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魂の神聖さに触れるヴォイスワーク

たぶん一年前ぐらい。
noteでたまたま見かけた文章、
静けさと深さが心地よくて
引き込まれるように読み進めた出会いがあった。
 
それは
笙奏者である大塚惇平さんの記事だった。
笙 * 声 大塚惇平|note
 
プロフィールに
生の全体性を生きるヴォイスワークとして「Awakening voice – 魂のうた」の活動を始める。

と書かれていて、
たぶん、感覚的に文字と文字の間から溢れてくるものに触れ
一度そのヴォイスワークを受けてみたいと思い
ようやくこの12月、一年越しで参加できたのです。

そして、ワークは
予想をはるかに超えたスピリットワークで・・
声を通じた魂のワークという方が近いかも。
 

声を出す出さないという以前から
”それ”はすでに始まっていて。

かすかな響きに耳を澄ますような
繊細なワークでありながら
魂のダイナミックな動きに触れる感覚は
なんというか、
例えると花が開いていく「音」を聞いたような感覚。
 
 
そんな世界に触れた感覚だった。


最初、ウォーミングアップ的に
天の声、大地の声、ハートの声と出していく。

大塚さんが、声を出していく。
天の声では、体がものすごく熱くなって
涙が出て、大地、ハートの声は安らぎを感じた。

声。
声とは何だろう?
そんな疑問が浮かんだ。


ワークは、
何かを召喚する儀式のようでもあった。

天に意識をあわせると
そこの存在が声帯を通じてやってくる。
現れて
また風のように消えていく。
 

ハートに手を置いて
声を出すワークでは
本当にかすかなかすかな響きだったのだけど
驚くほどにハートに響いて
涙がダラダラと流れるほど。

神々の世界は
かすかな物音が雷のように聞こえると言われる。

小さな声でもこんなにハートに響くことに深く感動し
また涙が流れる。

ハートは主張する必要がないんだ。



そして、ワークが最も深くなる
一人一人歌う場へ。

ここからが予想をはるかに超えた体験だった。


なんの緊張も不安もなく
歌わなきゃとか思うこともなく
ただそこに存在できるという安心な場。

この進め方が極めてセレモニー的で。

そう。
まさにそれぞれの「魂の存在」を祝い、
讃え、召喚する儀式のよう。


ワークはみんなで輪になる形で座っていて、
その輪の真ん中にひとり座る。

そして、まず大塚さんが真ん中の人の響きを感じ
歌うのです。
それは、まさに魂の声で。
新たな時空が開くような不思議な感覚。

そして、その歌から感じたことをシェアくださる。

そのシェアが終わると
真ん中の人を感じて
まわりの人みんなで声をだす。
うたう。

みんなの声を聞いて
また真ん中の人も声を出す。うたう。

最後、真ん中のひとりだけで歌う。


これが
まあ、なんというか、言葉に尽くせない
感動に包まれる。

真ん中にいる人が
肉体を越えて、
その存在として響きを現す姿を見た(聞いた)ようだった。


魂ってなんてパワフルなんだろう。
その地上の姿、借の姿ですよね?と思わずにいられない。


時に
壮大で。

時に
猛々しく。

時に
繊細に。


これがこの人?
いやいや、これすらも一部にすぎないよね。
そんな宇宙を感じる。

真ん中の人が真ん中で
わたしたちがまわりにいるという感覚も超えて、

今、この瞬間に
流れ星そのものになる「わたし」もいれば
流れ星を眺める「わたし」もいる。
落雷にそのものになる「わたし」もいて、
落雷に遠吠えする「わたし」もいる。

その世界はもっと繊細かつダイナミックで
花が開く音を聞いているような

それらを同時に体感している。
今ここに天地開闢がひたすらに現れる。
そんな感じなんだ。



わたしも真ん中に座る。

わたしの響きを歌う大塚さんは
調和、調和を壊すエネルギーが現れる
幾何学的という言葉、奥からこれから
生まれそうともおっしゃってた。

わたし自身は
とりとめなくメロディを感じるうたが出ていた。

没入までいかなかったけど
思考でもないぐらいの意識の中、
瞼の裏に映る景色に
【恩恵】という文字が縦書きで見えた。

もう少し詳細に見ると
恩恵の文字の奥には襖があった。

大塚さんに奥から何か出てくる
生まれそうみたいな感じのことを
おっしゃっていただき、
あの襖の奥に何かいたのかもしれないなと思い、
その日は言葉にならない感覚に
軽い興奮を覚えながら家路に着いた。


このワークに参加することで感じるものは
おそらくそれぞれに違うはず。
 
いろいろ書いてみたけれど
この日感じたことは、ダイナミックに魂で交流する感覚、
肉体を越えて存在同士で交流する響命のワーク。
みんなと魂で響きあうような楽しいワークだったということ。



そして、それは、まだ終わりではなく
翌日、わたしの中の「襖」が開いたのだった。

襖の奥に隠しておいた怒り、恐怖だと思っていたもの。
できる限り見ないようにしておいたもの。
それが、本来の姿で現れたという感覚が訪れた。

それは、天から与えられたギフト・・・
まさしく「恩恵」。

わたしの魂の姿。

そこには、もう襖は無くなっていて。
怒りでも恐怖でもなく
純粋なエネルギーそのもので
目が覚めた想いだった。

最も恐れるものは、
最大の恩恵だった。

最も恐れていたこと
「(見えない世界を)表現すること」


幻想を祓い、魂に触れたヴォイスワークだった。

この感覚については、大塚さんのこちらの記事が興味深い
"わからなさ"にひらかれるということ|笙 * 声 大塚惇平 (note.com)


このワークを受けてたどり着いた感覚は

この恩恵(わたし)を生きよう。
この与えられたいのちを
余すことなく生きよう。

わたしの真実(リアリティ)を生きるという
 
ということだった。


それは、今ここからまた歩み始めるという
まっさらな気持ち。

人生は、いつもいつもここがスタートで。
何度も何度もここにやってくる。
ここはいのちの真ん中。
心地よい風が吹いている。


その風がどこから生まれたのか
そんな問いかけもどうでもよくなって
ただただ、心地よい風が通り抜けていく。



大塚さんのワークについてはこちら。
https://awvoice.com/

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