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渋谷で出会ったSNSハックホームレス〜SNSと社会はグラデーション〜

少し目線を上げると宮下パーク、その直下にはBALENCIAGAよろしくハイブランドの店舗が排気ガスにまみれながらも、くもりのないガラスを維持している。
「いしや〜きいも」というなんともクラシックな響きが道路沿いをなめくじのように這っている。 
なんとも両極端に思えるこの音色と4速切り替えの軽トラックが撒き散らす情緒は一体誰のためのもの? 今まさしく僕のために鳴り響いてるように思えて仕方なくて、寄り道をしかけたのだが僕はとあるホームレスだと言われている男性とアポがあったので目線を外し焼き芋の匂いとノスタルジックアナウンスマーケティングの毒牙から逃れた。

僕が崇拝? いや違う 父に近い 一番多感な時期に人生を教わった生涯の師、落語家で小説家脚本家である中島らも氏の著書「その日の天使」と言う彼自身が躁鬱病と戦って(いや、戦うと言うよりは友達になっていたのかもしれない)とにかくアップダウンが激しい彼の人生を記したエッセイにこのような一文があるのをふと思い出した。

「その日の天使」

一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々の容姿をもって現れる。

心・技・体ともに絶好調のときには、これらの天使は、人には見えないもののようだ。
逆に、絶望的な気分に落ちているときには、
この天使が一日に一人だけ、さしつかわされていることに、よく気づく。

こんなことがないだろうか。
暗い気持ちになって、“今、自殺したら”などと考えているときに、
とんでもない知人から電話がかかってくる。
あるいは、ふと開いた画集か何かの一葉の絵によって救われるようなことが。
それは、その日の天使なのである。
ある夜、僕は締め切りに追われ、精神的に追いつめられていた。
もう死んでしまおうかとなって悩んでいたところ

「や~きいも~、やきいも」といいながら焼き芋を売る車がマンションの前をとおりかかりる。「人がこんな苦労しているのに、なにが焼き芋や!」と思いましたが、思わず笑いがこみあげてきたのでした。

そのとき焼き芋屋は「救いの天使」でした。
苦しみから一歩距離をおくことができたのです。

「その日の天使」は電車のホームで見た中年のサラリーマンかもしれない。スポーツ新聞を読んでいるおじさんかもしれない。立ち食い蕎麦屋で働いているおばさんかもしれない。毎日一人は必ず味方になってくれる天使がいる。いないと思う人は気づいていないだけだ。

中島らも 「その日の天使」

らもさんの開いた瞳孔と言葉にならない言葉と笑えるけど笑えない冗談を少し思い出して胸が苦しくなっていたのだが、撮影に同行していた相棒になんともないような顔で「情緒だね〜」なんてニコニコして見せた。
すっかり僕も大人になってた。

雨の渋谷、宮下パーク周りの開発により整備されてからかなり久しい。
ここを通るたびに「公共」とはなんだろうか? についてリフレインする。
以前下記のnoteの冒頭で少し触れたので始めての動画とともに見返して欲しい。

冒頭が少し長くなってしまったが、今回は路上で生活しているものの出会った場所はTwitter
SNSで10,000人のフォロワーがいるホームレスにインタビューをしてきた。 一体彼の生活とは?

SNSと現実社会

そういえば、ホームレスの方に取材の依頼をするときはあらかじめうろうろしている場所や時間帯を詳しく聞き、僕の電話番号と電話代を渡し本当に会えるかどうかもわからない状態でアポイントする。
今回は直前までTwitterのDMでのやり取りをしていた。
本当にホームレスなのだろうか? と疑っていたぐらいだった。

SNSで10,000人のフォロワーがいるホームレス

彼の名前は「ハッタリ君(路上生活中)」なんともコミカルでその僕らが想像しているような”過酷さ”を感じさせないネーミング そしてタイムラインにはポジティブな言葉が並んでいる。(Twitterプロフから直接彼に支援ができます! ぜひ覗いてみてください)

懸賞界隈と呼ばれるRTやフォローをすることで、プレゼントなどがもらえるSNSマーケの一種を楽しみ「当たったね〜」とか「当たらなかったね〜」とかでワイワイしている界隈である。
今回のハッタリくんも一参加者から、企画者側で懸賞を企画していたこともあったようだ。
それを繰り返していると10,000人までアカウントが育っていたとのことだ。

インターネット創世記から現在までの社会との関係性

今やSNSは現実社会と切っても切り離せない関係になっている。
このルンペンTOKYOだってそうだ、あらゆるデフォルトが可能になった(今や教育はYOUTUBEその他でも学べるし、地方でなくとも平等に情報取得できるし)テクノロジーを駆使して未だデフォルトされていない「お金」の悩みから解放された時に人間について、幸せについて、再度考えようと言うコンセプトでやっている。 
これは福祉の手の届かない部分をテクノロジーのスピードで補おうとしているのだ。
 僕は年代柄インターネット創世記にその社会にカルチャーにどっぷりだった。
インターネット創世記では僕のように日陰者、「他の人とちょっと違ったものが好き」な人たち 俗にいうオタクだったり、現実社会に馴染めない人たちを収容する居場所で
僕たちにとってはサンクチュアリ、その他によっては隔離先で現実社会からマイノリティを切り離すことでコミューンのような場所で一つの社会だった。
そのセグメントされたインターネットからSNSと言う概念が生まれ、一気に憎き陽キャたちが流れ込んできて、急速に発展した、
そこからと言うものサンクチュアリを死守してきた僕たちであったが、市民権を得ることができ「なんだあいつら意外と良い奴じゃん」みたいな空気になり、分断/セグメントされていたネットとリアルは点と点で繋がったのだった。 
 それからと言うもの”ネットとリアルを往来”するという行動が今ではすっかりネットとリアルはもはやセグメントされたレイヤーではなくグラデーションになっていると言える。 
そんな人類が今やメタバースやWEB3.0で”神の真似事”をするところまで指数関数的に情報技術が発達しているのだから本当にすごい時代に立っているんだなぁと感じる。 
(らもさん僕、文章書いてるよ! ペンと紙じゃなくて、パソコン一台で!)

数値化の先にあった優しさと暴力

いいねの数やフォロワー数など、SNSの発展とともに僕たちは人や気持ちをすごくシンプルな数で数値化してきた。 
それは時には比較や競争を生み、またその匿名性から鋭利な言葉による暴力も日常茶飯事だ。 そんなメンタルリスクを孕んだSNSだが今回のインタビューの話に少し戻そう。
フォロワー10,000人のホームレス はったり君さんは収入の無い今は炊き出し等で生活を送っているのだが、TwitterからのAmazon欲しいものリストの公開によって支援していただいて助かっている部分もあると言う。
今までコミュニケーションをとっていたフォロワーさんたちには現状路上での生活を強いられていると言うことを打ち明けており、時には支援してくださる方もいるとのこと。
 きっと、はったり君さんの人柄がこの0と1の羅列でできたネットという海に伝わって支援につながっているのだとインタビューを通して僕が感じたことだ

Statementで僕はホームレスの定義を「住所を、仕事を無くしたときがホームレスになるんじゃない、本当にホームレスになる時というのは、希望を無くした時だ」と定義したのだが、たくさんの絶望があったであろう中にも優しさに触れてTwitterのタイムラインには希望のある言葉が並んでいた。
「状態」としては路上生活だが、動画の後編で「やっぱりまずは家を見つけて、生活の基礎を建て直して、、、」と語るハッタリ君さんの目は決して死んでいなかった。 

そんなハッタリ君さんの動画はこちらから!

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