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あなた三昧

昨日のこと、軽井沢の雲場池の紅葉が見たくて車を走らせていた。

私の車には、曲をSDカードに入れておけるプレーヤーが付いてる。
データはMP3方式で圧縮されているから、micro SDには何百曲ものデータが収録されている。
それ故に「おお、この曲久しぶり!」なんて事もあったりする。

「あなた三昧」(さだまさし)

…は、さだまさしの「ほのぼの」というアルバムに収録されている曲。
1992年リリースということで、なんともう三十年以上前ということになる。

歌詞の中身からして、現在では「もろバッシング」になるような内容だが…あ、いやいや、当時だってきっと叩かれていたに違いないだろう。
女性蔑視だ、差別だ!と喧しいことだったろうか?。

確かに、歌詞のような女性や、同じような夫婦は少数だと言えるだろう。
しかしかといって「間違ってる」という事は、きっと無い。
夫婦のかたちは色々で、感情の流れも色も様々なのだから。

もうすぐに還暦を迎える私だけど、結婚には運無くここまで来た。
束縛されることが何よりも嫌な私だから、夫婦という関係は目に見えない監獄のように思えて、敢えて考えないようにしてきたというのが事実の一部ではある。

ところでこの「あなた三昧」という曲には…実は「子供の存在」が全く感じられない。
夫婦二人だけ…まあ、子供が成人し離れていったという可能性もあるが、それにしても清々しいくらいに生活の垢が感じられない。
それ故に、という見方も通用はすると思うが…しかしそれでもこの夫婦の信頼の絆は、見えはしないけれど、太く柔らかだと思う。

以前の日本人は「相手任せ」の意味を深く良く知っていたと思う。
他人は他人で、必ず自分の所有物にはならないのだから、むしろ相手に「投げて」しまおう、という知恵が存在していたように思う。

挨拶も握手ではなく、御辞儀の文化。
決して結び付く事をせず、一定の距離感の中で長い時間をかけて相手の事を学びとりあっていく。

昔の日本には「愛」という言葉が無かった、もしくは男女間で使うようなものでは無かったと聞いたことがある。
相手の気持ちを確かめようとするとき、確認という手段を取ることは、きっと憚られる恥ずべき事だったのでは無かろうか。

月の裏側を見ること無く、多くの人が一生を終える。
でも、月の裏側がどうなっているか知ることよりも、月の満ち欠けと共に時間を過ごすことの方が、ずっと素晴らしいことだと思う。

何も要らない、元気でいればそれで良い。
今夜の月は満月?それとも三日月だろうか?。



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