安倍総理お疲れ様


withコロナに加えて安倍総理の退陣.時代の急激な変化が着々と進んでいる.左翼の「アベ○ね」コールを無視するかのように多くの国民は安倍政権の政策をある程度評価し,その労をねぎらっている.私も同じ気持ちだ.

安倍政権がここまで多くの国民になんとなく支持されて長続きしたのは,その政策に労働者目線やリベラルな政策が散りばめられていたからである.外交や防衛,憲法については完全な右派政権だったが,労働政策や国民生活では「最低賃金の引き上げ」「社会保険適応の拡大」「全世代型社会保障」など旧民主党や連合が喜びそうな政策がたくさん実現した.

多くの国民にとっては外交や安全保障などは縁遠い世界であり,あまり興味はない.困っている時に補助金や援助金を配ってくれたり,賃金を引き上げてくれる政治家であれば悪い気はしないものである.昭和の時代に横行した特定の業界をターゲットにした選挙目的のバラマキでもなく,緊縮財政でやせ我慢ばかりが強いられる政策とも違う,このような「庶民に愛を感じさせる」政策が安倍政権の長期安泰に大きく寄与したことは国民感覚として疑う余地がない.

むろん,左翼が指摘するように貧困対策が不十分であるとか,細部の至らない点をあげつらえばキリがないが,少なくとも近年の自民党政治の中では「小泉改革よりは随分マシである」という感覚は多くの人の中にあるのではないだろうか

小泉竹中構造改革は日本の企業体質や慣行の改革のため,非正規雇用の拡大や,経済財政諮問会議に代表される経済界の意見に偏重した政策を数多く行い,多くの労働者がその犠牲になった.もちろん日本企業の構造改革なくしては,当時勢いがあったグローバル経済への適応は難しかっただろうから,その政策は決して間違っていたとは言えない.しかし,構造改革と同時に「小さな政府」を標榜していた彼らは「救済されない弱者」が大量発生したことに対して「自己責任」を謳って何の手当も行おうとしなかった.

偶然にも私はこの数年間,非正規雇用がいかに人生の色々な点で不利をもたらすか身をもって経験する機会に恵まれた.かなり単価の高い仕事をしているとはいえ,被用者保険や雇用保険すら適応されない宙ぶらりんなフリーターを5年近く経験し,その間に人生のいろいろな節目を迎えることになった.また,職場でも非医療職かつ非正規職を繰り返してきた人ばかりと一緒に仕事をしてきた.臨床現場にいるだけではまず体験できない貴重な経験である.

結論から述べるとこの経験から言えることは,「本人が望んでいない非正規雇用は社会を分断し,公共心やコミュニティへの奉仕心を著しくそぐ」ということである.かつて仕事を始めて数年の私は「税金はみんなのためだから積極的に払うべきだ」とか「公共のことは積極的に行うべきだ」と考えていた.節税は悪だと思っていたし,コミュニティへの積極的な協力も惜しまなかった.

しかし完全な非正規になってみると,賞与はもちろんのこと健康診断や福利厚生はほとんどなく,有給休暇も一切ない.人間なので年間に数日は病気になったり調子が悪い日もあるが,休めばその分収入がなくなるし,すぐに交代も確保できるとは限らない.コロナの時代であっても,軽い風邪症状や微熱があろうとも頑張って出勤するよりほかはない.仮に働きすぎやストレスで倒れても,掛け持ちする事業所が多数あるので,労災認定も難しいだろう.誰も自分の体のことを気にしてくれる人や制度はいないので,自分の健康のことは,少し仕事で手を抜くなどして自分で守るしかない.年間数万円を自分で掛け捨てて加入する民間生命保険だけがせめてもの守り神である.

一方で出ていくものは容赦なく徴収される.年金は1階部分の国民年金しかなく,全額労働者が支払う.毎年春に数十万円の保険料が飛んでいく.2階以上を望むならば自分で全額国民年金基金に掛け金を払わなければならない.「被用者」の身分であれば半分は雇用主が負担するにも関わらず,にである.健康保険も同様の仕組みになっており,後期高齢者へ仕送る額は高めに設定されているが,半分は雇用主が保険料を負担するので,国民健康保険の保険料よりは遥かに安い.しかも4日以上休むと傷病手当も支給される.支払う額は少ないのに手当は充実しているのが被用者社会保険なのである

格差はこれだけにとどまらない.雇用保険が適応されていないと出産で仕事を休むことになっても,育休手当はない.育休手当は休業前の8割程度の収入が補償される制度で,共働きの子育て世帯にはかなり大きな収入となる.出産育児は社会全体にとって喜ばしいことにも関わらず,それを支援する育休制度はあくまで「雇用保険の制度の枠組み」で運用されているのである.働き方が多様化する中で「男性の育休」云々を議論する以前にこの仕組自体の大きな矛盾点を解決するほうが先であろう.他にも保育園の入園の優先度などでも正規雇用者が有利になる自治体もあり,金銭面以外の観点からも「この国の社会保障は正規雇用を前提とした仕組みで運用されている」ことをこの5年間で痛感した.非正規は企業や事業主だけではなく,行政からも一段低く見積もられ,「劣った人間」として扱われているのである.

