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思い出は水底に

2019年の台風19号の豪雨によって、当時試験湛水中であった八ッ場ダムは、一気に危険水域にまで水位が上昇した。

私はテレビを見ながら、行方を見守っていた。
緊急放流の可能性が言われる中で、心配を重ねながら床に着いたが、脳裏では
「…あの鉄道橋はどうなってしまうのか?」
…などと、沈み行く施設の事に、ぼんやりと思いを巡らせていた。

「鉄道橋」というのは、吾妻川を渡る旧JR吾妻線の橋梁で、ダム直上に位置していたため、程無くして水没する予定だった橋だ。
旧国道と並走するようになっていて、吾妻川の流れを入れて列車が撮れる、ビューポイントのひとつだった。

布団の中で「ああ、まだサヨナラを言っていないのに…」と思い、残念さが頭を過った。
台風直前に見たときは、まだ姿が確認できたし、間もなくまた訪れようと決めていた。
台風の豪雨は、そんな思いを分断するに十分な破壊力で、あの「空間」を一夜で埋めてしまったのだ。

台風が去り、再び訪れたダムに、最早それまでの思い出などは微塵も残ってはいなかった。
あの鉄道橋も水底に沈み、恐らくはもう見ることは叶わなくなってしまった。

風景が一変する、という体験をしたのは初めてだった。
いや、正確には東日本大震災前の東北を知っているから、二度目ということになる。
改めて自然の脅威と言うものを見せつけられた気がした。

…あの鉄橋を渡る列車で、私たち兄弟と母は、草津温泉へと旅行に出掛けたものだった。
鉄道で長野原草津口駅まで行き、下車したらバスに乗り換える。
バス待ちの土産物兼食堂の中で、私たち兄弟はクリームソーダを飲みながら、テレビを見ていた。
我が家はお世辞にも、中流とさえ言えぬ家であったから、クリームソーダは確かに御馳走であった。
確かめるようにアイスを食べ、またソーダに溶かしては飲んでいた。
暑い夏の日…夏休みの記憶だ。

懐かしい記憶は消えない。
けれど、その場所が見えなくなってしまうことは寂しい。
記憶の場所は水底にある。
そしてもう、多分会えないのだ。


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