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#120 表通りから一本入った場所

河のそばで暮らしている。
するとビル建物の裏側をよく目にする。どうやら河のすぐ側に建てる場合、河に背を向けた形になるらしい。
全部ではない。セーヌ河や鴨川みたいな河川敷がたっぷりあって人々が憩うような河じゃなくて、都会の中に位置する河の話をしようと思う。

ぼうっと橋を渡っていると、そのぎりぎりに建つビルがついさっき見た表側からは想像もつかない様な表情をしていることに気がつく。表には看板や玄関があって、店がひしめいて、もっとビル同士の境界が曖昧な感じがする。それにたぶん、建物のそばを歩いている時は目線が低いから、ビル自体を見ようとすることはないのかもしれないなぁ。
ひしめき立つビルを後ろから見ると、なんか可笑しいのだ。意外と一つずつは細かったりする。小さめの窓が等間隔に並んで、たまにのんびりとベランダなんかもついてたり。にわかに生活の匂いを嗅いでしまう。

ビルの裏側を眺めるのはおもしろい。
わざと表通りから一本入って歩いてみる。磨き上げられたエントランスとはおおよそ無縁に思えるような「搬入口」とか「通用口」と書かれた屋根もない場所。誰かの団扇や缶コーヒーの並ぶ横にはスイッチ盤と張り紙。そこに集う人たち。仕立ての良い背広でたばこを吸いながら、つま先を見つめてため息ついて、空を見上げる人。
植栽があったのだろうけれど枯れたのか、かさかさした土しかないのに立派なプランターが鎮座している。いかにも抜きやすそうな草が生えている。ヒョイと手を伸ばして抜くところを想像してみる。灰皿代わりにされたイチゴ牛乳の容器。コンクリートで固められた無彩色な場所。


寂しさとか物悲しさとかとは違うくて、人が「表用の顔」をする合間にふっと息をしに行く場所なのかなーという気配が漂う。ビルの中にはきっと掃除の行き届いたお手洗いや休憩室もあるのだろうけど、外の空気を胸の中に溜めたい時は役に立たない。
表の華やかさこそないけれど、裏には裏の人の出入りがあって、独特の時間が流れていると思う。
エドワード・ホッパーの絵を思い出す。開け放たれたドアのすぐ向こうには、海。
唐突に、今いる場所から外へ繋がる扉。

そこをあえて飾る必要もないし、くたびれたバラバラの椅子が2、3脚あれば外の世界でしばらく休むこともできるかもしれない。
そういう空間を、ビルの裏側に、わたしはつい探して安心してしまう。


誰かとお茶するために表側の道を急いでいる時、急になにかそわそわした気持ちになることがある。するとわたしは一本中の通りへ入ってみる。たくさんの空のワインボトル、室外機の上に干された色褪せたタオル、半開きの窓から出る湯気、なぜか靴、そしてその隣で昼寝するネコ。
わたしは満足して、路地を抜けてまた表通りに戻る。
「わたしは今、向こうで空気を吸って来たからこちらにいても大丈夫」という気持ちで。

るる

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