見えないホームレス、視えないひと〜ルンペンTOKYO STATEMENT〜
9800
なんの数字かご存知だろうか?
これは、令和3年時点での、「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」(通称:ホームレス)と「特定の住居を持たず生活している者」(ネカフェ等で)その日暮らしをしている人の数である。
都市部や駅周りでたまに見かけるあの人たちだ。
彼らは日雇いに出たり、残飯を漁ったり、自治体のバックアップを受けて生活を営んでいるわけなのだが
厚生労働省の発表では、年々減少の一途を辿っている。
そんなホームレスと呼ばれる人達を追いかけ、今の社会構造の中でどう立ち回ることができるかを検証するメディアを立ち上げた。
「ルンペンTOKYO」
暮らし、生い立ち、コミュニティを追いかけ一つの作品を作っていく。
その作品はNFTアートとして全世界に発信する。
そこで得た利益を還元することで、一つ「お金」という悩みから解放された時彼らに何が起こるのかを追いかけるのだ。
是非これからコンテンツを拡大していくので追いかけてほしい。
以下、一つのケーススタディとSTATEMENTである。
19歳の少年が家を失う時
1999年 19歳の少年はただひたすらに、寝ても醒めても夢を見ていた。
Gibsonのレスポールスペシャル、HIWATTのキャブ、orangeのスピーカー、エフェクター数台、ハイエースが一台、一週間分の衣類 これだけあれば充分だった。
大阪からはじまり、滋賀、名古屋、静岡、東京、仙台で折り返し新潟、福井、京都、兵庫、広島、岡山、福岡、長崎、大分、沖縄 と毎日喉を枯らし、命を削ってライブをした(当時のアンダーグランドカルチャーは「病んでいる」のがテーマで、生きる=血を流す だった)
一公演3万〜15万 年間220本のライブと作詞、作曲、編曲の料金、物販とCD、あとは同人で出版した漫画やエッセイの売上
そこから、移動費、スタッフの人件費、事務所から引かれるPR費用、打ち上げ代、レコーディング費、衣装代、通信費を差っ引いて手元のお金はトントンだった
それでも、少年はそれでよかった それがよかった
too young too dieで駆け抜けた青春はメンバーの結婚というなんともよくある理由で終幕することになる。
音楽の仕事は続けたが、若いあまりに若すぎた少年はビジネスとのバランスを取れず、ジェンガのように崩れ始めた気づけば夢のかけらさえ投げ出し、惰性で時を過ごしてる。ワナに嵌められたみたいに、生活に首をしめられ、やり場所のない苛立ちが毎晩彼を苦しめる。
家賃は三ヶ月滞納していた。
19から21歳までのわたしである。
ホームレスになるきっかけは希望を失った瞬間
人は思ってるよりも簡単に住居を失う。
ほんとうに簡単なきっかけだ
家もなく、機材と少しのお金とスーツケース一個分の衣服しかもたず、家族とも疎遠だったわたしは希望を捨てかけた
でも僕はすごく恵まれている。
たまたま友人やグルーピー 今のわたしのような大人に大変助けられて希望を捨てずに済んだ。
無事就職した僕は今は社会の一部として希望も家ももち、仲間にも恵まれて生活している。
冒頭に書いたホームレスの定義は国が発表している「ホームレス状態」の定義である。
本当の意味でのホームレスとは家が無くなったあと、希望までも無くした時にホームレスになるのだと思う。
それには黒や白という二元論では語れない複合的要因が多数あると思っている。
STATEMENT
なんでも安く買えた方が良いし、友達は沢山いた方が良いし、喧嘩なんてしない方が良いし、戦争なんてない方が良いし、人生なんて楽しい方が良い。
僕たちが見るもの聞くもの触れるもの全て「良いコト」だけで構成されていたい。
そんなファンタジーに逃げ込めるくらい、3月とは思えない寒さに手足が震え、きっと咲いてないだろう桜の花を想像で満開にしていた。
それでも社会というのは、生きるってことはどうしても痛みを伴うこと、まるで割れたガラスの破片の中をただひたすらに進むことを強制する。 そして「強くある」ことを要求する。
資本主義の作り上げた社会は競争とコントロールを原則に今日もヘロインのようにその痛みを鈍化させ僕たちの大きな課題は手のひらに収まることなく、テキストファイルとして消費されている。
有名な話だ。 乞食(こじき)という言葉がある。
これは行政が指定するメディアでは取り扱ってはいけない言葉である。
理由はこうだ、「日本は世界でも群を抜く福祉国家である。さまざまな理由があり働けない人に対して全ての福祉を提供している。従って、福祉を受けれず他人から施しを受けて不労所得がある人間は存在しない。 存在しないものに対して乞食という呼称をつけるのはあたかも"そのような人"が存在しているかのような誤解を生んでしまう」
これは、よくできた口上で再引用するなら手のひらに収まらない大きな課題をテキストで消費してるだけのファンタジーである。
大きな課題は個人に帰属することで、やっと解決に向けたアクションになる。
わたしの友達が家族が同じ境遇だったらきっとその希望を剥奪することはできないし、どこかしらでかかった「呪い」のようなものを見過ごすこともできない。
社会に拒まれた者、社会を拒んだ者、きっとそのコミュニティでしか分かり合えない価値観
わたしたちは自立を強制しない、施しだけを与えることもしない。
わたしは、わたしたちは民主主義では追いつかないスピードをもって、彼らをエンパワーメントする。
情報技術の発達はきっとそれを可能にする。
「弱いまま」でも「弱いから」こそ今、この大きな問題を個人レベルにリバースするんだ。
これは論理VS論理でもなければ、構造VS構造でもないわたしたちの大きなレイドバトルになる。
少し力を貸してほしい。
「EARN TOKYO HOMELESS」
わたしたちは資本主義の内側から資本主義と対峙する。
チャンネル登録してね!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?