幸い私の場合は単価が高い仕事をしているために,生活困窮まではしていないが,平均的な同業者の中ではかなり厳しい生活を強いられていることは間違いないだろう.社会から「劣った人間扱い」されていることは,他の非正規の人々と同様に痛いほど感じる.これは新卒時から正規雇用や常勤雇用でしか働いたことがない人には想像がつかない経験だろう.

そんな中で私より単価の低い仕事を繰り返してきた非正規の仲間の生き方や価値観を見ていると,彼らが「もらうお金の程度だけ働けばいい」「しがらみに囚われる必要はない」「自分の好きなことが最優先」という価値観で生きていることに気付いた.むしろ「そういう考え方で何が悪い?」と割り切ってしまっている人の方が楽しく日常を過ごせているように見えた.彼らにとって公共心やコミュニティへの奉仕は,「気が向いたり,情が移ればする程度のこと」であり,それに対して金銭的見返りがなければ義務や責任などないと考えているようなのである.

このことは私にも大きな価値観の変化をもたらしたとともに,「非正規の増加は社会やコミュニティの分断や崩壊をもたらすことになるのではないか」と直感した.おそらく安倍総理も同じことを感じていたのだろう.彼の著書「新しい国へ」では社会保障の拡充に尽力したチャーチルと岸を引き合いにだしてこう書かれている.

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『わたしは,小さな政府と自立した国民という考えには賛成だが,やみくもに小さな政府を求めるのは,結果的に国をあやうくすると思っている.国民一人ひとりにたいして温かいまなざしを失った国には,人は国民としての責任を感じようとしないからだ.そういう国民が増えれば,確実に国の基盤はゆらぐ』

彼の目指すノスタルジックな「郷土愛のある国」「地域社会に統一感がある国」を内部から崩壊さないために・・・その考えから導き出された答えが,「最低賃金の引き上げ」や「被用者保険の拡大」といった,小泉構造改革で大量発生した非正規労働者への救済だった.そしてそれは彼に対して「劣った人間扱いされてきた者も暖かく見守って手を差し伸べてくれるお父さん」としてのイメージを醸成し,彼の政権を延命し続けたということなのだろう.

しかし,小泉改革から20年.一度染み付いてしまったこの格差と分断を解消するのは,安倍総理の路線を引き継ぐ菅官房長官とて容易ではないと思われる.5年程度の非正規経験ではあったが,私自身が仮に正規雇用に戻ったとしても「もらった金の程度だけ働く」思想から戻れる気がしないのだ.また育児や介護や自己実現などの目的があって正規雇用をあえて選ばず,自ら多様な働き方を選ぶ人も増えている.あえて小泉以前の終身雇用が基本の家父長制社会に戻りたいと思う人は少ないだろう.「大きな物語」を完全に喪失した日本社会では,ベーシックインカムなど,雇用形態に関わらず生活を安定させる抜本的な社会保障改革を行わない限りは,地域意識の再統一は難しいのではないだろうか.

私の公共への意識も自分でも驚くほどに「節税はすればするほどいい」「公共への奉仕は正規職がやればいい」という考え方に劇的に変わっていた.残念ながらもう元には戻れない.日常診療に紛れ込むコロナ患者は避けがたいとしても,コロナ陽性確定者への対応は賞与などをもらっている正規雇用の医療者や,当直もしない管理職がやれば良い話で,被用者保険も適応されていない非正規労働者が率先して行う義務は一切ない,と今は本気で考えている.

安倍総理の社会崩壊への懸念はすでにあらゆる分野で具現化し,これからさらに火を噴きつつある.その最たるものが「少子化」ではないだろうか.高齢多死社会を支えるためには,日本人が子供を産んで自ら介護の担い手を増やすか,外国人介護労働者を雇えるだけの高付加価値の仕事を行うしかないのであるが,多くの人は出産も高付加価値職も大事な責任とは思っていない.できる人が勝手にやればいいと思っている.というよりも,少なからずの若者が責任を果たしたくても経済的に難しい状態に追い込まれ,自虐的にすらなっている.今は家父長制時代に構築された人的資源や資産を切り崩しながらなんとか社会としての統一性が保たれているが,この10年20年以内にいずれ限界が訪れるだろう.そのような社会は確実にいろいろな側面で不安定化する.

ところで非正規雇用を大量に産み出した竹中平蔵は,今は人材派遣会社のパソナの役員をしているようである.結局彼らは社会をぶち壊し,自分だけは自らが作った制度の上で甘い汁を吸っている.

安倍総理は,シニカルな見方をすれば,実はこの10年必死になって,体を壊してまで,彼らの尻拭いをしたに過ぎないかもしれない.安倍総理,本当にお疲れさまでした.

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