おばあちゃんしにそう

いつも絵文字やスタンプで賑わう家族のグループラインは、一昨日から文字だけが並んでいた。
〔週末帰ろか?〕送信して仕事に戻ろうとスマホを置くやいなや、バイブが鳴った。いつもより返信が早い。着信にいつもで気づけるように気を配っているのかもしれない。
〔おばあちゃんまだ意識あるからあんたってちゃんとわかるやろうし、いつ急変するやわからんから顔見に来たって。来週は母フラダンスのレッスンがあるのでいけません。〕

人一人の命がこの世から消えるかもしれない深刻さと、母のぬるい未来が、画面の中でまざりあい目がくらんだ。
祖母は齢90でいつ死んでもおかしくない年齢だ。そんなことは入院する前からわかっているはずだった。勤務中、私はスマホをデスクに伏せて席を立った。一昨日持病の悪化で緊急搬送されてから、始まってもない通夜前夜祭みたいに真っ黒なラインの内容は全部祖母のことで、リアルタイムで返信して、ちゃんと状況を受け入れているはずなのに。
私は会社のトイレでうずくまって泣いた。

「おばあちゃんが死にそう」という私にはどうにもならないことだからこそ、誰かに聞いてほしかった。祖母が亡くなることへの70%の悲しみ、死に対する25%の恐れ、その他鬱屈とした5%の感情。ぼやきたいけれど、ほしい言葉は思いつかず、わかったような顔をされるのが一番我慢ならないので結局飲み込んでいる。親戚の死なんて誰にでも経験のあることなのに、孤独だけは誰とも分かち合えない。

急に頭の中でネットのミーム画像を思い出した。仮面を被った傷だらけの怪しい男と小さな子供が一緒に砂遊びをしているやつ。仮面の男が「俺が怖くないのか」と質問し、子供は「大人はみんな仮面をかぶって傷だらけだよ」と返事が添えられている。次ネットで出くわしても笑えないなと思った。なぜ気丈に振る舞わなければならいのか?私は泣き顔を仮面に戻すため、会社のビルを出て、太陽に目を細めた。

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