

みたいなことかな…と私なりに考えてみた。

千利休が提唱した「守破離」とは何か? | 日本の美意識で世界初に挑む | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

前提として一般的な「守破離」の意味合いをお伝えする目的で上記記事を引用する。

そして、これは、ピアノに限ったことではないと気づく。

新しいことを知り学ぶこと。初めて知ったことは、その時まだ知ったつもり。また期間を置いてからその事柄を振り返ると、別の視点での気づきが得られる。さらにまた期間を置いてからその事柄を振り返ると、本質に気づく。そのプロセスの回数は内容や人の思考によって異なってくると思うが、きっとこういうことなのかな…とピアノの話から、ちょっとアナロジー変換。

実は、最近その本質に気づいたかも…!と思える瞬間が度々起きている。

なんだか、海老が脱皮して一回り大きくなったかのような感覚でいる。

…と、 本日は少し切り口を変えたテーマで書いてみた。

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