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親父と、夏。

朝、鏡を見る。
老けたと思う。
喉の辺りの弛みも顕著だが、問題なのは「頭髪の境が後退してる」所か?。

齢六十でほぼ頭は真っ白。
これは許せる…若白髪が酷かったし、知り合いの方の頭髪が、まだ若くしてオールグレイであったに関わらず、とても綺麗に思えてたから。
頭を染めるのも嫌いで、皮膚炎が酷くなりそうなのも理由。

親父は自分の歳の頃には、もうすっかりと禿げていた。
今の自分どころではなく、完全に「落武者」だったのだ。
結婚当時の写真を見ても、その時点で大分薄くなっているようだ。

親父との仲はお世辞にも良くなかった。
喧嘩できるようなら未だ良いが、異質さを互いに感じあっているところがあった。
そのくせ、妙に身体的な特徴は似ていて、指が女性のように細いとか、お尻がデカイとか、声質も良く似ていると言われる。
しっかりと禿げて来たのも御同様というわけだ(笑)。

彼が亡くなって随分経つ。
思えば十五年以上経過していて、その分だけコチラも老けていったという事だ。
時間は残酷極まりない。

ひと頃は随分と嫌ったものだったが、彼と似ている部分を自分に見出だすと、何処か呆れるというか、苦笑いが出てくるようになった。
ああ、逃げられないんだ…俺はやはり親父の子なのだなぁ、と思う。

商才に恵まれたわけでも無いのに一城の主を目指して独立し、結果として破れ去った。
争いを嫌った彼は、あまり波風たたぬ小さな会社に入社し、退職後は雇われ店長として働きながら、静かな老後を過ごしていたらしい。
その頃は私も独立していて、顔を合わせることも殆ど無かったが、昔と何も変わらないような風体に、少しホッとしたような記憶が残っている。

彼が亡くなって、やはり平穏とは行かない心の小波を抑えようと、私は山梨にある向日葵畑を訪ねた。
時期は少し遅い様であったが、向日葵の波を見ながら歩いていると、少し落ち着いてきたような気がした。

私の中の親父の印象は「夏」だった。
甲子園大会の地方予選を、炎天下の中で見るのが好きだった。
子供の頃に近所のザリガニを釣りに出かけたのも、原付の後ろに乗って利根川にクチボソを釣りに行ったのも、夏。
貸家の小さな縁側で、雷を見るのも好きな人だった。

私は夏が好きでは無い。
やはり好みや考え方は、父子であれど全く別のものだろう。
ただ…これからもっと老いていく過程の中で、時おり親父と同じだなと思う瞬間も増えてくるのだろう。
その時に嫌な気持ちで居るという事もなく、どこかしら懐かしさを抱いているなら、多分、私の生きてきた時間は間違いではないと思えるのだ。


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