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#60 頭の中の湖と、いつでも逃げ込める静かな家を持っている話

出かける予定のない雨の日が特に好きです。
晴れているとあれこれ洗濯したくなるし、掃除を始めてしまうけど
静かで水分を含んだ空気の中にいると
不思議と思考が深まります。

このところ、自分の性質を形作っているものを掘り下げたり
根底に横たわるものを見に行ってはその扱いに思いを巡らせたり
ぐっと息をつめて沈んでいくような作業が多かったなと思いました。
苦しいし、そういう類の作業は視界の隅にろうそくの火がぼんやりと揺らぐような安全な場所でなければじっくり向き合えないのかも。
たぶんそんな必要性から、わたしのための場所を想像の中に持っています。

うちにいるメダカ達は冬はあまり活発でなく餌もあまり食べません。
夏に比べると驚くほど水が汚れないです。
部屋の植物達は夏の頃に比べるとなんとなく緑が薄らんで葉も減り、ひっそりとした佇まいになっています。最近仲間入りしたレモンの木だけは外が好きな様なので、この寒さの中でもベランダで風に吹かれるがまま。風当たりが強いので、除けられるようにはしておきました。

動物や自然が季節と一緒に移ろう様を眺めていると、少なからず人間も季節に左右されているのだろうな、北欧で暮らす人々に季節性うつが多いのも頷けるよな、と思ったりします。空気で閉じ込められる感覚。

しばしばわたしは自分の中にある湖を想像します。すると薄暗い景色の中に大きな湖と森が浮かびます。生き物の気配はするけれど、音はほとんどなくとても静かなところです。
どこかで見たことのある景色なのかもしれないし、想像の世界かもしれません。
少なくとも実在はしない精神世界のようなものです。英語にotherworldlyという単語がありますが、まさにそんな感じ。ここの事を人に話すことはありません。だからこそなのか、わたしにとって安全で安心できるところです。

・・・


いつからかその湖畔には建物も並ぶようになりました。少し冷たい印象の材質と緊張感のある直線的な外観を持ちながら、その見た目とは裏腹に内部空間に続く開口部からは温かな光が漏れ出ています。視線は大抵、湖の対岸から注がれるので建物の大きさは伸びたり縮んだりと掴みどころのない感じです。
湿った草や土の匂い、湖の周りだけ疎になって生える木々の枝が擦れる音、時々空を横切る雲の影がこれは絵画や写真ではないという感覚をくれます。

湖の水面が波立つような事柄が起きた時わたしはこの建物に逃げ込むところを想像します。建物の中から見ると森は少し明るく見えます。窓が大きいせいなのかもしれません。それともいつも昼間なのかも。
寒くも暑くもなく、ただ「会いに行きたければ会いたい人には会いに行ける」という不思議な確信を持ってそこにいる自分と会うことになります。そこにいれば安心。もう大丈夫。わたしのペースで考えればいい、と思えます。
床の少し上で切り取られた四角い窓の傍には座り心地の良い椅子と膝掛け、滑らかな壁と床、木サッシにかかる真っ直ぐな陽射し。背後には麻素材のラグが敷かれた場所があり、石の壁についた棚には清潔な感じのする花と蔓植物、磁器のボウル、畳まれた布が置かれています。階段の足板の隙間から明るい光が床まで降りてきて、幾つもの菱形が少しずつ伸びながらラグまで届きます。カウンターにはポットと読みかけの本。
隣の部屋にはピアノが置かれていて、高い天井のスリットから空が見えます。
ここにいればわたし(の心)は安全です。

・・・

ただただ不思議なことに、実際に行ったことは無いはずなのに一つ一つを詳細に眼の中に浮かばせることができます。昔こっそり舐めてみた鉄棒の味を反芻するような、ちょっともどかしいけど誰かに共有するのは気がひけるような時間です。あるいはこんな家に住みたいと漠然と考えているのかもしれないなと想像するのですが、そうした瞬間にその世界は急に色や質感を失ってつまらない現実的な空間になる気がして残念です。


あんまり自分を掘りすぎてもいけないし空想の世界から戻れなくなるのも良くないだろうけど、好きなものは仕方がない。ただこれからしばらくは現実にいる時間が増えそうなので、ゆるゆるとこちらの世界に留まらなくては。上手く心を落ち着けられる場所をどうやって作ろうかなぁと昨夜から降り続く雨を眺めてぼんやりしています。

るる

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