稲村候補はなぜ負けたのか?斎藤知事の支持者は多種多様

TBSの「報道特集」の番組はネット上では大バッシングでしたが,オールドメディアの立ち位置がわかる番組として,僕自身は興味深く拝見しました.
きちっと今回の現象について深堀りしており,TV番組としては良かったと思います.

いくつか気づいたことを挙げていきます.

1.稲村候補は「左翼」と「既得権」が両立することを理解せずに知事選に臨んだ

稲村候補へのインタビューで,彼女には当初は極左との批判が集中し,後半では既得権の代表みたいな言われ方をして「どっちやねんと思った」と発言しています.

これを見たとき,彼女の敗因はここにあると思いました.確かに10年ぐらい前までの感覚だと「左翼・リベラル=革新・反既得権」,「右翼・自民党=保守・既得権」みたいな構図だったんですよね.民主党政権の時代ぐらいまではそうでした.しかし,ここ10年ぐらいでその構造はガラッと変わってしまいました.

国内的には橋下徹がはじめた維新の会の存在が大きいのです.そもそも維新が躍進したのは,大阪における同和利権に対する徹底的な排除がきっかけです.「同和」というのは要するに被差別部落のことで,昔は穢多非人(えたひにん)として差別されていた人々の集団です.本来はそういう人への差別をなくそうというリベラリズムに基づく差別撤廃運動が「同和」の基本理念なのですが,いつしか一部の人が,「同和なんだから優遇しろよ」という脅迫めいた言動をして行政に巣食う行為をしたために「同和」であることが「利権」となってしまっていました.代表的には飛鳥会事件(西中島の駐車場とか)が有名ですが,民間レベルでも暴力団であることを明かして脅迫することがあるように,同和であることを明かして民間人を脅迫してカネを要求する事例が大阪ではよくありました.私自身も身近にそういう話をいくつか聞きました.

(一応補足説明をしておくと同和利権の追及は,もともとは部落解放同盟と対立する共産党がかなり頑張っていたのですが,大阪では行政の民営化等の手段で最終的にごっそり解決に持ち込んだのは維新でした)

恵まれない立場にある人の差別をなくそうという左派的な運動は,一歩間違うと既得権益に繋がりうることなのです.

もともと維新の会は自民党から飛び出した改革志向の強い右派政治家が多いのですが,そのアンチテーゼとしてリベラル側が「援助が必要な弱い人を改革によって金銭的に切り捨てる維新」というレッテル張りをしたことで,大阪ではここ10年ほど「右派」と「既得権改革」がセットに,「左派・リベラル」と「既得権擁護」がセットで語られるようになりました.今回,右派的だが改革政党である国民民主が躍進したことで,この考え方は全国区となりつつあるように思いますが,関東の人は未だに「立憲(左派)=改革,自民(右派)=保守」というイメージを持っている人も多いようなので,このあたりの理解が十分でない人が多いのかもしれません.関東出身の人に聞くと,大阪は違う国のような感覚があるのだそうです.

国際的にはDEIとの関連性が指摘されます.DEIとはDiversity, equity and inclusionの略で多様性・公平性・包括性などと訳されたりします.これもざっくり言えば,「差別をなくそう」という運動で,特定の人種やジェンダーを持つ人の機会が平等となるように社会全体に合理的配慮を求めていく活動です.日本企業ではこの概念は全く浸透しておらず,HPを見ても雲を掴むような説明が多いのですが,アメリカでは具体的には黒人やヒスパニックは少しレベルが低くても採用したり,昇進や入試で加点したりするようなことも行われています.LGBTQに配慮してジェンダーレストイレを新たに設置したり,性被害を受けた人を無料で支援する専門職を置いたり,また英語が第二外国語の人に対して,無料で補講を行ったり会話練習機会を提供するような配慮も広い意味でDEI活動に入ってきます.ただ,最近はそれは「逆差別だ」「利権だ」という保守派からの強い反発にあって,多くの共和党州でDEIの予算と人員を削減するように圧力がかかったり,Walmartなど一部の企業でもそういう配慮をやめる動きが広がっています.いずれにしても,DEIという文脈でも最近は「右派・保守」と「利権打破」,「リベラル」と「利権擁護」はセットで語られることが多く,大阪から広がった考え方は国際的なムーブメントにもある程度合致しており,トランプ現象にも通じるところがあります.

稲村候補は電話番号は大阪市と同じ06である尼崎市長を長く務めた関西人のはずですが,近年は「左翼」と「既得権」がセットで論じられてもおかしくないということを理解していなかったがゆえに,迂闊にも兵庫県の既得権側の首長や自民党県議と組んでしまい,「穏健左派はまあ許せるんだけど既得権は絶対反対」の人たちが一気に斎藤支持に回ってしまったと考えられるのです.完全に戦略ミスだと思います.

2.斎藤支持者層はかなりホモジニアス

これに関連してですが,実は斎藤支持者もかなりホモジニアスな集団で,左翼政治家の当選を阻止しようとした右派もいれば,斎藤でなくてもいいが反既得権は絶対という人々もおり,ネットの情報を鵜呑みにして正義感だけで支持した人もいれば,人柄はともかく政策内容は若者支援なのでそれで支持したという人もいて,一概に語ることはまず不可能です.斎藤支持者に何か単一のレッテル張りをしようとする行為自体が今回の現象を理解していないと言えるでしょう.SNSの使用についてもそういうものに耐性がなくて感化された人もいるでしょうが,眉唾で見ながら全体を判断した人も多かったと思われます.もともと関西人は値切り交渉でもそうですが,お世辞とか話が盛られていることを前提で会話を進めていく文化があるので,誰かが言った内容を丸々信じてしまうというようなことはしない人が多いと思います.何%ぐらい信頼できるか,この部分は信頼できるけど,ここは信頼できないとか考えながら,でもそれは口に出さずに,時には盛っている話に悪ノリして話を進めることが多いので,「お上や権威の言うことは絶対」の東京とは話の捉え方が根本から違うと思います.

「お宅だけ特別に負けときますわ」を信じていてはまともな値切り交渉なんてできません.

3.SNSデマを批判するなら3月の告発文書もデマの一種


最後にTBSは公益通報に関して考察していましたが,はっきり言って3月の段階でばらまかれた文書は内容を見てもわかるように,証拠が乏しく真偽不明の怪文書でありデマ(=いいかげんな噂話(うわさばなし)。流言。)の一種です.本人が事情聴取で「噂を集めた」と言っているのですから,間違いなくデマです.SNSもデマだらけですが,なぜか3月の告発文書はマスコミが大々的に取り上げたために,デマではないという前提になっている.しかし,そもそも百条委員会はこの文書内容が真偽なのかを検証するために開かれたわけで,その事自体がこの文書がデマであるということを証明しているようなものです.デマの中には真実もあるかもしれませんが,確たる証拠が出なければデマはデマ以上のものではありません.

人間が確実に知っていることというものは思ったより少ないものです.科学理論であっても数十年後にひっくり返ることはあります.コロナのときもそうでしたが,未知のものを相手にして我々は日常ではデマの中で生活せざるを得ません.デマは悪いものではなく,そもそも付き合っていくもので,その付き合い方が最も大事なのだろうと思います.


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