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廃墟趣味じゃないんです

…先日、群馬県みどり市で街中を撮影していた時の事。
道を歩いていたオッサンが、私に何か言ってきているようでした。

比較的遠かったので、聞こえないふり(実際に内容はわからない)をしましたが…実は同じような事は別に珍しくはなかったりします。
叫んでたり、すれ違い様だったりと色々なのですが…共通なのは皆「文句」だということ。
文句というか愚痴なのでしょうね?。

私が撮影する場所は、廃墟廃屋も多く存在します。
何度かnoteでも書いてますけど、私の興味は
「消えはじめているもの、壊れかけているもの」
…で、そこには確かに廃墟等も含まれます。

しかし、私は廃墟マニアでは断じて無いし、ましてやその中に入りたいとは思っていません。
興味がないのではなく、単純に怖いからです。
怖い思いをしてまで居たくないし、警察に捕まるとか考えられません。
だから中で撮影なんてする気にもなれないです。

写真とは、時間の流れに抗する為の手段でもあります。
廃墟の中に入って、これ面白れぇなぁ、エモいなぁ、という風に「娯楽の対象」としたいのでは無いのです。
私にはそういった行為が、どうにも破壊的に感じられてしまい、シンパシーを感じるという事はありません。
無論、行動そのものは個々人の自由で、判断のもとで行われる事ですので、特に反感などは持ち合わせてはいませんが。

但し、そういったこととは無縁の人々にとっては、私も廃墟マニアの人達も、違いについてはわからないと思います。
先に書いたようなオッサンも、彼から見たら「萎れてしまった街」と、それに相似した自分の姿を重ね合わせてしまって、それを嗤われている様で苛立たしいのかも知れません。
しかし、私にはそんな意思なんて塵ひとつも無い。
私はただ、この世からサヨナラしようとしているモノ達に、同じようにサヨナラを返しているだけです。

生きとし生けるものは、必ずいつかは消えゆく定めです。
その現場に立ち合った縁に対してある種の敬意を持ちたいと思いながら、私はシャッターを切り続けているのです。



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