恋は、遠い日の花火ではない
最近、ポテトチップスのCMで流れている曲に、おや?となりました。
その曲とは「ワシントン広場の夜はふけて」です。
ウイスキーのCMではなくて、ポテトチップスのCM。
あれ?…良いのかな?なんて思ったり。
まあ別に、使用許諾があれば問題ないんでしょうけど、イメージがねぇ…強いから。
…ということでモヤモヤしていたら、そのうちに気付きました。
「あ、曲ちがうわ!」と。
ウイスキーのCMに使用されてるのは「人間みな兄弟~夜が来る」
という曲。
私はこの二曲を、なぜか混ぜこぜにして覚えてしまっているのです。
長い間、ウイスキーのCM曲はワシントン広場の…だと勘違いをしてました。
ポテトチップスのCMには、山﨑賢人さんと新木優子さんが出ていますが、昔放映されていたウイスキーのCMには、長塚京三さんや田中裕子さんが出演されていました。
男女二人だけでのCMという事もありまして、すっかり勘違いをしていたというわけです。
違う曲ですが、何故か同じように何処か寂しげで、懐かしい。
ポテチはウイスキーの水割りのお供としてもナイスですから(笑)…どうも確信的な気がしないでもありません。
「恋は、遠い日の花火ではない」というコピーは、バブル期当時…もう三十年近く前のCMに使われていたものです。
その頃の私も三十代…恋は遠い花火なんかじゃなくて、実際に目の前に存在しているような頃でした。
遠い花火、という言葉の意味するところもイマイチ理解できず、若い部下の女性の言葉におどけて、ピョン!と小さくジャンプをする姿を何処か冷めた目で追っていた記憶があります。
羽振りの良い中年男が小娘に踊らされている姿が道化の様にも…またはプチ成金の様にも見え、内心面白く無かったからです。
まあ…拙速だったという事ですね。
若気の至りだった。
「遠い花火」というものは、音が遅れて聞こえてきます。
もっと距離が離れれば、光も見えなくなってしまいますし、音も届かなくなってしまいます。
「俺はまだ枯れてないぞ!」という元気の旗印の様にも思えるコピーです。
それはそうだったかも知れません。
世はバブルでありましたし、そう捉えてくれた方が、CM戦略上は成功でしょう。
しかし何故「花火」なのか?。
花火は瞬間の美ですが、それが恋というものの比喩であるとすれば、少し寂しい気がしてしまいます。
恋は必ず終わるもので、花火のようなものだよ?というのでは、些か枯れすぎでは無いでしょうか?。
つまり「遠い花火ではない」は「二重のワード」で構成されてるということ。
「遠い」と「花火」。
そしてその否定。
遠いとは、この場合は時間軸のこと。
そしてやはりダブル・ミーニングで実際の距離のこと。
過去の出来事という意味。
そして「もう見えない・聞こえない」という意味。
それらを否定している。
恋は、いつまでも心の何処かに在る。
…さあ熟年、中高年諸君!。
時には景気の話などせず、恋の話をしよう!。
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