外側の幸せ、内側の幸せ

お金を対価として欲を得る
外側に意識が向いている時、様々な感覚を培うことが出来る。
しかしそれは、無限のループで、ただイチ遊び方でしかない。

お金を稼いで子供を育てて家族で旅行
年を取ったら老人ホーム
そういう一つの道を過ごしていく人生を
ただただ感じる今世を送ると決めて生まれてきた人もいるかもしれない。

外側は他人で。
他人で遊んで終える。

それでもいいかもしれない。

ただ私は、もうひとつ「内側」すなわち「自分」を認識することが
ようやく、できた。いまはまだ、知らないままで居たかったといいたい。

内側、とは自分である。
自分の心で、心臓で、魂である
魂が感じる生き方があるということを今世で知ることができた。

言葉でいうならば
外側の幸せは楽しさ
内側の幸せは美しさ。

そして外側は私にとっては刹那的、内側は永続的であった。
しかし、慣れは怖いもので外側で数十年生きてきたこの肉体は
変化に対して恐怖で受け入れられないほどになっている。

それまでの違和感の正体、
それが違和感だと感じられる人はまだ少ないと思う
少なくとも輪廻転生の中で外側の幸せを体験することが今世の課題である魂とは違った課題があるということ

そして、どちらの課題に取り組むかもまた、
自分で選択する時が訪れるのだ。

私は分岐点にきて数年も費やしている
それまでして「選択」という大きな課題が残っていたのである

たとえば〇十代までにしておきたいこととして
「これからの生き方を決める」というのがある。

私にとってはまさに高い壁であった
自分の考えや周りの人に相談したりと、今までのやり方ではどうしても乗り越えられずそれはもちろんドロップアウトしたくなる気持ちもしばしば経験している。

同じタイミングで同じ状況の仲間がいない
私自身の魂の課題に向き合うタイミングが訪れている

ああなんと恐ろしや

考えても感じても
思考しても動いてみても
なんにも出て来やしない

考えてるのが無駄なんだと思ったこともあったが
それはやめさせてくれない。あらゆる手で思い返させて、そして向き合わされる。

もうっ どうすりゃいいんだ

向き合っていたら抜け出せる時がくる
そんな話も聞くが、これだけ抜け出せないと
前世でどれだけこの課題のステップを残して、遠ざけてきたかと思う。

片足、いや指一本触れずに避けてきた自分にとっての大試練なのかもしれない。
乗り越えた先には心の底から望んでいるものがあるのに、
自分に自信が持てず、触ってみようとすることさえあきらめている。

今世もまた、残してタイムリミットを迎えてしまうのだろうか。

時間は有限。違う課題に向かうこともできるかもしれない。
でも、いま目の前にはこの課題が大きすぎて、
身動きがとれない



嗚呼弱音を書き連ねてしまった。

私の今の課題は、

・内側の幸せの生き方に進んでみるか、今までの外側の幸せを追求していくか
・自分の人生を決めるのか・決めないで歩くのか

どちらにもメリットデメリットはある

そしていつの日も、その両方から背いてきた

調和と安定を望むから

偏ることが怖いのだ


私の感性は「美しさ」にある
外側にも追求できるところはあった
しかし、内側に本物の美しさがあったことを知った私は
苦痛を伴うその本物に、執着している

様々な魂が混在している現世で
選択をしつづけ、守って「いたい」ものを自問自答し
その答えがでることを、早々に願う。

刹那的だが豊かなレール
苦痛を伴うが上質で永続的な魂のレール

気づけば、縁が続いている魂は皆
魂のレールを選んでいる人である

私か。

魂のレールに乗る今世の課題から目を背けている張本人は。

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